昨年、安倍晋三元首相が銃撃され死亡した事件で、殺人罪などで起訴された山上徹也被告(42)の全1364ツイートを分析した書籍『山上徹也と日本の「失われた30年」』。その著者である政治学者の五野井郁夫氏と、ドイツ文学翻訳家の池田香代子氏が、東京都杉並区の今野書店で刊行トークイベントを行った(記事は図書新聞<3595号=2023年6月17日号>に掲載されものです)。山上被告の凶行の背景にあった、ロスジェネ世代に共通する絶望感とは?
五野井 山上被告は40歳にさしかかり、体力が少しは落ちてきたでしょう。彼がやっている仕事は体力を使うものが多いので、多少きつくなってきたでしょう。そしてそういう仕事は年齢とともにだんだん働き口が減っていき、生活していくことが難しくなっていきます。そういうなかで自尊心をどう保つのかが山上被告のなかで大きい問題になっていったんだと、私には彼のツイートは読めました。彼のツイートには「尊厳」や「プライド」という言葉が本当にたくさん出てきます。彼ほどの頭のいい人だったら、嫌韓や嫌中を煽るような適当なユーチューバーにもなれたはずなのに、そうはしないプライドがありました。彼は、自分が体力的にも経済的にも多少自由なうちに、自分で何とかしたいと思っていたはずです。そういうプライドが、難しい問題をひとりで抱えさせたのかもしれない。彼の出身高校は偏差値も高い名門高です。体力がなくなってき始めた40代初頭、かつての学友たちを見回すと、みんな偉くなっているわけでしょう。社会的立場が上がっているだけでなく、結婚したり、子どもがいたりする。でも、同窓会に出席しようにも、自分には妻もいない。ロスジェネ世代ということもあり、なかなかモテないし、職を得ることも難しい。働けど働けど生活が楽にならない。そして自分の手をじっと見てみると、この30年弱、ずっと体力仕事をしてきた自分がいる。何の役にも立たない資格の山だけが残っている。まわりは結婚も出世もしている。その悔しさたるや。
池田 山上被告は、体力も含めて、自分で様々なタイムリミットを設定してあの行動を起こしたような気がします。安倍元首相が彼の住んでいる奈良に来るなんていうことは、その前の日に決まったことですから、それこそ運命のように感じてしまいます。また、山上被告は去年の春ごろから職場で様々なトラブルを起こしていたようですね。五野井 2022年1月ごろ、山上被告が42歳のときに職場で複数のトラブルを起こし、4月に自宅で自作の銃を完成させ、職場に無断欠勤が増えて、5月についに派遣会社に退社を申し出ています。最後の出勤は4月下旬でした。ではそのころ彼はツイッターで何をつぶやいていたのでしょうか。「もう何をどうやっても向こう2~30年は明るい話が出て来そうにない」(2022年6月)。しだいに体力が衰えてきて、まわりがどんどん偉く見えてきて、でも自分のプライドは保ちたいというときに、自分で「手仕舞いの場」をセットしたのかも知れません。
池田 そうですね。彼はツイッターを2019年10月13日に始めていますが、10月4日に『ジョーカー』という映画が日本で公開されています。その公開日の翌日(10月5日)に山上被告は『ジョーカー』を見ています。五野井 相当なフリークですよね。
映画『ジョーカー』
池田 彼は名古屋で見ています。なぜ名古屋なのかというと、その翌日に旧統一教会の大きなイベントがあって、韓国から韓鶴子総裁が来てスピーチをするので、彼女に火炎瓶を投げつけようと思ったからです。だからその前日に名古屋に入り、映画を見て、一泊しています。韓鶴子のイベントは屋内だったので、警備が厳しく、遠くから見ただけで諦めて、6日に奈良に帰っています。その一週間後にツイッターを始めているわけです。ツイッターを始めた翌日の10月14日に「オレがに憎むのは統一教会だけだ。結果として安倍政権に何があってもオレの知った事ではない。」(原文ママ)とツイートしています。これは、実際の犯行の前日にジャーナリストに宛てた手紙のなかで、政治的な影響がどうかなんて自分には考える余裕がありませんなどと述べたくだりと瓜二つです。実際の事件の前の約3年間の最初と最後がほとんど同じ言葉で締めくくられていることになります。