週末、名古屋駅前で行われていた、バウムクーヘンのワゴン販売。期間限定で店を出していたのは、愛知県犬山市の「バウムクーヘン」専門店「ココトモファーム」です。
次々にお客さんが足をとめて、バウムクーヘンをかごの中に入れます。もちもちとした食感の「ハードバウム」に…見た目もかわいい「縁バウム」も人気です。
材料は地元犬山産のお米でできた米粉100%。グルテンフリーの健康志向だけでなく、おいしさでファンを増やし、約3年で愛知県内12店舗を構えた超人気店です。しかし、ただの人気店ではありません。
信号の音、車のエンジン音、街行く人たちの笑い声。駅前の喧噪の中…お店の中だけは静かです。その理由は、ここで働くスタッフは全員耳が聞こえないから。
お客さんが注文するときは「指さしメニュー」を使います。あらかじめ、予想されるお客さんからの質問をリスト化し、番号をつけています。お客さんが番号を指さすだけで、スタッフは筆談で細かい質問に答えてくれたり、注文に対応してくれたり…これなら手話が分からなくても、大丈夫そうです。
(客:メニューを指さしながら)「ソフトバウムとハードバウムどちらが人気?」(スタッフ:筆談)「ハードなら玄米、ソフトなら白米」
手話を使える人は、スタッフとの会話を“静かに”楽しめます。(客:手話)「あした、彼氏の誕生日なんです。買ってあげようかなと思って」(スタッフ:手話)「おめでとう。ハードバウムは若い子に人気、ソフトは子どもやお年寄りに人気だよ」
交わる機会のなかった人々が、ここでは距離が一気に近づきます。お客さんにも「注文がしやすくなった」「手話での会話が楽しい」と好評で、売り上げは、健常者のスタッフが売った時の4倍になりました。
(手話を使った女性客)「より丁寧に話せる感じがして、手話はいいこともあるんじゃないかなと」(指さしメニューを使った男性客)「心がこもっているなと思って、全種類買っちゃいました。本当は1種類しか買わない予定だったのに」
名古屋駅前のワゴン販売を任されていたのが、玉木浩人さん(59)と、妻の千夏さん(56)。二人はことし2月まで東京で暮らしていましたが、観光で立ち寄った犬山市でたまたま「ココトモファーム」を知り、どうしてもここで働きたいと志願しました。
(妻・千夏さん)「スタッフの皆さんの表情が、笑顔がとても素晴らしかった、ここで働きたいと思った」(玉木さん)「差別もなく、できなければいいよと理解しているその状況が素晴らしいと思った、すぐに社長に連絡を取った」
社名の「ココトモ」は、「ここでトモダチになろう」の意味。シンボルマークの様々な色のモザイクには“どんな人にも居心地の良い場所”という思いが込められていて、社員のおよそ1割に何らかの障害があります。
ストレスが元で声が出せない「失声症」や…急に眠りこんでしまう「ナルコレプシー」など症状は様々。
それでも、ココトモファームには障害を気にするスタッフは誰もいません。
(ナルコレプシーを患うスタッフ)「みんな本当にいい人で、体調が悪くなったときも精神面でのケアもしますと話してくれて、ここが居場所だなと」
社長の齋藤秀一さん。障害者を積極的に雇う理由に、10歳下の弟・武人さんの存在があります。
自らもADHD=注意欠陥・多動性障害で幼い頃からいじめられ、不登校だったという齋藤さん。一緒に遊んでくれる弟が、唯一の心の拠り所でした。
(齋藤社長)「仲良かったですね、遊び相手が弟だったので…」
ところがその武人さんが、大学生の時「統合失調症」を発症。もう20年以上、幻聴や幻覚に苦しみ、他人とコミュニケーションが取れない状態が続いています。
(齋藤社長)「ひどいときは暴れてしまったりとか、架空の人物がいてその人と話していたり…。弟が重い障害を持っているので、家族の立場でもなにか一緒にできることないかなと」
自分に居場所をくれた弟のために、今度は自分が「弟の居場所」を作りたい。そんな思いから3年前、ココトモファームを立ち上げました。武人さんはいま、掃除やコーヒーを入れるなど、自分のペースで働いています。
そして今回、齋藤社長が新たに乗り出したのが耳の聞こえない「ろう者」のための居場所づくり。「音のない」バウムクーヘン店をオープンする計画を立てました。主に使われる言葉は、「手話」です。
(齋藤社長)「サインランゲージストア。手話とかボディランゲージとか。手話は表情も言語の中に入っている。すごくいい表情で接客する、お客さんもニコニコする光景をいっぱい見てきて、これって一個の可能性だと」
手話での接客は、「商品を売る」だけではなく「付加価値を生みだす」はず。そんな期待があります。試験販売を任されていた玉木さん夫婦は、この新店舗の店長になります。
3歳の時、高熱を下げる注射の副反応で耳が聞こえなくなった玉木さん。妻・千夏さんは生まれつきでした。ずっと、音のない世界で過ごしてきた2人。社会とのつながりを持つのが難しく、一番、苦労したのは就職でした。
(玉木さん)「前働いていたラーメン屋では、手話はダメといわれ、口で言え!声を使え!といわれていました。楽しくはなかった。」(妻・千夏さん)「小さいときから接客はやってみたい仕事の一つでした。お客さんに会って、レジを打つ、そういうのをやってみたい。小さい頃からの憧れ、でもそういう仕事はろう者には無理と言われて、やれませんでした。」(妻・千夏さん)「音のない世界は不幸ではなく、不便」
社会とつながりたくても、中々うまくいかなかったこれまでの生活。だからこそ、自分たちの店は、障害のあるなしに関わらず居心地の良い場所にしたいという強い思いがあります。
(玉木さん)「障害関係なく、誰でも来られて、仲良くなれるような店を目指しています」(齋藤社長)「どうしても裏方の仕事で表に出られなかったりとか、最初から無理だとかダメだとか、チャンスすら与えられない。全部が全部自分たちでできなくても、周りに支える人がいたりとか、仲間がいればできることってある」
もうすでに、店の名前「ココトモファーム」の手話も考えてあります。両手を握り合わせる“友達”を表す手話に、輪を描く“バウムクーヘン”の手話を組み合わせました。
オープン当日。6畳ほどの小さな店舗に続々とお客さんがやってきます。静かな店内。でも、笑顔があふれています。
(千夏さん:手話で)「4400円、冷たくておいしい、おいしい」(客:ジェスチャーで)「ありがとう、頑張って」
耳が聞こえなくても…会計時の小さな幸せも、共有できます。
(客:ジェスチャーで)「すごいね、ぞろ目だよ555」(玉木さん)「GO!GO!GO!」(客)「ぞろ目はいいことが起きる前兆なんだって」
2人の店はこれからも “静かに”賑わいそうです。