〈祝・史上初八冠達成!〉「負けたら将棋盤をグチャグチャに…」「すぐに追いついてくるのではという焦りを感じた」兄弟子でプロeスポーツ選手が語る若き日の“藤井聡太”

前人未踏の大偉業を成し遂げた棋界の若き天才・藤井聡太八冠(21=竜王・名人・王位・王座・叡王・棋王・王将・棋聖)。本シリーズではそんな彼の幼少期の人物像を当時の知人や関係者への取材で掘り下げる。第1回となる今回は幼少期の藤井八冠とともに将棋を学んだ経験を持つプロeスポーツ選手「ののさん」(27)がやんちゃで泣き虫だった、“みんなが知らない藤井聡太”を語ってくれた。
将棋内容だけでなく、対局中の「勝負めし」や「おやつ」までが話題になってしまう藤井八冠。常に冷静で慎重に言葉を選びながら話すイメージが強いが、幼少時代は少し様子が違ったようだ。藤井八冠が初めて将棋にふれたのは5歳の夏。祖母が引っ張り出してきたのは、駒にそれぞれの動かし方が書かれている初心者向けの将棋盤「スタディ将棋」だ。あっという間に将棋で勝つことの楽しさに魅了され、自宅から車で5分ほどの場所にある「ふみもと将棋教室」へ通い始める。そして幼稚園の終わりごろから、将棋大会に参加するようになった。現在、名古屋OJAベビースター所属のeスポーツ選手で、eスポーツ高等学院講師も務める、ののさんが最初に「藤井聡太」と出会ったのは、地元・名古屋の将棋大会。藤井八冠はまだ幼稚園児だった。
名古屋OJAベビースター所属、本格対戦型デジタルTCG『Shadowverse(シャドウバース)』のプロeスポーツ選手、ののさん(RSPL 21-22 1st Season出場時)
「いくつかの将棋の大会で見かけましたが、第一印象は年齢の割に強い子だなと。私は藤井先生の6歳年上なので、そのころは直接対局することはありませんでした。ただ私の4歳年下の弟も将棋を指していて、藤井先生とも当たることがありました。ですので、最初は弟の対局相手として見ていたことを覚えています」(ののさん、以下同)その後、藤井八冠は2010年3月に日本将棋連盟の東海研修会に入会する。研修会とはプロ棋士養成機関である奨励会へ入る前段階の塾のようなもの。ののさんは先に同会へ入会しており、東海研修会元幹事で日本将棋連盟公認の棋道師範の竹内努氏のもとでともに指導を受けることとなった。「小学1年生で入会した当時の藤井先生は当時の私の目からも幼く見えましたし、体も小さくて正座をしても将棋盤に手が届きにくいから、必死に手を伸ばして駒を動かしている姿がかわいかったです。でもかわいいだけではなくて、若くて勢いのある存在にも思えて、『すぐに追いついてくるのでは』という焦りを感じたのも正直なところです。あと強く印象に残っているのが、詰将棋が非常に得意だったこと。しかも解くだけではなく、自分で詰将棋の問題を作って他の研修会員たちに解かせてもいました。小学生低学年なのにすごいなと思いました」
藤井八冠は2011年3月、小2で第8回詰将棋解答選手権チャンピオン戦に初出場。5回目の出場となった2015年の第12回大会では小6で全問正解の最年少優勝を飾っている。この詰将棋の強さがその後、メキメキと頭角を現すひとつの原動力となった。「藤井先生は詰将棋が得意ですから、終盤戦で相手を追い詰めるのがうまく、対局したときはこちらが序盤で有利な盤面を作らないといけませんでした。私は年齢差があったからそれなりに分析と対策ができて藤井先生に対して勝率7割ほどでしたが、互角のまま終盤の局面までいってしまうと必ず負かされるので怖かったです。研修会時代の藤井先生の印象は、いつか追いつかれるのではと感じる驚異的な存在でもあり、かわいい後輩でもありました」ともに将棋に取り組む日々のなかで、ののさんは藤井八冠と将棋以外の話をしたことがほとんどなかったと言う。
14歳2ヶ月で最年少プロ棋士となった藤井八冠(撮影/共同通信社)
「よく言えば、将棋のことばかり考えていて、悪く言えば、将棋以外にはまるで無頓着なタイプ。藤井先生にとって将棋は、習い事とかではなく好きなものの最上位だったから生活のほとんどの時間を将棋に費やしているような印象でした。それに家でひとりで将棋をしていても誰かに意見を求められない。だったら将棋仲間がいっぱいいる研修会に行って、そこで将棋のことをいっぱい話そうという気持ちだったのではないでしょうか」とはいえ、当時の藤井八冠はまだ小学生。やんちゃで子どもらしい一面を周囲に見せることはなかったのか。「それはやっぱり、負けたら将棋盤をグチャグチャにしたり、泣いて悔しがったりするところですかね。他の子たちにも同じような面はありましたけど、藤井先生は特に強烈でした。泣き出したらおさまるまでけっこう時間がかかるから、次の対局の邪魔にならないよう師範の竹内先生に部屋の端に連れて行かれることも(笑)」それほど本気で打ち込んでいたということだろう。「みんな子どもながらにプライドがありましたから。まわりの子も藤井先生が泣いている理由はわかっているし、一対一の勝負の世界なので下手になぐさめの声をかけたりしませんでした。私も自分より小さい子に負けるのは本当に嫌だったし、藤井先生に苦労して勝っても『年上だから当然だろ』と思われる部分もある。だから年上の人間としては対局で当たりたくない相手でした」
研修会で「Aクラス」になれば、プロ棋士養成機関である奨励会に入会できる。それもあって小中学生ながら、研修会は常に真剣勝負の場でもあった。師範の竹内氏も常々、真剣に対局することの大切さを説いていたという。藤井八冠のたぐいまれな集中力はここで培われたのかもしれない。そして、藤井八冠は2012年、奨励会に入会。現在の師匠でもある杉本昌隆八段の門下生となった。「自分はその半年後に奨励会を辞めたので、一緒に奨励会で指導を受けた時期は短いものでした。でも同じ杉本先生の門下生でしたので、藤井先生が入会したてのころは積極的に面倒を見るようにしていました。小学生と高校生という関係なので、将棋以外の遊びなどには誘うのが難しい面もありましたが」
師匠の杉本昌隆八段と握手する藤井八冠(共同通信社より)
最後にののさんは藤井八冠に“兄弟子”ならではのエールを送る。「藤井先生がタイトルをかけて対局しているのを見ていると、当時のタイトル戦をケータイ中継で見て盛り上がったり、お互いに意見を言い合ったりしたのを思い出します。八冠という偉業達成を、本人はどこまで意識しているかわかりません。でも現状に満足せず、さまざまな取り組みに常に挑戦し続ける人ですから、必ずや達成してくれると信じています。自分は藤井先生にとっては何もできない兄弟子だったので、ちょっと図々しくなってはしまいますが、『ジャンルは違うけどお互い頑張っていきましょう』と言いたいですね。まあ、もうとっくに頑張ってますからね、見習って私も頑張ります!」#2につづく取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班