高齢者との哲学対話で梶谷先生が見つけたこと

「哲学対話」をご存じだろうか。自由に話し、問い、考えることを“みんな”で共にすることだ。「何を言ってもいい」「お互いに問いかけるようにする」「分からなくなってもいい」これらは梶谷先生が掲げる「哲学対話」のルールの一例。哲学対話では、能動的に「楽しく考えること」を体験することができる。世代を問わず、哲学対話を主導する梶谷先生だが、実はある時期まで高齢者との会話が「面白くないもの」だと感じていた。そんな考え方が一変した「哲学対話」があったようで……。高齢社会における「対話」について、梶谷先生にお話を伺った。
みんなの介護ニュース編集部(以下、――)「哲学対話」を通じて、考える楽しさを広められている梶谷真司先生にお話を伺います。
ご著書『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』に、「高齢者のコミュニティで哲学対話をした」という一文があります。詳細を伺えますか。
梶谷 ワークショップを研究している森玲奈(※)さんが行っていたプロジェクトに「哲学対話」を導入した際のことですね。
森さんのプロジェクトの背景には「ラーニングフルエイジング」という考え方がありました。「生涯学習を多世代による“共生”で実践していく」という考え方で、学習の一環として「哲学対話」を多世代で行ってみよう、と。
※帝京大学 共通教育センター 准教授。専門は教育学、生涯学習
―― 生涯学習というと、高齢者が注目されます。多世代というのがポイントですね。
梶谷 そうですね。例えば認知症対策として高齢者が「習いごと」をされていることがありますが、そのようにして一人で何かに取り組むのではなく、森さんが受け持つ学生をはじめとした多世代が高齢者のコミュニティに参加させてもらい、「学び合う」ことが目的でした。
―― 高齢者のコミュニティは、プロジェクトのために一から創設したのでしょうか。
梶谷 いえ、東京多摩地域の百草団地に「百草団地ふれあいサロン」(以下、ふれあいサロン)という高齢者のコミュニティがもともとあり、2008年から活動をしていて、私たちは2015年からプロジェクトで関わるようになったんです。
公団住宅にある寄り合い所を想像してもらえるといいですかね、近隣の高齢者が過ごせるような場所です。
その「ふれあいサロン」と森さんがプロジェクト前から交流があり、そこを学びの場にさせてもらうという流れでした。

―― ありがとうございます。実は、冒頭でお伝えした箇所には次のような文章が続いています。
「いささか失礼な話だが、それまで(編集注:上記の哲学対話の実施前)私は、高齢者と話すことは気を遣って表面的なやり取りしかできず、面倒くさくて面白くないものだと思っていた」(『考えるとはどういうことか 0歳から100歳までの哲学入門』P157より引用)
高齢者に対して、このようなイメージを抱かれていた理由を伺えますか。
梶谷 そんなことを書きましたか(笑)。

―― その後には「哲学対話では初対面でも気をつかわずに楽しめた」と続きます。
梶谷 その文章は「ふれあいサロン」での経験を経て書いていますので。そこでの体験によって考え方が変わったということです。
僕もだんだんと年を取ってきて高齢者に近づいているので、他人のことは言えないのですが……30~40代の方やもっと若い人で「高齢者」と話すことを“楽しいこと”だと認識している方がどれほどいるのでしょうか。
気をつかいませんか? 気をつかって話したって面白くないでしょう。
―― (笑)。気をつかってしまう理由はどのようなことでしょうか。
梶谷 単純に「年上」という理由もありますが、関係性が適切でないことが理由でしょう。年上の方とお話をするような機会を考えてみると、仕事上の必要や授業の実習などがあったりするように「何か」があって話すわけですよ。高齢者だから話すわけです。
―― 会話そのものより「高齢者」が先行しています。
梶谷 そう。それだけでなく、「高齢者と話すと楽しい」という経験が一般的にどれほどあるのかわかりませんが、僕にはなかったわけですよ。
ただし、世代的なところもあるのかもしれません。うちの娘は成人していますが、彼女ぐらいの世代は“おじいちゃん”“おばあちゃん”が大好きなんですよね。
―― 高齢社会の特徴なのかもしれません。
梶谷 おじいちゃん、おばあちゃんも長生きしているからね、父方母方の四人からお年玉やプレゼントをたくさんもらったりしてね(笑)。祖父母世代にそういった「良い」イメージを抱いている世代なのかもしれません。

