安倍晋三元首相をかつての家庭教師・平沢勝栄氏が追悼「昔の話をしてみたかった」

安倍晋三元首相(享年67)の銃撃事件から8日で1年となる。安倍氏の小学生時代に家庭教師を務めていた、平沢勝栄衆院議員が6日までにスポーツ報知の取材に応じ、追悼した。平沢氏は「安倍さんは常に課題を見つけ、全力で突き進む人。もっと昔の話をしてみたかった」と語った。(坂口 愛澄)
昨年の7月8日、参院選の応援演説中に安倍氏が銃撃されたことは、ニュース速報で知った。
「第一線で活躍されていた安倍さんが命を失うなんて想像もできませんでした。まさかあんな亡くなり方をするなんて思ってもみなかった。存在が、政界にとってあまりにも大きかったことに亡くなってから痛感させられています」
ロシアによるウクライナ侵攻や拉致問題について「安倍さんがいたらどんな対応をし、どんな発言をしただろう」と考えさせられることが何度もあるという。
安倍氏と平沢氏の出会いは58年前。東大1年時、大学内の掲示板で家庭教師のアルバイト募集を見つけ、依頼先へ足を運ぶと安倍氏の自宅だった。
「100以上のバイト募集から目に留まったのがたまたま安倍さんの自宅で。不思議な出会いですよね。最初に安倍家に行った時は、父・晋太郎さんが出てきて『僕たち夫婦はほとんど山口にいて、東京にいないことが多いから子どもたちをよろしく』と言われて。まだ決まってもないのに(笑い)」
成蹊小学校3年生の安倍氏のことは「晋ちゃん」と呼び、安倍氏からは「先生」と呼ばれていたという。授業は全教科を指導し、週3回。1回約2時間強の授業で分からないことがあれば、積極的に質問する生徒だった。
「普通の家庭となんら変わらない、本当にかわいい子でした。理科などの難しい疑問を聞いてくるから何度も困ったよ(笑い)。アインシュタインの相対性理論について聞かれて、そんなの分からないからごまかして答えた気がするけど、全く引き下がってくれなかったことを覚えています」
当時の安倍氏は「色んなスポーツもやっていて、体も丈夫だった」。授業の合間には、よく学校での話もしていたという。
「『おそ松くん』が人気で、問題を間違ったりするとシェーのポーズをやってましたよ。それと、当時成蹊学園ではプールの授業でふんどしを履くことがあったようで、授業は女子も一緒だったからすごく嫌がっていたことが印象に残ってますね」
安倍氏の政治家人生を振り返り、「常に課題を見つけ、全力で突き進む人だった。小学生の頃から全くぶれていない」と思い返していた。
「大きな功績を残し、世界における日本の存在感を知らしめた人物。結果を求める人だからこそ、もっと頑張りたかったはず。決して楽はしない人ですからね」
最後に天国の安倍氏へ向けて、言葉をかみ締めながらメッセージを送った。
「安倍さんの功績は歴史に残ります。本当にお疲れ様でした。神楽坂でお酒を飲んだときに思い出話で盛り上がったことがありましたよね。もっと昔の話をしてみたかったです」
◆平沢勝栄(ひらさわ・かつえい)1945年9月4日、岐阜県生まれ。77歳。父の仕事の都合で福島県に移り、福島高、東大法学部を卒業。68年に警察庁入庁後、米デューク大学院に留学。96年衆院選で自民党から東京17区で出馬、初当選。2006年に内閣府副大臣、20年に復興相を務めた。政治討論、バラエティーなどテレビ番組に多数出演。当選9回。