<牧之原幼稚園バス3歳女児死亡事件から1年>「今でも娘のいる世界に行きたいと妻と話してます」変わらない一族経営に父は涙「まだ何の“決着”もついていない」

1年前の2022年9月5日、静岡県牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」の駐車場に停められた送迎バスの車内に、河本千奈ちゃん(当時3歳)は置き去りにされ、重度の熱中症で死亡した。千奈ちゃんは午前8時50分ごろから約5時間もの間、炎天下のバスの車内に取り残されていたという。送迎バスを運転していた増田立義元園長ら4人は業務上過失致死容疑で書類送検され、現在も静岡地検が捜査を行っている。9月18日、本来なら千奈ちゃんは5度目の誕生日を迎えるはずだった。誕生日直後の20日、千奈ちゃんの父親(39)が集英社オンラインに胸のうちを語った。
1年前の9月5日、河本さんはベッドで眠る千奈ちゃんの寝顔を見て「行ってくるね」と声をかけ、朝7時30分ごろ出勤した。千奈ちゃんはふだんから寝相が悪く、この日も枕のほうに足を向けて逆さまに寝ていて、それがとても微笑ましく印象に残っているという。「これが僕が千奈と接した最後でした。その後、8時ごろ妻が起きて朝食を食べさせています。歯を磨き、顔を洗い、妻が髪を三つ編みに結ってあげて千奈を幼稚園の送迎バスに送り出しています。幼稚園が大好きだった千奈は送迎バスが到着すると、妻が持っていた幼稚園のバッグを自分から持ち、送迎バスに乗り込みました」4月から幼稚園に通っていた千奈ちゃんだったが、この日もいつも通りの朝だったと河本さんは振り返る。しかし、14時過ぎ、職場にかかってきた妻からの電話で状況は一変する。
朝、幼稚園へと行くため玄関に立つ千奈ちゃん
「会社に電話が入り、受話器をあげようとしたら妻の番号が表示されていて『あれ、どうしたのかな』って最初は思いました。電話に出ると『千奈ちゃんがバスの中で置き去りになって、救急車も来てるみたいだからあなたも帰ってきて』と言われました。妻は気が動転している様子でしたが、僕はまだこの時は千奈は熱中症になった程度だと思っており、大丈夫かな、くらいに思っていました」会社の駐車場で川崎幼稚園に電話を入れると対応したのは元副園長だった。「河本です」と告げ、とにかく千奈ちゃんの様子を聞きたかったので、まず安否を尋ねたのだという。「元副園長は何も言わなかったんですよね。『千奈は大丈夫なんですか』と尋ねても。その様子に僕もなんだかざわついてきて……。気づいたら『千奈はどうなったんだっ。言えっ』と怒鳴っていました。元副園長は泣きそうな様子で『はい。心肺停止です』と言いました。もう気が動転して車の中で怒鳴り続けていました」
千奈ちゃんが搬送された病院に向かった河本さんは、そこで妻と合流し、変わり果てた千奈ちゃんと対面することになる。「救急車などに乗せる際に使うようなキャリーベッドって言うんですかね。そこに千奈は裸で寝かされていて、いたるところに管とかが繋がれていました。前髪は汗で額にべったりくっついている状態で、朝に妻が結ったという三つ編みも濡れていました。目も焦点が定まってないように半分開いていて、口の周りには血の泡が固まったような状態でした。僕も妻も取り乱して『千奈ちゃん、千奈ちゃん』と声をかけ続けていました。医師の方などが5人くらいで心臓マッサージをしてくれていて、心電図が動いていたんです。僕は心電図が動いているなら千奈は生きているのかと思い、医師に尋ねると『心臓マッサージをしているので心電図は動いてますが、やめれば止まります』と言われました。『これ以上、心臓マッサージを続けると内臓が傷つき、悪いほうにしかいかないからやめてもいいですか?』と医師から言われたのですが、僕たちは何も答えられませんでした」
インタビューに応じる千奈ちゃんの父、河本さん
心臓マッサージを中断後、河本さんは千奈ちゃんを抱っこさせてほしいと医師に告げ、抱きかかえようとしたが、ひとりで持ち上げられなかったという。その様子を見た妻が寄り添い、ふたりで千奈ちゃんを抱きかかえた。今思えば河本さんは力が抜けてしまっていたのだという。「その後別室で、浜松の大学病院で事件性がないか千奈が司法解剖されるという話を警察の方から聞きました。1日くらい千奈ちゃんと会えなくなるので、そばにいて話しかけたりしてあげてくださいと医師に言われました。妻は『千奈ちゃん、ちょっと動いた気がする』と言いながら過呼吸になりながら『起きて起きて』とパニック状態でした。僕は千奈の名前を呼び続けて『守ってやれなくてごめん』と謝ることしかできませんした
事件当日は本来のバスの運転手が休んだ関係で、園長が代わりにバスを運転していたというが、『病院に行く予定があり急いでいた』ことを理由に車内の確認を怠ったと語っている。また、それだけでなく担任は千奈ちゃんが欠席ではないことをホワイトボードで確認したうえで、千奈ちゃんの姿が見当たらなかったにもかかわらず、確認を両親に行わなかったことなど、にわかには信じがたいミスが発覚している。「バスの中で千奈は上の服を脱ぎ、麦茶が入っていた水筒は空になった状態だったそうです。その日、バスに乗っていた園児は6人です。降りる前に30秒もあればバスの車内は確認できます。それに千奈が登園していないとわかっていたのになぜ連絡をくれなかったのか。姿が見えなかったなら探してほしかった。ただそれだけでこんなことは起きてないはずなんです。
今年9月18日で5歳になるはずだった千奈ちゃん
いまでも僕と妻は千奈のいる世界に行きたいとたびたび話します。これまでは死後の世界とか信じてはいなかったのですが、そう思ってしまいます。次女の存在が僕らを踏み止まらせてくれていますが、それでもどちらかひとりが千奈のもとにいかないと千奈はずっとひとりなんじゃないかと話したりしています。毎日苦しいなか、生活しています。けど、まだ何の『決着』もついていません。そういったことは『決着』がついてからもう一度考えようと思っています。死ぬことは……、まあ、正直やろうと思えば今日でもできる」事件直後、園側は遺族に「廃園にする」と約束し、念書も交わし、「在園児がいるまでは続ける」と説明をしていたが、2023年度も新入園児を受け入れるなど廃園にする様子はない。責任をとろうとしない園側に遺族は深い憤りを感じているという。河本さんにとっての『決着』とは何か尋ねるとこう答えた。
次女にミルクをあげる千奈ちゃん
「川崎幼稚園の運営は榛原学園が行っていますが、バスを運転していた増田立義元園長は榛原学園の元理事長です。事件後辞任しましたが、新たに榛原学園の理事長に就任したのは増田立義元園長の息子です。結局、一族経営のままなんです。僕は一族経営を辞めさせること、そして川崎幼稚園を廃園にするか、他法人に引き渡すことを『決着』と考えています」#2では事件後の1年のあいだ、河本さんがどのような思いで園側と向き合ってきたかを語ってもらった。取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班