しかし、これをもって、「事件の3年前から山上被告が犯行を計画していた」と見るのは違うと思います。五野井 私もそう思います。2019年時点では、旧統一教会の非道さや自民党(安倍政権)と旧統一教会の関係を暴くことに主眼を置いたツイートであって、これをもって安倍首相を殺そうとする意志が3年前からあったとするのは早計だと思います。池田 旧統一教会のしてきたこと、それを利用した政治家がしてきたことを白日のもとにさらしてやれ、という強烈な意志は感じますけれどね。五野井 2019年10月時点では、山上被告は『ジョーカー』の主人公のアーサーにびっくりするくらいの感情移入をしています。そこについては、山上被告の成熟があまり感じられないなと思っています。池田 そうですね。『ジョーカー』のアーサーをあまりにも自分に引きつけて考えてしまっているように思いました。それだけ山上被告にとって衝撃的な作品だったということは言えると思いますが。
五野井 文学や映画などの怖さは、善かれ悪しかれ、人に影響を与えてしまうところです。それは魅力であり魔力です。山上被告はこうツイートしています。「ジョーカーという真摯な絶望を汚す奴は許さない」。池田 すごく高揚した言葉ですよね。五野井 アーサーはいわゆる「非モテ」、インセル(女性蔑視主義者)かどうかが当時議論になりましたが、山上被告は、アーサーはインセルではないと言います。女性だけを憎んでいるのではなく、社会全体を憎んでいるんだと。だからアーサーが「『インセルか否か』を過剰に重視するのは正にアーサーを狂気に追いやったエゴそのもの」だと彼は述べます。女性が自分を振り返ってくれないことはもちろん憎いだろうけれど、それも社会全体の憎しみのなかのひとつにすぎなくて、一般のインセルがこじらせる「女性にモテないからイヤだ」というのではないのだと。すべて憎い社会が既にあって、そのなかの一部に女性というものがあるにすぎないのだと。
山上徹也被告(写真/共同通信社)
池田 山上被告のツイートを読むと、いま五野井さんが説明してくれたことを何とかわかってもらおうとして、しかしわかってもらえない、伝わらないもどかしさに貫かれていると思います。五野井 そうですね。「安倍晋三を殺す」なんてことは最初にはまったく書かれていません。むしろ、「なぜ自分がいまこんな悲惨な立場にいるのか」とか、「かつては女性と付き合えたのに、なぜいまは付き合えていないのか」とか──まさにツイートで「親に騙され、学歴と全財産を失い、恋人にも捨てられ、彷徨い続け幾星霜、それでも親を殺せば喜ぶ奴らがいるから殺せない、それがオレですよ」と言っています。池田 そこの解釈は私と五野井さんとではかなりの差がありますね。私は、「恋愛」と彼が呼んでいるものは、実際はそんなふうに呼べるものではなかったのではないかと思っています。もっと淡いもの、あるいは彼のほうからの思い込みが強かったり、アクシデントのようなものだったのではないかと思ってしまうんです。「恋人」という言い方は古風ですよね。つまり、「恋愛」には性的な関係も含むと思うのですが、そこまでいった「恋人」ではないのではないでしょうか。旧統一教会は純潔教育がすごくって、教祖様が決めてくれた人と一緒になるまで人を好きになってはいけない、そのように言う母親に反発したとしても、しかしそれが山上被告にとって何らかの足かせになって、恋愛スキルに遅れをとったということがあったのではないかと思うのですが。
五野井 山上被告の恋人問題について私は違う解釈を持っています。彼に彼女がいたのかどうか、あるいはそれを「恋愛」と呼べるのかどうか、確かに池田さんがおっしゃるような「成熟した恋愛」ではなかったかもしれません。池田さんよりも年下の人の恋愛は、もっとプリミティブかもしれません。恋愛ではない人付き合いも幼稚になってきています。しかし、山上被告はやはり「恋愛」をしていたと思います。山上被告がフェミニストの人とツイッターでやりあっているときに、彼はキリスト教のアガペーの愛も含めて、恋愛は性愛のことのみを意味するのではないと言っていました。彼と「恋人」とがどういう関係であったかはわかりませんが、しかし「恋人」関係は成立していたのだろうと私は思っています。池田 彼は人との純粋な関係を求めていました。しかし自己責任論などもあってその関係に乏しかったと思います。彼はそこに引き裂かれていたということを考えると、いたたまれない気持ちになります。
