「無言で受け止めてくれる、ぬいぐるみこそが心身を癒す」“ぬいぐるみ専門医”が語る特別な役割に迫る

今、ぬいぐるみを専門に治療する“病院”が、大きな注目を集めています。毎月100体が運び込まれるという「杜の都なつみクリニック」。院長の箱崎なつみさんから聞いたさまざまな患者さんのエピソードを通して、世代を超えてぬいぐるみが愛される理由、そして高齢化社会における役割について考えました。
みんなの介護ニュース編集部(以下、――)今回お話を伺うのは、ぬいぐるみ修理を専門に扱う「杜の都なつみクリニック」院長の箱崎なつみさんです。こちらでは、メンテナンスを「治療」と捉え、ぬいぐるみたちに対してまるで病院と同じような対応をされているそうですね。
箱崎 はい。私どもはぬいぐるみを「家族の一員」と考えています。家族とぬいぐるみにとって一番の方法を一緒に考え、『専門的な技術を提供する』だけではなく、『大切なご家族さまに寄り添う治療』を目指しています。
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――箱崎さんがぬいぐるみ専門病院を設立した経緯を聞かせてください。
箱崎 もう10年近く前になりますが、洋服や小物を取り扱うお直し屋さんに勤めていた頃、ぬいぐるみを持ち込まれるお客さまが一定数いらっしゃいました。そこで不思議だなと思ったのが、お客さまの反応です。
例えば、裾上げしたズボンや丈直ししたカーテンをお戻しすると、「ああ、どうもね」と皆さんごく一般的な対応をして帰っていくんですね。けれどぬいぐるみに関しては「ありがとう!直って本当に良かった!」と、めいっぱいの感謝の言葉をいただけるんですよ。それも一人や二人じゃなくて、どのお客さまも。
ぬいぐるみの修繕がこんなに必要とされているなら、もっと高度な技術とサービスを提供したい。そう思って、2016年にぬいぐるみ専門のお直し屋さんとして独立し、これまで約1万5,000体のぬいぐるみたちを治療してきました。
――クリニック設立以来、大変な人気だそうですね。治療が受けられるまでかなり待つと伺いました。
箱崎 現在(2023年5月時点)、お申し込みから実際に入院していただくまで約10ヵ月待ちです。だいたい月100体の治療を目標に稼働しているのですが、我々は流れ作業的に繕って終わりという考えではないので、結果的に長期間お待たせしてしまっています。
治療ビフォーアフター
中綿交換やお風呂エステなどの処置を受けてふっくら元気に(左:治療前 右:治療後)
――やはり治療には時間がかかるものなのでしょうか?
箱崎 平均入院期間は1ヵ月半~2ヵ月間程度です。でも、実際に治療を行っているのは実は1週間ほど。
ぬいぐるみをお預かりしたら、まずは状態をチェックし、その後カウンセリングを繰り返します。持ち主であるお客さまと治療方針のすり合わせを重ねるのですが、この時間が一番大切だと考えています。作業スタートまでに10ターン以上はやり取りするかな。
「購入当時の状態へ戻したい」「現状の風合いはそのままで、破損している所だけ治してほしい」例えば、このような意見だけでも、治療方法の選択肢は大きく違ってきますから。
――ご家族の意向に沿った治療を徹底されているのですね。ここまで手間をかけて「病院」というコンセプトでお直しを受けているのはなぜでしょうか?
