武装反乱後も影響力を保持? ロシアの「政商」プリゴジン氏はなぜ“粛清”されないのか?

武装反乱に失敗した後、ベラルーシに亡命したとされる傭兵企業ワグネルグループの首長エフゲニー・プリゴジン氏が7月27日(現地時間)、ロシアのサンクトペテルブルクで撮影された写真が公開された。なぜ彼は反乱後も一定の影響力を保持できるのか?
冷戦終了後の1991年に誕生した、ロシア連邦で初となる、武装反乱は、わずか1日で未遂に終わった。首謀者である民間軍事会社ワグネルの創設者、エフゲニー・プリゴジン氏に誤算があったのか。政権側と「取引」が成立したのか。誰と誰が対立しているのか。まだまだ謎は多い。しかし、今回の武力反乱(本人は「正義の行進」としている)の根底に、プーチン大統領とプリゴジン氏の特別な朋友関係が横たわっていることを見逃してはならない。
ロシアの傭兵企業・ワグネルグループのプリゴジン氏(写真/共同通信社)
幼くして父を亡くしたプリゴジン氏は16歳で陸上競技専門の寄宿制学校を卒業後、サンクトペテルブルクの不良仲間に入る。ロシア独立系メディア「メドゥーサ」によると、1980年3月の夜、プリゴジン氏は3人の仲間と夜道を歩く一人の女性を襲った。背後から女性の首を羽交い締めにして意識を失わせ、金のイヤリングや靴を窃盗したのだ。その後もプリゴジン氏の狼藉は止まず、ついには強盗や詐欺などの罪で9年間の服役をする。ソ連崩壊の直前の1990年、29歳で出所したプリゴジン氏はホットドッグ店を始め、大当たりをした。マクドナルドがモスクワに1号店をオープンさせて、ファストフードの時代が到来すると読んだのだ。共産党下のソ連でその利益は毎月千ドルにもなり、アパートの台所までもがルーブル札の山になったという。ビジネスでの上昇志向と戦略性は時代の追い風を受け、90年代後半になるとさらに花開く。ロンドンのサヴォイ・ホテルから腕のよい料理人をヘッド・ハントしてオープンした高級レストランが大評判となり、有名人や政財界の大物も足繁く通うようになる。その中に当時、サンクトペテルブルグ副市長だったプーチン氏がいた。プリゴジン氏とプーチン大統領との特別な関係はこのレストランビジネスから始まったとされている。パリで水上レストランが流行っていると聞きつけるや、さっそく水上レストランを地元でオープンさせ、ブッシュ米大統領やシラク仏大統領などを招き、やがてプリゴジン氏は「プーチンの料理人」と呼ばれるようになる。幼少期は悪童だったと告白するプーチン大統領は柔道のお蔭で道を誤らなかったとされるが、プリゴジン氏の場合は飲食業で「真っ当な社会人」となった。二人はどこか類似している。
ただ、彼は並のレストラン経営者に止まらなかった。プーチンとの個人的信頼関係を利用し、「政商」としてプーチン政権の陰の重要プレーヤーとなっていったのだ。プリゴジン氏がコンコルドという持株会社を通じて、プーチン政権のさまざまな政府関連契約を勝ち取ったのは1995年のことだった。軍の食糧やモスクワの学校給食の提供など、いわば究極の随意契約みたいなもので、コンコルドは巨額の利益を上げたとされる。とはいえ、その経営はずさんで、学校給食事業では「食べ物が食品添加物だらけ」と保護者からボイコット運動も起きたほどだった。ロシア政府との随意契約ビジネスの次にコンコルドが目をつけたのが軍事活動だった。プリゴジン氏からプーチン氏への提案でワグネルという民間軍事会社が生まれたとされるが、そのネーミングはもう一人の創設者、ドミトリー・ウトキン中佐に由来する。ワグネルはヒトラーの好んだ作曲家ワーグナーを指すが、ウトキン中佐がネオナチ信奉者だったことから、この名前が付けられたとされる。