―― ちなみに、先生はいかがでしたか。
梶谷 父方がとても保守的な家系で、祖父が「とにかく偉い」ような家庭に生まれました。岡山にある祖父母の家に着くとまずは正座で祖父に挨拶をしていました。
父は祖父と敬語でしか話しませんでしたよ。“タメ口”なんか絶対にききません。
―― おじい様には恐れのような感情を抱かれていたのでしょうか。
梶谷 僕が物心ついたころには、「おお。よう来たな」と、それぐらいで会話が終わるような関係でしたから、怖いというよりも、そもそも話す相手ではありませんでした。
あるとき、娘から「おじいちゃんのこと好きだった?」って聞かれたことがあったんですが、驚いて答えられませんでした。「好き嫌い」という感情で面したことがなかったから。僕も父とは敬語で話しますよ。
―― おじい様のことがあったからなのでしょうか。
梶谷 どうでしょう、本家・分家を大事にする「堅苦しい」家系でしたからね。
父は分家の次男で、父は長男に対しても敬語で話すほどです。久しぶりに会えば、「元気にしておられますか」と始まるような関係性。
―― 現代では本家・分家という「制度」が形骸化している印象です。
梶谷 そうですね。家父長的な秩序がそれほどの意味を持たないようになったんだと思います。子どもも少なくなっているし、分家・本家というほど子どもがいないですから。「〇〇家」を維持していくことが機能していませんよね。
うちの父の世代まではある程度は機能して、親族が“揉めない”ようにきちんとして亡くなることが大事な責任のとり方のひとつだったような時代です。
―― 時代の変化は、子どもが少なくなってきていることだけではありません。
梶谷 これは本当によく言われることですが、「昔」は年齢を重ねた人間が持つ能力や知識が圧倒的に大事でした。社会がコロコロ変わりませんから。
でも、いまは世の中が変わるスピードが早すぎて、年齢を重ねた方の発言や考えが正しいとは限りません。すると、権威が下がって「偉ぶる」ことも難しくなり、特に男性は“愛想”を良くしてないと厳しいような状況なのではないでしょうか。
愛想を良くして、孫や子供たちといい関係を築くことが求められるようになっていると思うんです。

―― 「愛想の良さ」だけでなく、社会への新しい関わり合い方も求められている印象です。
例えば介護業界においては、男性のデイサービス(通所介護)をはじめとした「社会参加」を促す動きが活発化しています。
梶谷 さきほどお話した「ふれあいサロン」で私たちが体験した話に通じることです。「ふれあいサロン」の運営も女性が中心でしたから。
働きに出かけている男性が多いことも理由のひとつですが、男性の参加者は圧倒的に少なく、「哲学対話」に参加されたのも基本的には女性です。
―― 男性は参加されないのでしょうか。
梶谷 最初はお一人だけ哲学対話に参加されていました。コミュニティに来られている他の男性は、見るとも聞くともなしに窓際で将棋をやっている方が数人いらっしゃる程度。
でも、あくまでも「ゆるい繋がり」を標榜していたので、「みんなで話しましょう!」とか「何か一緒にやりましょう!」ということはしていません。
―― それでしたら、男性も気軽に参加できそうです。
梶谷 はい。安否確認も兼ねているので、サロンに来られなくなった方のご様子は見に行きますが、無理に参加を促すような声掛けは控えていました。
ですから、「哲学対話」が始まっても、将棋をなさっている男性に参加を促したりはしません。
―― 男性の心情が気になります。
梶谷 そうそう。面白かったのは、何回目かの「哲学対話」のときに起きたことがありまして。
窓際で将棋をさされている男性にも対話は聞こえているわけですよ、話の内容は耳に入ります。ある日の「哲学対話」の最中に、それまで将棋をしていた男性が急に立ち上がって「俺にもひとこと言わせてもらってもいいか」みたいな感じで哲学対話に入ってきたことがあって。

