命の危険ある病気等の子供や家族の為の場所…“こどもホスピス” 設立には資金面で高い壁「億単位が必要に」

「こどもホスピス」とは、命の危険がある重い病や障害の子供とその家族が、遊んで過ごす時間を楽しみ、これからの闘病などに向けた活力を養うための場所です。愛知県にもこどもホスピスをつくろうという動きが始まっていますが、その現状について取材しました。
安藤さん:「亡くなる前日に、声が出なくて口パクだったんですけど『大好き』って言ってくれて、それが最後の言葉で」 愛知県江南市の安藤晃子(あんどう・あきこ)さんは、1年半ほど前、娘の佐知(さち)ちゃんを急性リンパ性白血病で亡くしました。
佐知ちゃんの闘病生活は3年半にわたりました。
闘病生活では、その時にできるちょっとした遊びが佐知ちゃんを笑顔にし、同時に安藤さんたち家族の心も明るくしていました。
安藤さん:「病院以外の場所で安心して遊べる所があるといいなっていうのはずっと思っていて、こどもホスピスを知って、こんなに楽しい場所があるんだって思ったんです」こどもホスピスは、命の危険がある病気などの子供やその家族が、楽しんで過ごすための場所です。
日本にはまだ関東と関西に合わせて4カ所しかありませんが、愛知にも2022年10月、医療関係者を中心に準備委員会が立ち上がるなど、こどもホスピスをつくろうという動きが生まれています。
愛知県にこどもホスピスをつくろうという動きは今どうなっているのか。名古屋市名東区にある「愛知こどもホスピスプロジェクト準備委員会」で、安藤さんと一緒に、代表の畑中めぐみさん(43)に話を聞きました。

畑中さんは、名古屋医療センターの看護師として、小児がんを患った子供へのアフターケアなどを行い、多くの子供たちの最期を看取ってきた経験から、こどもホスピスに関心を持ち、安藤さんらとともに活動をしています。
安藤さん:「大勢の方から応援メッセージとともにご寄付をいただいておりまして、感謝の気持ちでいっぱいです」寄付が届いているほか、活動に賛同した名古屋市の建設会社がビルの1フロアを無償で提供し、テーブルやロッカー、固定電話も自由に使えるようになりました。
いま進めているのは、こどもホスピスを知ってもらうために開くシンポジウムの準備です。委員会のメンバーは医療関係者がほとんどで、打ち合わせは朝や夜に時間を見つけ、リモートがメインで行っています。3月18日に名古屋で開くシンポジウムはすでに150人の定員に達し、さらに追加での問い合わせもあるといいます。
2022年10月の委員会立ち上げから活動は順調に見えますが、設立への資金はまだまだ足りていません。畑中さん:「億単位のお金が(こどもホスピスを)建てるためには必要になってくるので、私たちの活動を積み重ねる中で、活動に賛同していただける方が出てきていただけると、建設にも一歩ずつ近づいていけるのかなと」2016年、日本で初めて開設された、大阪のコミュニティ型のこどもホスピスのような施設を建てる道のりは、まだまだ険しいのが現状です。
それでも、自分たちの活動を知ってもらい、こどもホスピスの必要性を感じてもらうことが設立につながると考える畑中さんと安藤さんは、子供たちやその家族のためにほかにも活動を進めています。畑中さん:「病気の子供たちはなかなか満天の星空を見に行くという経験もないので。子供たちに星空を届けようと思って」子供たちが見上げるのは満天の星空…。なかなか外に出られない子供たちのために、病院での「出張プラネタリウム」です。

4月に愛知県の病院で開催が予定されていて、ここには安藤さんの娘・佐知ちゃんの想いも詰まっています。安藤さん:「天井に投影という形で(プラネタリウムを)見たんですけど、その時に佐知が言った言葉が『これであと1年は生きていける』ってすごく喜んでいて」
また、旅館運営会社と旅行を計画したり、名古屋の銭湯とコラボし貸し切りの企画も予定しています。
全ては、子供たちやその家族の「願い」を叶えるため。畑中さん:「(これまで)『治ってからね』とか『もう少し元気になったらやろうね』と言って、どんどん願いを先延ばしにしていくことをしてきちゃったところがあって。亡くなる最期の子って、本当に『お家に帰りたい』って、それだけなんですよね、お願いは。それすら叶えてあげられなくて、亡くなっていく子はたくさんいるので。でもこういう方法だったらできるよとか、家族の中だけでは叶えられないこともきっとあると思うので、そういう時に少し私たちがお手伝いできたらいいなと」
こどもホスピスへの支援は全国的にも広がっています。1月には、プロ野球オリックスバファローズの山崎福也(やまさき・さちや)投手が、大阪の「TSURUMIこどもホスピス」を訪問し、脳腫瘍患者の支援団体に114万円を寄付しました。山崎投手は次のようにコメントしています。<山崎投手のコメント>「僕自身、中学時代に脳腫瘍を患い、命の尊さや大切さを実感した一人です。たくさんの方に支えてもらった記憶が今も鮮明に残っています。そうしたおかげで生きることができ、今も好きな野球ができています。当時の感謝を忘れず、感謝を形にするためにも、今年はホスピス団体を中心に支援させていただくことに決めました。苦しんでいる中には子供たちもいますし、少しでも僕が元気や勇気、夢を与えられるように頑張っていきたいです」