ロシアのウクライナ侵攻でも存在感を発揮したワグネル(写真はイメージです)
ワグネルが国際的な表舞台に“デビュー”したのはロシアがクリミアに侵攻した2011年のことだった。ロシア正規軍が動いていないのに、謎の覆面民兵があれよあれよという間にクリミアの軍事基地や議会を占拠した。さらにこの謎の集団はウクライナ東部ドンバスでの紛争にも出動し、めざましい戦果をあげた。欧米メディアはその異様な迷彩服姿から”little green men”と形容した(BBC, 2014年3月11日)。この覆面民兵こそ、ロシア軍参謀本部特殊部隊(GRU)や空挺部隊特殊部隊(VDV)とワグネルの混成部隊だった。ちなみに、ロシア特殊部隊とワグネル部隊を投入する軍事侵攻作戦はウクライナ戦争開始直後、ロシアが首都キーウを占領しようとした際にも試みられたが、米側に情報を察知されて失敗している。クリミア半島併合やウクライナ東部での軍事作戦以外にも、ワグネルは陰に陽にロシア軍と連携し、少なくとも世界18カ国で活動している。中東、アフリカが大半だが、活動する国には3つの共通点がある。第1に統治能力が弱く、治安が悪化している国。第2に権威主義体制や軍事体制の国。第3に希少天然資源が豊富な国の3点だ。
中東のシリアはバシール・アサド独裁政権が盤石の時は外国勢力のつけ入る隙はなかったが、内戦が激化してアサド政権が弱体化すると、ワグネルはアサド体制を支えるロシアの裏部隊として介入・暗躍した。ただし、この時は裏部隊としての悲哀も味わっている。ISIS(イスラム国)と闘うアサド政府勢力の支援に投入されたものの、なぜか、同じくISISを叩いていた米軍と交戦する羽目になり、部隊の半数を失った。この時、ロシア政府軍から援軍を拒否されたことがプリゴジンのショイグ国防相への不信感に繋がっているという見方もあるほどだ。ワグネルのビジネス販路がもっとも拡大したのがアフリカだ。中でも旧フランス領で政情不安定な中央アフリカ共和国はワグネル介入の典型的なケースと言える。反乱軍の鎮静化に悩むトゥワデラ大統領がロシアに支援を要請すると、ワグネルはロシア軍とともに警備・治安部隊訓練のためにアフリカ入りし、警察や消防などの社会インフラを補った。ワグネルの食い込みぶりは凄まじく、翌年にはプリゴジン氏所有のコングロマリット、コンコルド・グループが中央アフリカ共和国での金やダイアモンドの採掘権も獲得している。
中央アフリカ共和国
また、市民に対する日常的な脅迫やハラスメント、恣意的な拘束、誘拐、拷問、見せしめ的処刑など、横暴の限りも尽くしている。こうしたワグネルの犯罪行為を調査・報道しようと現地に入ったジャーナリスト3人が到着3日後に、待ち伏せされて射殺された。犯人像や背後組織などはいまだ特定されていないが、国連の人権高等弁務官事務所(OHCHR)はワグネルを名指しで人権侵害勢力と指摘している(OHCHR報道リリース、2021年10月)。国連は西アフリカのマリでも同国中部の村で、政府軍と協力してワグネルの傭兵が600~700人の民間人を処刑したと非難している(OHCHR、報道リリース、2023年1月)。聡明な読者にはすでに明らかだろうが、ワグネルという民間軍事会社(PMC)はロシア政府が大っぴらに認めたくない「汚れ仕事」を担う便利屋なのだ。