―― 自発的に。理想的な参加ですね。
梶谷 「そういうふうになったらいいですね」と、事前に話していたことが、実際に起きました。プロジェクトの一つのハイライトでしたね。
―― 男性に限らず、高齢者の社会参加という点で参考にさせて頂きたいお話でしたが、身近な環境で実現可能だとお考えでしょうか。
梶谷 難しいと思います。「ふれあいサロン」を例にすると、百草団地の近くには学校があって、若い世代の流入はあるわけですよ。
でも、生活圏がわずか数百メートル違うだけで、高齢者の多いエリアと新しくやってきた若い世代のエリアが分かれてしまっているんです。
―― 意図的ではないですよね。
梶谷 もちろん。地理的には近いのに生活圏が違うことで交流が自然発生しないんです。そこで、「ふれあいサロン」では、子どもに来てもらうようなイベントを以前からやっていたんです。
―― 多世代の交流を促す素晴らしい取り組みです。
梶谷 ただし、ここには課題があります。高齢者と接するのが幼稚園の園児や小学生が多く、高校生や大学生となればボランティアや学校の課題の体験学習での「訪問」なので、“自然”とは言えません。
さらに言えば、「ふれあいサロン」が成功した理由は、コミュニティを立ち上げた方々がそもそも「活発な方々」なんです。
―― 「外部」の人間が先導して作ったコミュニティではないということですね。
梶谷 そう。ですから、新しくコミュニティを作るのではなく、既存のコミュニティで「今日は違うことをやりましょう」とするほうが良いと思いますね。
―― 具体例を教えてください。
梶谷 例えば「哲学対話」を「女性向けの子育てサークル」で実施する場合、「旦那さんも連れてきてくださいね」と案内することがあります。地方の若年層向けのコミュニティで実施する場合は、「おじいちゃんおばあちゃんも連れてきてください」、と。
―― 「場」があれば可能ということですね。
梶谷 一からコミュニティを作ろうと思って、「こんな楽しい場を作りますので、お母さんもお父さんもお子さんもおばあちゃんもみんなで来てください」と言ってみたところで来ないですよ、わけがわからないから。
「核」になる人たちがいるのが、大事なことだと僕は思います。

―― コミュニティの設立自体がゴールになってしまうケースは少なくありません。
梶谷 無理やり作るのは、所詮「無駄」だと思いますよ。無駄だというのは、「これだけのことをしてあげたのに、どうしてみんな来てくれないんだ」ということが起こりがちだと思います。
労多くして、結局何にもならない。核になる人や場所をきちんと見つけて、そこに協力を仰ぐことですね。
―― 見返りを求めるようになってしまう。
梶谷 「ふれあいサロン」の主体は、創設された方々なんですよ、森さんではなく。そこにこちらがせいぜい対等で関わるのでうまくいくんだと思います。
さらに、「ふれあいサロン」の例でいえば、新しく参加する立場の学生が「楽しいのか」ということも重要です。「学校の課題」としての姿勢では、高齢者に対して気をつかうだけだと思うんですよね。

―― 「ふれあいサロン」での多世代による哲学対話では、どのような「楽しさ・面白さ」がありましたか。
梶谷 学生たちにとっては、自分の知らない時代のことを教えてもらったことは発見だったと思います。
「話が通じないだろう」って思うじゃないですか、世代が違いますから。突っ込んだ話もできなくて、「お元気ですか?」なんて聞いて、おじいちゃんとおばあちゃんも気をつかって「学校は楽しいですか?」みたいな。
そんなどうでもいい当たり障りのない会話しかできないわけですよ。つまらないですよ、気をつかっているだけだから。お互いにね。

