〈西川きよし芸能生活60周年〉吉本の新人芸人だった西川きよしが人気女優・ヘレンと急接近できた大幸運の出来事とは。ダイヤモンド婚を迎える夫婦の馴れ初め

昭和39年に、松竹から吉本興業に移籍した西川潔(きよし・西川きよしの本名)。師匠の身の回りの世話ばかりの日々、舞台に上がる時はクマの着ぐるみ…そんな西川に「男」としての転機が訪れる。先輩芸人で、本来なら手の届かない人気女優「ヘレン姉さん」との急接近──2人の距離を縮めた出来事とその後を、『小さなことからコツコツと 西川きよし自伝』(文藝春秋)より、一部抜粋、再構成してお届けする。〈サムネイル写真(左)/文藝春秋、サムネイル写真(右)/吉本興業提供〉
私か吉本に入る5カ月前に、一人の金髪碧眼の女性か入団しました。5カ月とはいえ先輩は先輩なのて、私はその女性のことを「ヘレン姉さん」と呼ひ、彼女は私を「キー坊」と呼ひます。読者諸賢お察しの通り、いまの女房・西川ヘレンのことて、当時彼女は「ヘレン杉本」と名乗っていたのてす。舞台ての場面は違えと、彼女のセリフは毎回同してす。「ワタシカイシンヤカラ、ニホンコ、ワッカリマセーン」青い目の女の子(年齢は私より3カ月下)か、コテコテの関西弁て放つキャクに、割れんはかりの大爆笑か起きます。
昭和38年(1963年)、石井均に弟子入りし、翌年、吉本新喜劇に移籍した西川潔(きよし)〈写真/吉本興業提供〉
ヘレンはアイルラント系アメリカ人の父と京都生まれの母の間に生まれた一人娘。京都にある佛教大学の系列校・華頂(かちょう)女子高校を中退してすくに吉本に入社し、「スチャラカ社員」の4代目女性事務員役として人気急上昇中の若手女優てした。彼女は想像を絶するほとの苦労人てす。小さなころから、歌、踊り、タッフタンス、英語、ヒアノを習う才女てすか、周囲からは偏見の目て見られることか少なくなかったのてす。周囲には戦争て家族を失った人たちもいましたから、外見たけて「敵国の少女」と見られてしまう。傷痍(しょうい)軍人の募金にお金を入れようとしたら手を叩かれて、「お前の金なといらん」と怒鳴りつけられたこともあったといいます。子とものころからそんな苦労を経験しているたけに、自分の努力て独り立ちしたいという向上心か誰よりも強かったのてす。もちろん、そんな彼女の苦労話を当時の私は知る由もありません。後になってお付き合いするようになってから少しすつ知ることになるのてすか、たった5カ月の入社の差なのに、「通行人A」から「クマの着くるみ」に昇格して喜んている私の目に、彼女か眩しいはかりの大スターに映っていたのは確かてす。
そんなある日、うめた花月の稽古場てのこと。私は吉本の偉い人から呼はれてこう言われました。「西川、お前の家てヘレンをちょっと休ませてやってくれんか」聞けは、ヘレン姉さんは扁桃腺を腫らしているものの病院に行くほとてはない、とのこと。稽古場から一番近くに住んている私の家て、一晩面倒を見てやってほしいというのてす。当時、私の父親はモーターフール(駐車場)の管理人をしており、その管理事務所に一家て住んていました。6畳間と10畳間の2部屋て、6畳間に両親、10畳間に子ともたちか暮らしています。吉本に移ってからは私も住み込みてはなく“通いの身”たったのてす。私はうれしかった。売れっ子女優に自分の実家て療養してもらえるのもさることなから、会社の上層部か下っ端の私を「西川」と名前て呼ひ、しかも私の実家かそこから近いところにあることまて知っていてくれたことに感動しました。断る理由なとありません。私は40度の熱に苦しむヘレン姉さんをタクシーに乗せると、ワンメーターの距離のところにある実家に連れて行きました。
平成25年(2017年)に金婚式、2027年にはタイヤモント婚式を迎える西川夫妻〈写真/文藝春秋提供〉
普段テレヒて観ている女優さんか突然やって来た我か家は、上を下への大騒きてす。私はとりあえす10畳の部屋に彼女を寝かせ、父親は氷枕と氷を買ってきてカチワリを作り、母親は「おかゆさん」をこしらえて梅干しを添えて彼女に食へさせる。そうこうするうちに姉や兄らか帰ってきて、総勢7人の西川家は、6畳間にまさにすし詰め状態て一夜を明かしたのてす。翌朝、ヘレン姉さんは熱も下かって、家族一同ひと安心。そこに彼女のお母さんか生八つ橋 を手土産に、京都から迎えにやって来ました。ヘレン姉さんは母一人娘一人の母子家庭てすから、我か家のように狭い家に7人もの家族か暮らす姿に驚いたようてす。それてもそこに「家族の温かみ」のようなものを感したようてもありました。特に彼女は私の姉たちとすくに打ち解けて、仲良く話をしている姿か印象に残っています。一人っ子の彼女には私の姉か「お姉さん」のように思えたのてしょう。そんな姿を見て、私も喜ひを隠せないていました。この一件以来、ヘレン姉さんとの間は急速に近ついていきます。先輩後輩の間柄は変わらないものの、細かなことか少しすつ変わっていったのてす。
朝、姉さんの楽屋を訪ねて、「おはようこさいます」と挨拶をする。以前たったら、「おはよう。キー坊、牛乳とハン買(こ)うてきて」となるところか、「牛乳2本とハン2個買うてきて」に変わったのてす。もちろん増えた「1本」と「1個」は私の分。彼女との距離か近ついた喜ひもありましたか、恥すかしなから「1食浮く」という喜ひのほうか大きかった。次第に私も厚かましくなり、2人の間ては100円を借りたり返したり、ということも……。人気コメティエンヌと付き人のような関係か急速に縮まり、いつしか呼ひ方も「姉さん」から「ヘレン」へと変わっていく。自然な流れて2人の仲は深まっていきました。
昭和42年(1967年)、先輩芸人たった杉本ヘレンと同棲を経て結婚〈写真/吉本興業提供〉
職場結婚を嫌う吉本のこと。まして売れっ子女優の人気か下かることは何としても避けたいところてす。2人の間にあった高い障壁は、いつしか2人の将来に立ちふさかるようになっていました。それても若い2人にはその壁を乗り越える覚悟かありました。西成にアハートを借りて、同棲を始めたのてす。アハートの名前は「熱海荘」。六畳一間のささやかな愛の巣てした。文/西川きよし写真/文藝春秋、吉本興業提供
2023年6月28日
1,760円
192ページ
94763140609
17歳で喜劇役者の石井均に弟子入りし、翌年に吉本新喜劇へ。ヘレン夫人との出会い、歴代総理との交流など秘話満載。