五野井 そうですね。彼がインセルのポジションに見えてしまうことがあります。彼はそうなりたくてなっているのではなくて、そういうポジションにさせられてしまっている部分がかなりあったのではないでしょうか。彼はツイートで、「この人達(フェミニストたち)は異性からの愛が皆無でも今の自分があったと言えるのだろうか? インフラなんだよ。一定以上豊かに生きるための。これを理解しない限りキリスト教的素地のない日本人は行きつく所まで行く。愛は必ずしもセックスを意味はしない」と言っています。この言葉を読む限り、異性からの愛は彼にとってあったんでしょう。しかしそれが性的な関係であったかはわかりません。こうした議論は重要だと私は思っています。なぜなら山上被告のツイートには本当に「女」「女性」という単語が多く出てきます。旧統一教会だけが彼を苦しめていたのではなかったのでしょう。研究によれば、日本の男性の場合、年収が600万円を超えると子どもを持つことが容易になるそうです。結構大変ですね。ロスジェネ以降の世代の人たちにとっては、特にコロナ禍以降、子どもを持ち家庭生活を営む条件が大変、難しくなっています。山上被告と同じような悩みを抱えている人はいっぱいいるはずです。もちろん、山上被告はフェミニストに対してものすごい罵詈雑言を浴びせるような、インセルだ、ミソジニーだと言われても仕方がない書き込みもしています。
池田 そうですね。ただ、彼のツイートの全体を見渡してみると、女性蔑視やミソジニーではない何かが浮かび上がってきます。ある一部分だけを見るとぎょっとするところがありますが。五野井 いわゆる弱者男性論のなかでは、弱者男性に女をあてがうべきだという本当にひどい議論もありますが、そこには当然ながら山上被告は与しません。池田 「おや」と思ったのは、女はインフラだという部分です。当然ながらフェミニストがそれを否定すると、人が人を支え合ってナンボでしょ、みたいなことを山上被告は言っています。つまり女を人と言い換えてから、人は社会のインフラであると言っています。ぎょっとするような議論の間から、彼の善良な地金が出ているように思いました。
五野井 インセルが女性をインフラであるかのように思い込んでいるよねという言い方に対して、山上被告は開き直るようなかたちで、いや、「異性からの愛」がインフラだという表現をしています。ここが誤読しがちな厄介なところで、「女をあてがえ」論の人だったら「女がインフラ」とはっきり書きますが、山上被告はそうは書いていません。異性からの愛、人とのふれあいはどんな人であれ必要でしょう、と。彼は性愛ではなく、愛を求めています。ここは見逃してはいけないところだと思います。池田 彼もなかなかうまく言えていないところですけどね。最後に念のために言っておくと、私たちは山上被告の犯行を一度も擁護したことはありません。彼がどういう人でなぜああいうことをしたのかを、できる限り突きつめたいんです。少なくとも二人の人生──一人は命を失い、一人は人生の真昼時に裁判や収監といった非常な現実に向き合うことになった──の重みを私たちが受け止めるために、できうる限り知りたいのです。
著者:五野井 郁夫 池田 香代子
2023年3月24日発売
1,760円(税込)
四六判/176ページ
978-4-7976-7427-9
山上徹也のものとされる全ツイート1364件を精査。山上徹也は、2019年10月13日から「silent hill 333」のアカウント名(2022年7月19日に凍結)で、ツイッターへの投稿を始めたといわれている。そのツイートから見えてくるのは、家族そして人生を破壊された「宗教2世の逆襲」という表層的な理解にとどまらず、ロスジェネと呼ばれる世代に共通する絶望感、悲壮感であった。気鋭の政治学者と社会運動家が、山上の悲痛な叫びから、この30年の現代日本の重い問題をあぶり出す。