箱崎 お客さまは、ぬいぐるみに対して家族と同じくらいの愛情を抱いています。そんなかけがえのない「家族」を修理に出すのですから、大切な人が病気やケガで入院する時と変わらない不安と心配でいっぱいなんですね。
そのため、持ち主の心配事をできる限り取り除き、丁寧に細やかに治療を進めていく必要があります。ぬいぐるみを治すという行為には、医療行為と同じくらいの責任が伴う。私たちはその覚悟とともに治療活動を行っています。
――カウンセリングシートにはぬいぐるみの「名前・全長・体重」や「破損箇所」といった基本的な項目だけじゃなく、「好きな食べ物」といったパーソナルな質問まであるんですね。私たちが病院で記入する問診票よりも詳しい内容で驚きました。
箱崎 そうでしょう?人間の病院では、患者さんに「趣味・特技」を聞くことはあまりないですしね(笑)。
――持ち主たちも、大切なぬいぐるみの人格が認められているようで嬉しいのではないでしょうか。
箱崎 皆さん、楽しそうに記入してくださいますよ。たとえ「このウサギくんは7歳の男の子で少し人見知りの…」みたいに自分の頭の中では設定があっても、誰かに話すのって躊躇しちゃったりしますよね。けれどクリニックでは、そういった話も気兼ねなく共有できます。
それに、シートの項目を埋めていくことは、その子と紐づいたご自身の記憶をよみがえらせるツールにもなっています。思い出の棚卸し…というのかな。カウンセリングを通して「この子はかけがえのない存在と再認識した」と多くの方がおっしゃいます。
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――持ち主にとって、ぬいぐるみは自分の分身なのでしょうか?
箱崎 多かれ少なかれ、持ち主さまの気質とリンクしているようには思います。例えばカウンセリングで【おおらかで優しい子】と評されたぬいぐるみがいたら、同じようにご本人も穏やかな雰囲気の方というパターンが割とありますから。
また、自分自身だけでなく、家族、恋人、子どもなど、大切な誰かの存在をぬいぐるみに投影するケースも多いですね。
――高齢や病気で外出できない人が、自分の代わりにぬいぐるみを旅行へ連れて行ってもらうといった話も聞いたことがあります。
箱崎 ぬいぐるみと持ち主を同化させて、想いや願いを託すんでしょうね。
以前、奥さまが可愛がっているぬいぐるみをお持ちになった男性がいました。その奥さまは闘病中だったそうで「ボロボロのこの子が元気になったら、同じように妻も回復するんじゃないかと思って」と話していました。
現実の病気を治すことはお医者さんに任せるしかありません。それでも、大事な人のために何か自分にできることを、との気持ちでうちを訪れてくださったんだと思います。ぬいぐるみと奥様さまの姿を重ね合わせ、希望を託す男性の様子に心を打たれました。
――1体1体が特別なストーリーを持っているんですね。
箱崎 そうですね。この子たちは単なる「モノ」ではなく、お客さまそれぞれの心の拠り所。代わりの効かない、唯一無二の存在なんです。
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――年齢や性別など、ぬいぐるみの持ち主にはどういった人が多いですか?
箱崎 1~2歳の子どもからご高齢の方まで、幅広い世代の方が来られます。女性はもちろん、夫婦で預けに来られるケースや、単身男性のお客さまもたくさんいらっしゃいます。
――意外です。特に男性は「いい歳してぬいぐるみなんて気恥ずかしい」と抵抗感があったりするのかなと思っていました。
箱崎 そんなことはありません。むしろ、男女比は半々くらいですよ。
――最近は「ぬい活(※お気に入りのぬいぐるみを持ち歩いたり、旅行やイベントに連れて行って写真撮影を楽しむような活動)」という言葉もありますしね。
箱崎 私の感覚としては、ぬいぐるみが好きという層は、今も昔も母数自体はそんなに変わっていないんじゃないかと思っています。でもこれまでは、大人世代や男性はなかなか表立って「好き」を公言できる風潮じゃなかったのかなと。
そういった“隠れファン”も、若い子たちが男女問わず「ぬい活」を楽しむSNSなどを見て「ぬいぐるみ好きは恥ずかしいことじゃない」と価値観が変化してきたんでしょうね。
――シニア世代のお客さまもいらっしゃいますか?
箱崎 もちろんです。うちは基本的にネット経由でのやり取りですから、ITに不慣れな70代80代の方にとっては敷居が高いと感じる面はあると思います。それでも、家族や友人からサポートを受けながら診察のご依頼をくださるんですよ。お客さまの想いの強さや、ぬいぐるみへの愛情を実感します。
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――高齢者施設でも保育施設でも、ぬいぐるみは人気アイテムの1つだと思います。世代を問わず、ぬいぐるみが多くの人の心を捉えるのはなぜだと考えていますか?