―― (笑)。
梶谷 ですが、「哲学対話」ではひとつの問いを巡って、みんながそれぞれ自分の意見を言うので、高齢者にとっては「今の若い人はそういう考え方するんだ」、若い世代にとっては「年配の方はそういうところを大事にするんですね」と、お互いに素朴な「驚き」があるんです。
―― 「驚き」がキーワードだと感じました。面白かったエピソードもお伺いできますか。
梶谷 ええ、もちろん。絵葉書を使ったワークショップをやった回がありました。私が持って行った何十枚という絵葉書の中から1枚選んでもらって、その絵に関連する「思い出話」をしてもらう、という。
―― 意外な返答がありそうです。
梶谷 「人生で一番嬉しかったことを話してください」と聞けば、結婚式の話やお孫さんが生まれた話なんかになりがちです。
でも、絵葉書を通じてさまざまな記憶が掘り起こされたりするんですよ。
―― どのようなお話が出ましたか。
梶谷 博多出身のおばあさんが、戦時下の疎開先でいじめられたというお話が印象的でしたね。
靴を隠されたり、悪口を言われたりしたという話なのに、すごく楽しそうに話すんです。記憶が鮮明に蘇って、ご友人のお名前を全て思い出せるそうです。まるで懐かしむように話していました。
靴を隠されて裸足で帰ったという辛い体験が「思い出」として彼女の中に残っているんですよ。
―― 興味深いです。
梶谷 もうひとつ、これは衝撃的だった話。
その女性は、福岡の街が空爆によって燃えていく様子を疎開先の山の上から見ていたそうです。
街が燃えている。そんな話を聞いたら悲惨なことだと思うじゃないですか。でも、赤々と燃える街並みが「花火みたいで綺麗」だと感じて、それを通っていた小学校の先生に言ったら怒られたって、嬉々としてお話をされるんですよ。
―― 「戦争の話をしてください」という質問では、絶対に出てこない話ですね。
梶谷 そうですね。もし、そういう話を誰かがすれば、周りが“ざわつく”と思うんですよ。でも、その場の高齢者のみなさんが、うなずいているんです。
―― うなずいているのはどのような理由なのでしょうか。
梶谷 共感ですね。実際に空爆されて燃える街を見た、という体験に対してではなく、「戦時下でも楽しいことや変なことで喜んでしまって怒られたという経験があったな」という共感です。
高齢者のみなさんは、ニコニコして聞いているんですが、学生たちはちょっと緊張して話を聞いているという(笑)。

―― (笑)。たしかに緊張感があります。
梶谷 笑っていいのかな、って。でも、僕自身も「こういうことを忘れちゃうんだなあ」と発見があったんです。決して悲惨なだけの日々ではないということです。
戦争を肯定しているわけではなく、どんなに辛くて、どんなに故郷が燃えてひどいことになっていても、楽しい思い出が日々のどこかにはあるんだと知らされる思いでした。
―― 学生のみなさんも発見だったのはないでしょうか。
梶谷 そうですね。こういう「面白い体験」があると、「もう1回来よう」とか「もっと聞きたい」と思いますよね。だから続くんです。
そういう思いが芽生えないような多世代の交流は不毛だと思います。
―― プロジェクトを主導した森さんの手腕も大きいのではないでしょうか。
梶谷 そう、そこが森さんも上手だし、ワークショップの研究をやっているプロだからこそ、学生も高齢者も楽しく学べる場を作れたんですよ。
―― ありがとうございました。先生、最後に介護についてもお伺いしたいです。介護という言葉には、どのようなイメージを抱かれていますか。
梶谷 そうですね、僕自身は介護を全然やりませんでした。母は亡くなっていますが、亡くなるときには施設へ入っていて、本当におまかせで。
在宅で介護をされている方々は、多分、いろんな葛藤を抱えるじゃないですか。幸せいっぱいで介護をしている方は多くないと思います。
介護ヘルパーなどの「人手」を借りることも一つの手ですが、家族間の葛藤がそれで解消されるわけでもないですよね。
―― 利用も限られています。
梶谷 親の介護をすることが、子どもの義務や役割として大事だという考え方もあります。でもそれは、親と子の関係性が「それなりにいいケース」でしかないと思うんですよね。 例えば、親に虐待をされた子どもにも親の介護をする責任があるとは、とてもじゃないけど言えないですよ。

―― 家族が介護をすることが美徳だとされていた時代がありました。
梶谷 親に育ててもらったから介護をする、ということは一般論として無理がありますよ。「子どもは親の最期の面倒を見ろ」という話は理不尽です。親の面倒を見ないなら見ないでそれで構わないと思います。
―― 介護は親孝行と考える方も少なくなくないようです。先生の考える親孝行はどんなことでしょうか。
梶谷 僕は親孝行をしていないし、あんまりする気もないかな。そもそも「親孝行」が何かもよくわからないですし。でも、それで恩返しができなかったとかそういうことでもないと思いますね。
―― 後悔はありますか。
梶谷 いえ、全く。やるべきことはやったかな、と。もちろん全然足りていないですが。それはどこまでいっても、十分ということはないでしょうし。
母の写真をリビングルームの棚に飾っているので、母とは毎日会って話をしています。それが孝行だとは言いませんがね。
それぞれが親のためにしたいと思うことをすればいいだけです。「これが親孝行だ」と世の中で言われていることを無理してやるのは思い込みですよ。
―― 貴重なお話を聞くことができました。本日はありがとうございました。

撮影:宮本信義