第3次中学受験ブームの中、エスカレートする教育が虐待へとつながる社会背景と…教育虐待をする親に見られる「ASD+高学歴」

現在、首都圏を中心に「第三次中学受験ブーム」が活気を帯びている。東京23区の公立小学校では、クラスの生徒の半数以上がお受験をすることは珍くない。加熱するお受験ブームの中で教育虐待が起きるケースも少なくない。
日本社会では、学歴の威光は年々弱まっている。企業は入社試験の際に学歴を重視しておらず、官僚など一部の世界を除けば学閥も崩壊状態だ。
だが、世の中の流れはそれに逆行している。メディアは「東大生」や「東大へ子供を入れたママ」を必要以上にもてはやし、一流大学の学生はSNSのプロフ欄に大学やゼミの名を誇らしげに書き込む。むろん、本人が勉強が好きでやっているならいいだろう。だが、親が塾やSNSに煽られて受験にのめり込むあまり、子供に勉強を強要し、身心を傷つけることがある。「今、努力できない子は一生できないわよ。ここで落ちこぼれたら、ホームレスになるだけなのよ!」「こんなことさえできないのは、うちの子じゃない。塾代にいくらかけたと思ってるんだ。出て行け!」親は冷静さを失って子供の人格を否定する言葉を投げ掛け、時には物をぶつけたり、手を上げたりすることさえある。私は拙著『教育虐待――子供を壊す「教育熱心」な親たち』(ハヤカワ新書)で、エスカレートした教育が虐待へつながる社会背景を描いた。教育虐待をする親には、いくつかの原因があるが、その中には親の発達特性が絡んでいるものも少なくない。2016年に愛知県で起きた教育虐待の最たる悲劇について書きたい。父親の佐竹憲吾は、父親から教育虐待を受けて育った。父親が薬局を経営しており、憲吾を薬剤師にさせ、店を継がせようとしたのだ。憲吾は父親から激しい暴力を受けながら中学受験をし、地元の名門・東海中学に入学した。だが彼は発達障害の一つである、ASD(自閉症スペクトラム症)だったことから、周囲とうまく関係性を築けず、勉強にも身が入らなくなっていった。
その後、憲吾は大学へは進まずトラック運転手をして生活をした。実家からの金銭的支援もあり、結婚して息子の崚太君をさずかった。すると、憲吾は崚太君を自分と同じ東海中学へ入れると言い出し、自らつきっきりで指導をするようになる。
この時、憲吾はASDの特有の強いこだわりを崚太君への指導に向けた。ASDの強いこだわりとは、家具の位置をミリ単位で決めて少しでもズレると直さずにいられないとか、スケジュールを事細かに決めて予定が崩れるとパニックになるといったことだ。彼もまた、そうした傾向があり、崚太君への指導に当たって細かく学習スケジュールを決め、理想通りに行かなければ激昂して、「なんでできないんだ!」と暴力を振るった。憲吾の教育虐待は受験が近づくにつれて激しいものになっていった。小学6年の頃には包丁を突き付けて、勉強させることが日常になっていた。そしてこの年の夏、ついに事件は起こる。憲吾は崚太君を指導している際、言う通りにできなかったことに怒り狂って我を見失い、息子を包丁で突き刺したのである。崚太君はそれによって命を落とすことになった。後の裁判で、教育虐待が起きた一因にASDの特性が関係していることが指摘されたものの、憲吾は殺人罪で懲役13年の判決を言い渡されることになった。次は裁判長の言葉である。「中学受験の指導の名の下、長男の気持ちを顧みることなく自分の指導・指示に従うよう独善的な行為をエスカレートさせたあげく、衝動的に犯行に及んだ(中略)父親によって命を奪われた長男の驚きや苦痛は察するにあまりある」これほど過激な事件に至らなくても、取材の最中に何人ものASDの親が教育虐待をする例に出会った。そうした親たちによく見られるのが「ASD+高学歴」という特徴だ。発達障害の人は、知的障害とは違うので、必ずしも勉強が不得意ということではない。むしろ、彼らの強いこだわりが学業に向かうとは、その人は勉強にのめり込み、高い学力を有することになる。
