世界最小の戦車「豆戦車」どれくらいミニサイズ? 大流行して「すぐ消えた」納得の理由

正確には戦車ではありませんが、戦車よりもさらに小型で、履帯を装着した「豆戦車」と呼ばれた車両が、かつて流行しました。このような小型な車両が出来たのは当時の状況も関係しています。
正確には戦車の分類ではありませんが、戦車よりもさらに小型で、履帯(キャタピラ)を装着した「豆戦車」と呼ばれた車両が、1920年代後半から、第二次世界大戦の初期まで存在していました。いわゆる「戦間期」と呼ばれる第一次、第二次世界大戦の合間の時代、軍縮の気運のなかで開発された車種でした。
世界最小の戦車「豆戦車」どれくらいミニサイズ? 大流行して「…の画像はこちら >>第二次大戦初期に活躍したポーランドのTKシリーズ(パブリックドメイン)。
豆戦車の元祖といわれているのが、イギリスでトラクター製造を行っていたカーデンロイドが製造した「カーデンロイドMk.VI」という機銃運搬車です。同社は、1920年代後半に履帯式の牽引車を元に超小型の戦車を開発しました。ふたり乗りで全長は約2.5m、全幅約1.7m、重量約1.5tというコンパクトな車体に、出力は40馬力のエンジンを搭載しました。敵の歩兵の銃弾を跳ね返す程度で、武装は機関銃1丁のみと戦車とするには貧弱すぎましたが、移動式銃座や偵察車両としては優秀なため、世界各国で戦車や装甲車の穴を埋める役割を果たす車両として運用されました。
同車の登場以降、6t未満の履帯をつけた戦闘装甲車両を欧州では「tankette(タンケット)」と呼ぶようになり、日本では豆戦車と訳される種類の車両となります。イタリアでは1929(昭和4)年にカーデンロイドを輸入した後、4両分のノックダウン生産を国内で行い、これを「カルロベローチェ」とし、量産します。ほかにもフランスではルノーUE、ソ連ではT-27、旧日本陸軍でも九四式軽装甲車TKなど、1920年代、30年代にかけて豆戦車が世界各国で生産されることになります。
ここまで増えた理由はなんといっても製造コストの安さでした、大国同士の戦闘では使えませんが、植民地の治安維持用などには有効と判断されたのです。とくに1930年代は世界恐慌の影響が大きく、安くすむ豆戦車は優秀な車両でした。
また、普通の戦車を購入または生産するのが困難な国でも、一応、敵の銃弾を弾ける程度の装甲を施した車両が軍に配備できるというのは大きな強みでした。
1930年代に世界各国で生産された豆戦車は、第二次世界大戦でも戦争序盤に使われます。開戦直後のドイツによるポーランド侵攻では、TKSという豆戦車に乗ったポーランド軍のエドモンド・ローマン・オルリック見習い士官が、首都ワルシャワ西方のシェラクフの戦いで、ドイツの35(t)軽戦車7両を待ち伏せで撃破するなどの戦果をあげています。
大戦中盤以降も、豆戦車は戦場で使用されますが、急速に進化していく戦車相手では、たとえ不意を突いた待ち伏せであっても勝てないことが明らかとなりました。さらに歩兵の携行火器の進化も著しく、戦車以外の戦でも苦戦するようになります。
そのため、輸送や偵察、警備など、戦闘以外の任務で使用されることも増えますが、輸送目的でも通常の兵員輸送車や装甲車の方が効率はよく、豆戦車は急速に衰退していくことになります。
戦後は対戦車用の歩兵携行火器の装備が充実したこともあり、しいて豆戦車で戦場に出る意味もなくなりました。待ち伏せは歩兵が対戦車兵器を持ってすればいいからです。
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野砲を牽引するカーデンロイドMk.VI(画像:帝国戦争博物館)。
ちなみに、1960年に正式採用された陸上自衛隊の60式自走106mm無反動砲は、広義の意味で豆戦車に分類されることもあります。これは戦車砲ではなく、60式106mm無反動砲を搭載する履帯で動く車両で2008年3月31日まで運用されていました。似たようなコンセプトはアメリカ海兵隊で運用されていたM50「オントス」程度しかない珍しい車両でした。