箱崎 ぬいぐるみって、触覚と嗅覚に訴えてくるじゃないですか?柔らかい肌触りはぬくもりがあるし、ずっと一緒にいることで馴染みのある匂いに変化していきます。
どんどん「自分色」に染まっていく過程で、愛おしさや安心感だけじゃなく、持ち主とぬいぐるみの間にある種の信頼関係が生まれるのかななんて思います。
――ぬいぐるみと他のおもちゃを比べて、最大の違いって何でしょう?
箱崎 顔、というか表情があることかな。
ぬいぐるみに話しかけても、何も返事はありませんよね。でも、おだやかな目で見つめ返してくるその姿の中には、確かに「他者の存在」が感じられます。誰かに分かってもらえた、共感してもらえたという感覚が得られるのは、ぬいぐるみの魅力のひとつだと思います。
画像提供:adobe stock
――実際に言葉を返してくれるAIロボットとはまた違いますか?
箱崎 ぬいぐるみとの会話は一方的ではあるんですけど…。でも、一緒に喜んだり悲しんだり、「うんうん」ってうなずいてくれてるように思えるのって、返事をしないぬいぐるみだからこそではないでしょうか。
相手の意見や感想が欲しいわけじゃない!ってとき、誰でもありますよね?私の話をただ聞いてほしい。否定しないで受け入れてほしい。そんな時は、ぬいぐるみに話しかけることで、感情を整理したり気持ちの落としどころを見つけられるのかもしれません。
――ヒーリングアイテムともいえますね。介護をされている方にぜひオススメしたい!
箱崎 在宅介護など、大変な思いをされている人はたくさんいらっしゃるでしょうからね。
人間、愚痴や不満を遠慮なく吐き出せる先って、そうそうないと思うんです。人に伝えるとなるとどうしても言葉を選んでしまうし、話したところで期待したような共感を得られず、余計にストレスを溜めてしまう場合もあるかもしれない。
でも、ぬいぐるみは一度「相棒」になったら決して裏切らないし、いつだって持ち主のそばでちゃんと話を聞いてくれます。お気に入りの1体が、日々の介護の疲れを癒す存在になると嬉しいですね。
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――これまでたくさん治療されてきた中で、特に記憶に残っているエピソードを聞かせてください。
箱崎 クマのぬいぐるみを預けに来てくれた5歳くらいの女の子がいました。ハキハキした受け答えですごくしっかりした子という印象を受けたんですが、お母さまから「今は明るく振る舞っているけれど、本当はぬいぐるみと離れるのが不安でさっきまで大泣きだったんですよ」とこっそり教えてもらって。
そんな話を聞くと、私も治療を頑張らなきゃと身が引き締まる思いですよね。そして迎えた退院の日、女の子は治療を終えたぬいぐるみの姿に、嬉し涙まで流して喜んでくれたんです。
――可愛い!色んな想いがあふれ出たんでしょうね。
箱崎 離れるのは寂しいし心配。でもケガは治ってほしい。
そんな複雑な感情を乗り越えた結果、嬉しくて涙を流すなんて、幼いあの子にとっておそらく初めての体験だったと思うんです。そんな感動の現場に立ち会えたことに感動したし、何よりの励みとなりました。
――入院の日、女の子が不安で泣いたというエピソードは、高齢の両親を介護施設に入居させる時の切ない感情に通じるものがあるなと感じました。
箱崎 似ているかもしれませんね。だからこそ私たちは、できる限り持ち主さまの心のケアに注力したいと考えています。
例えば「ぬいぐるみを一人きりで入院させるなんてかわいそう…」と感じるお客さまには、治療を受けないぬいぐるみも一緒にお預かりする「付き添い入院サービス」も実施しているんですよ。

付き添い入院サービス。付き添いの「お友達」と一緒に眠る「患者さん」
――こういったお話を聞くと、子どものぬいぐるみを「邪魔だから」とあっさり捨ててしまっていた過去の我が身の行動を反省します…。
箱崎 そういう方もいますよ(笑)。もちろん「たかがぬいぐるみでしょ」というドライな意見もあって当然だと思います。断捨離も流行ってますしね。
ただ、どちらの感覚が正しいかは問題ではなく、ぬいぐるみを「家族」であり「友人」であり「仲間」だと捉える方がいらっしゃる以上、持ち主の気持ちに寄り添う治療活動を続けていきたいと思います。
――これまでぬいぐるみと持ち主の1体1の関係についてお聞きしてきましたが、人間関係においてぬいぐるみが果たす「役割」にはどんなことがあるでしょうか?