医師や研究者など、高い学力を必要とする職業に発達障害の人が多いと言われるのは、そうしたことが一因としてある。人の気持ちを汲み取るのが苦手だったり、独善的な意見を押しつけて人とうまく付き合えなかったりするが、学力は高くなるのだ。
彼らは学歴ゆえに社会的な地位を手に入れられるし、子供に受験をさせるだけの経済的余裕も持っている。だから、自分の成功体験を子供に押しつけ、受験を強いる。それで子供が期待に応えられるだけの成績を出せばいいが、勉強の得意不得意は運動能力と似たようなものなので、親と同程度の学力がつくとは限らない。そうなると、親はそこを理解せず、ASDの強いこだわりを子供への指導へ向け、先の事件のように虐待と呼ばれるような行為に及ぶのだ。発達障害と教育虐待の関係でもう一つ重要なのは、子供が同じように発達障害だった場合だ。発達障害は100%ではないが、遺伝的要素があり、親子がともに発達障害ということがある。次は、拙著の取材で知り合った親子の例だ。上原琉星(仮名)というADHDの子供がいた。彼は子供の頃から集中力がつづかず、あっちこっち歩き回ったり、人にちょっかいを出したりしていた。彼の父親も発達障害だったが、琉星とは異なり、非常に強いこだわりを持って一つのことを黙々とするタイプだった。琉星が小学校に上がってから、父親はだんだんと彼の成績不振が気になるようになった。学校では立ち歩いてばかりいて何度も教員に呼び出され、成績はずっと低迷をつづけていたのだ。そこで父親は自ら琉星の勉強を指導することにした。だが、ドリルをやれと言っても、琉星はやらずにどこかへ行ってしまう、塾へ入れても公園や商店街に寄り道をして行かないといったことがつづいた。サボっているわけではなく、ADHDの特性がそうさせていたのだ。
だが、父親は理解を示さず、「集中力がない」「遊びの誘惑に勝とうとしていない」と考えた。そして指導にこだわるあまり、琉星を勉強部屋に無理やり閉じ込め、力ずくで机に向かわせるということをつづけたのである。
琉星はそんな生活を何年も強いられたことで心を病み、勉強どころか、逆に家庭内で暴力を振るうようになった。親だけでなく、子供の発達障害も絡んで、過度な教育がのっぴきならない状況に陥った例だといえる。これに対して、取材した医師は、こうした親子関係について次のように分析する。「子供が持っている障害の種類によって親の行動が変わることがあります。親が勉強を強いた時、ADHDやASDの子供は、じっとすわっていられないとか、思い込みで違うことをやるなどといったことがあります。特性が行動にあらわれる。それゆえ、親は子供に対して『止めなさい』『ちゃんとやりなさい』という具合に行動制限をかけようとするので、叩くなど身体的な抑制を伴う教育虐待が生じやすいのです」現在、10人に1人の子供が発達障害だといわれている。逆に言えば、親の方も10人に1人が発達障害ということになる。私は発達障害がかならずしも教育虐待につながるとは思わない。ただ、本稿で見てきたようにいくつかの要因が重なることで、それが虐待と呼ばれるほどの指導を引き起こすことがある。子供にはその特性に応じた勉強の仕方があり、拙著では教育虐待とは正反対の正しい教育とは何かを示した。親がなすべきは、自分の偏った考え方や、世の中で行われている学習法を一律に押し付けることではなく、子供自身の特性をしっかりと見極め、何が合っているかを考えて示すことだ。第3次中学受験ブームの今だからこそ、親の歪みが子供に向かわないようにしたい。取材・文/石井光太
★取材協力者募集シリーズ「発達障害アンダーグラウンド」では、発達障害の人々が抱えている生きづらさが社会の中で悪用されている実態を描いています。発達障害は、時として売春、虐待、詐欺、依存症など様々な社会問題につながることがあります。もしそうしたことを体験された人、あるいは加害者という立場にいた方がいれば、著者が取材し、記事にしたいと考えています。プライバシーや個人情報をお守りすることはお約束しますので、取材を引き受けていいという場合は下記までご連絡下さい。メールアドレス:[email protected]:@shueisha_online