[マスクの下 こころとからだ 子どもたちの今](8) 漠然とした不安(上)
中学校のクラスの顔ぶれは、学級単位で作られたライングループで知った。登録名だから、本当の名前や顔は分からない。新型コロナウイルスの流行が始まったのは、中学3年の女子生徒(15)が入学する直前。待ち望んだ新たな学校生活は、休校でいきなりつまずいた。
画面の向こうのクラスメートには、ラインで積極的に話しかけた。オンラインゲームをしたり、電話したり。仲良くなると、初対面でも遊びに行った。
でも、美化された自分が見られている気がして、「リアルで会うのは勇気がいりました」。相手がどんな反応をするのか、マスク越しの表情の変化や言葉の響きに神経をとがらせた。
日中は家で在宅勤務の親と過ごすようになった。もともと、家族仲はよくない。けんかが増え、自分を否定される言葉をぶつけられることもあった。
入学後、コロナとは別の病気で長期間入院したことがある。
勉強は遅れた。すんなりと学校生活に戻れる自信はない。休みがちになり、その後は保健室登校するようになった。
登校日が限られる中でも、楽しみにしていたことがある。入学式、文化祭、クラスのTシャツづくり。なのに、それらは次々と見送られ、給食も「黙食」になった。
全校生徒が集まる行事はオンラインで。2年生になると、泊まりがけの修学旅行は、日帰り研修に姿を変えていた。
感染対策が必要なことは理解できる。それでも、大切なものが後回しにされているという思いが残った。
「子どもの1年と大人の1年は違うのに」。小さなわだかまりの一つ一つが積み重なって広がった不安。はっきりとした輪郭がないまま、暗く心を覆っている。
■「休む理由できた」 休校に救い
「『漠然とした不安』っていうか…」。高校3年の女子生徒は、そんな言葉で心境を表現する。
もともと、教室にいるのは好きではなかった。
中学では、クラスの子から陰口を度々言われた。話すのは得意な方ではなく、周りにも気を使った。
新型コロナウイルスで学校は休校になり、「休む理由ができたな」とほっとした。「救いでさえあった」と感じている。
半面、心から安心できたかというと、そうでもない。
家にいると、陰口を言われた記憶がよみがえり、ベッドの上で泣いた。休校が長引くにつれ、鬱屈(うっくつ)とした思いはむしろ増した。
父親は酒を飲むと、まともに話が通じなくなり、怒鳴ってくる。「どこにも逃げ場がなかった。それで不安でしょうがなかったのかな」
テレビでは、コロナ患者が入院する映像が毎日のように映し出される。自分も感染しないか、将来はどうなるのか。考えるほど、袋小路に陥った。
疲れてしまったときは、一人でカラオケに行ったり、散歩したり、お気に入りのゲームのBGMを聞いたり。のしかかる思いに耐えている。
高校生活で良かったこともある。
「オンライン授業はもっと続いてほしかった」。教室に入る勇気がなくても、オンラインなら大丈夫だった。高校では体調が優れず休んだ時期があったが、コロナがなかったら休む回数はきっと増えていた。
春から、学校は基本的に「マスクなし」になりそうだ。「すごい抵抗感がある」。容貌に自信がないし、顔を知ってがっかりされるのも、するのも嫌だ。
「コロナ前」に少しずつ戻りつつある社会の動きが、新たな不安に結び付いている。(「子どもたちの今」取材班・棚橋咲月)
<中>に続く[マスクの下 こころとからだ 子どもたちの今](9) 漠然とした不安(中) 会話抑制 ・・・ 〈誰かに悪口を言われているような気がする。いじめられているのかも〉 本島北部の小学校が昨年12月に実施した校内ア・・・www.okinawatimes.co.jp