こうしたニッチな軍事ビジネスを請け負う民間軍事会社はロシア国内に複数存在する。ロシアは法律上、民間軍事会社を認めていない。しかし、現実にはワグネルを筆頭に37社の民間軍事会社がある。たとえば、「パトリオット」という傭兵会社はなんと国防大臣のショイグ氏が創設したという。その意味することは、現役の国防大臣が自分の会社に陰の軍事・警備などの仕事を「アウトソーシング」するということだ。民間軍事会社を「活用」する利点は先にも指摘した通り、ロシア政府が認めたくない国外での軍事行動や干渉をごまかせることにある。英語圏ではこうした国家の行為を”plausible deniability” (もっともらしい否認、つまり、尻尾を掴まれない逃げ道)という表現で呼んでいる。ロシアではこの逃げ道を確保するために民間軍事会社は法的に存在していないことになっており、その建前と本音の挟間にプーチンとプリゴジンの特別な朋友関係が築かれてきたのだ。
ところが、ウクライナ戦争でこの逃げ道が通用しなくなってしまった。日陰の存在であるはずのワグネルがロシア軍進撃の重要な駒として、表舞台に登場したためだ。大統領選を控えて兵士の本格的動員に踏み切れないプーチン大統領にとって、ワグネルが擁する傭兵集団は貴重な戦力となる。ウクライナ戦争でのワグネルは従来の退役エリート部隊などの経験者ではなく、「半年生き延びれば出所できる」といった契約で入隊した囚人たちが7割を占める素人兵士の集団にすぎない。しかし、「大砲の餌食」といわれる肉弾戦でおびただしい戦死者を出しても政府軍ではないため、公式な戦死者統計にカウントせずにすむ。プーチン大統領にとってこれほど都合のよい戦力はない。注目すべきは今回の「プーチンの戦争」で、日ごろは水面下で活動するワグネルがバフムト攻略など、ロシア軍にとって数少ない戦果をあげたため、ロシア国民から一定の支持と人気を得たことだ。プリゴジン氏の反乱のシナリオは、この人気に乗じて犬猿のショイグ国防相やゲラシモフ参謀総長らを拘束し、6月に国防省が出した「傭兵は全員、軍と正式契約すべし」という命令を取り消させることだったと目されている。傭兵と正規軍が一体化すれば、ワグネルは完全に軍の統制下に入ることになり、プリゴジン氏の権力基盤は消滅しかねない。プリゴジン氏はプーチン大統領との長年に渡る特別な関係を考えれば、反乱を起こしても守ってくれると信じて賭けに出たのではないか――。それが私の見立てだ。ロシア軍中枢にも反主流・改革派のスロビキン前総司令官ら、反乱に同調してくれる勢力がいたことは確かだ。しかし、計画は途中で情報当局に把握され、プーチン大統領はプリゴジン氏を切った形になってしまった。現に国営メディアは「北のクレムリン」といわれるプリゴジン宮殿のガサ入れの様子などを伝え始め、同氏の社会的暗殺を狙っているようにみえる。
現代では世界のさまざまな紛争地で傭兵組織、民間軍事会社(PMC)が活動している。アメリカや中国もロシア同様、数多くのPMCを抱えている。たとえば、イラク戦争参戦で巨額の報酬を得たアメリカのブラック・ウォーター社は民間人への虐殺行為などを引き起こして信用が失墜したものの、社名を「アカデミ」と変更して現在でも存続している。傭兵の歴史は古く、世界最古の職業である売春に次いで二番目に古い職業と言われる。近代にナポレオンが徴兵制と志願制を中心とする国軍を創設するまで、戦争はほぼ傭兵の仕事だった。アジアでは唐を滅ぼした安禄山も傭兵組織の頭だった。その安禄山は皇帝即位後わずか1年で次男の安慶緒に殺害され、建国した大燕はあっけなく滅んでしまった。
7月19日にはベラルーシ国内でプリゴジン氏らしき人物がワグネル兵士を歓迎する動画がSNSに投稿されたのに加え、27日には同氏が中央アフリカ関係者とみられる男性と笑顔で握手する写真も公開された。はたしてプリゴジン氏はしぶとくロシア屈指の民間軍事会社のトップとして生き残るのか、それとも現代ロシアの安禄山となるのか。その先行きはいまだわからないままだ。文/小西克哉 写真/shutterstock