中越地震から19年 人口減少も…“山古志”から新たな街の形示す「人の輪もっと広がるように」【新潟】

68人が犠牲となった中越地震から10月23日で19年が経ち、新潟県長岡市山古志地区では地域の若者が主催する追悼式典が開かれました。そこには、新たな形を示す地域の姿がありました。

長岡市山古志地区の体育館に浮かび上がる「10.23山古志」の文字。

中越地震から19年が経ち、地域の若者からなる「小さな山古志楽舎」が開いた追悼式は、犠牲者の冥福を祈るとともに地域の明るい未来を誓う場となりました。

【小さな山古志楽舎メンバー】
「19年経った今でも、新たに山古志に関わろうとしてくださる方々が本当にたくさんいらっしゃる。この関わり、また山古志に共感してくださる方々と一緒に、これからの山古志をつくっていきたい」

地震後、山古志地区で速度を増して進展した人口減少。それでも、デジタル技術を駆使したデジタル村民など、地域の外の人との交流の輪を着実に広げてきました。

【長岡市 磯田達伸 市長】
「インターネットで、この山古志に住んで、仕事もできる時代になっているので、そういった新しい時代の中で、この地域がどういうふうに元気を失わずに、さらに発展していけるのか、持続していけるのかということが私は楽しみ」

23日の追悼式典にも、山古志地区の外から訪れた人が多くいました。

【長岡市在住のデジタル村民】
「一人一人、その輪が今よりも、もっと広がるように、山古志の人たちと一緒に歩んでいきたい」

【山古志地区外から参加】
「今の山古志、人口は減っているけど、こんなに元気だよ、みんな頑張っているよと、それを伝えたい」

人口は減っても…関わる人たちが思いを寄せ続ける山古志地区。

【松村道子キャスター】
「今、約700の真っ白な風船が夜空へと放たれました。ゆっくりと空へと浮かんでいきます」

復興を遂げた地域が描く、新たな街の形が浮かび上がります。