経営悪化で『名古屋シネマテーク』が41年の歴史に幕 閉館等相次ぐ名古屋のミニシアターに訪れた「試練」

長年にわたり映画文化を発信してきたミニシアターの「名古屋シネマテーク」。7月28日、41年の歴史に幕を閉じ、別れを惜しむ多くのファンが訪れました。 名古屋市千種区今池。昭和レトロな雰囲気の雑居ビルの2階にあるのが、小さな映画館「名古屋シネマテーク」です。
待合ロビーには、舞台挨拶に訪れた監督や俳優のサインが並んでいます。
営業最終日、40ある座席はいっぱいになり、長年通っていた常連客たちが別れを惜しみました。
74歳女性客:「まさかここがなくなるとは考えていなかったから。(ドキュメンタリーの)有名な監督さんの特集だとか、本当に楽しかったですね」52歳男性客:「行きたくなる『楽しい学校』といいますか。たくさんの楽しい学びを教えていただいた感じ」 シネマテークを立ち上げた倉本徹代表(78)の姿もありました。
倉本徹代表:「日常と変わらないような気もしますけれども。良かった。これで何も残すことはないかな」 劇場の見納めに訪れたのは、客だけではありませんでした。 映画監督の福島拓哉さんは、名古屋大学在学中にシネマテークでアルバイトをしたことで、映画の道を志したといいます。
福島拓哉監督:「映画学校とか行けなかったのでここで映画覚えて、大学で8ミリで映画作ったりしながら。自分にとっては映画の学校だったのは間違いない」 様々な人に影響を与えたシネマテークは、倉本代表と仲間の映画の自主上映活動がルーツで、1982年に常設の映画館をと立ち上げられました。
隣には貴重な映画資料を集めた図書館もありました。倉本徹代表:「これは10万出して買った『映画検閲の記録』。研究用に使ってもらえればと思って、10万出して買ったんですけど」 全国のミニシアターを牽引し、映画文化を発信してきました。
倉本さんと映画館の立ち上げに関わったのが前の支配人、故・平野勇治さんです。平野勇治前支配人(2004年):「賛否両論ある映画、ちょっとこれ危なそうだからやらないでおこうという映画をなるべくやりたいというところもあるので」
社会問題を扱う国内外のドキュメンタリーに、若手監督の作品など、大手の劇場が扱わない映画を中心におよそ7500作品を上映してきました。
しかし、2000年頃から経営状況が悪化し、閉館を決めました。倉本徹代表:「年齢が78歳で。(借金を残さず)ここをやめて整理だけしておく方がいいだろうなと」 ミニシアターに恵まれているといわれてきた名古屋ですが、2023年3月に「名演小劇場」が無期限の休館となったばかりです。
シネマテークの翌年に開館した名古屋駅前にあるミニシアター「シネマスコーレ」の木全純治代表にも話を聞きました。
シネマスコーレの木全純治代表:「お互い40年一緒にずっとライバル関係でやってきたので、ちょっと残念だなという気持ちが非常に大きいです。世代交代して、次の世代がミニシアターというものをどこまで価値があるかどうかの試練の場になっていると思うんですよ」 名古屋シネマテーク最後の上映は、ドキュメンタリー映画の鬼才、原一男監督の「全身小説家」。原監督のトークショーでしめくくりです。
原一男監督:「(シネマテークは)世界の尖がった映画を上映してきたはずなんですよね。ここに見に来る観客の人たちは、世界の最先端で一体どういう事が起きているか、映画を見て学ぶわけじゃないですか。学びの場としては最高の環境だった。ミニシアターで自主製作のドキュメンタリーをビジネスとして取り上げる動きが(私たちの世代で)一気に加速したんですから。その時代が今終わろうとしている。(映画の発表場所を)私たちより下の世代はどうすればいいか、その世代が自分たちで考えるしかないんじゃないでしょうかね」 また一つ、名古屋からミニシアターの灯が消えました。