箱崎 犬や猫といったペットと同じように、ぬいぐるみが家族間におけるコミュニケーションの架け橋として機能しているケースは多いと感じます。
ご夫婦で来院したお客さまの話ですが、普段お二人は「◯◯(ぬいぐるみの名前)が『そろそろお部屋片付けよう』って言ってるよー」と、パートナーへの要望をぬいぐるみのセリフに置き換えて伝えるらしくって。相手へ言いづらいこともワンクッション置くことで夫婦ゲンカが回避される、とおっしゃっていました。
――夫婦円満のために一役買っていると。
箱崎 まさにそういうことかと。そちらのご夫婦曰く「私たちが別れてないのはこの子のおかげ」とのことでしたから(笑)。
年齢的にペットは諦めるざるをえない高齢者世帯も、住居やアレルギーの問題で動物NGの家庭も、ぬいぐるみなら気軽に手元に置いておけるのが良いですよね。超少子高齢化がすすみ、家族のあり方が多様化する中、ぬいぐるみの存在価値はどんどん高まっていくのではないかと思います。
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――入院してくるぬいぐるみには、どういった種類の子が多いなど傾向はあるのでしょうか?
箱崎 パンダとクマが断トツで多いです。
特にパンダは、現在50~60代くらいの方が子どもの頃、上野動物園にカンカン・ランランが来てすごいブームになったでしょう?その時に買ってもらった子を今でも大事にしている方が結構いらっしゃって、どことなく似た顔立ちのパンダをよくお預かりします。
クマについては、キャラクターものはもちろん、結婚や出産を記念につくったアニバーサリーベアを治療することが多いです。
――子どもの出生時体重と同じ重さでつくったりしますよね。
箱崎 そう、それです。ベアの足のフェルト部分にメッセージや日付の刺繍が入っているんですが、古い物だと獣毛が使用されています。これが虫食いなどで劣化しやすくて。
――これは無理…と思うような損傷の激しい子も持ち込まれますか?
箱崎 表面の生地が2割程度残っていれば、何とかなるケースが多いです。本当に酷い状態で…と悲壮な感じでいらっしゃるお客さまも多いのですが、意外と大丈夫なので遠慮なく相談してください。
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――2割程度の生地から治療できるとは驚きです!そもそも、痛んだぬいぐるみをお直ししてまで慈しむという考え方は、日本特有のものなのでしょうか?
箱崎 いいえ。ヨーロッパなどでは、ぬいぐるみの修繕は当たり前の文化として根付いています。テディベアの本場・イギリスでも、こまめに手入れを重ねながら、親から子へ代々受け継がれていきますし。
時を超えて世代をつなぐことができるのも、ぬいぐるみが持つ魅力のひとつといえます。
――受け継いだ下の世代にとっては、ぬいぐるみが目に入るたびに「実家のみんなは元気かな」「今日は連絡してみようかな」なんてふと思うきっかけにもなりそうです。
箱崎 ぬいぐるみを通して、家族の心がつながっている感覚が持てれば素敵ですよね。
住まいが遠方だったり、施設に入居中だったり、なかなか会いに行けない両親や子ども、祖父母を気がかりにされている方は多いと思います。「離れていても一緒だよ」という気持ちを込めて、大事な人へぬいぐるみを贈ってみるのも良いかもしれません。
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――では最後に、箱崎さんのこれからの目標を教えてください。
箱崎 おそらく、多くの方にとって、ぬいくるみをお直しに出すことは初めての経験のはず。一体どういう仕上がりになるのか、いくらくらいお金がかかるのか。まったく想像かつかないまま不安いっぱいでお越しいたたくと思うんてす。
それでも勇気を出して大事な「家族」を連れてきてくれたお客さまに対して、気持ちへ深く寄り添った治療を行うのは当たり前のこと。人間を診る病院・医師が意識すべきことと、何ら変わりはありません。これからも、ぬいぐるみ治療を通して持ち主の心を癒し、また笑顔になっていただくためのお手伝いを続けていきたいと思います。
撮影:熊坂勉