「何が何でも戦車欲しい!」イスラエルがとった驚きの軍隊づくりとは? スクラップも使え! そして軍事大国に

いまや国産戦車「メルカバ」を数多くそろえるまでに至ったイスラエル国防軍ですが、1948年の建国当初は、世界中からかき集めた中古戦車が主体でした。しかも、その入手の仕方も驚きのもの。女性の色気を使ったと言われているほどだとか。
2023年10月7日、テロ組織ハマスが突如としてイスラエルに対し無差別ロケット弾攻撃と侵入襲撃を実施。これを受けたイスラエルも翌8日、ハマスに対して宣戦布告のうえ、同組織が実効支配するパレスチナ自治区ガザ地区に空爆を開始したのち、10月下旬より地上作戦を展開しています。
ガザ地区での地上作戦で、歩兵とともに進撃しているのが、イスラエル国産の「メルカバMk.4」戦車です。イスラエルの戦車部隊は中東随一の強さを誇っていますが、その礎を築いたのはアメリカ製のM4「シャーマン」中戦車などでした。ただ、当初は入手にもひと苦労だったとか。そこで、イスラエルはとんでもない方法で戦車を入手したそうです。
「何が何でも戦車欲しい!」イスラエルがとった驚きの軍隊づくり…の画像はこちら >>1949年7月1日、イスラエル国防軍の機甲軍団創設を記念する式典でパレードするM4「シャーマン」戦車。この車体は1948年にイタリアから購入した105mm榴弾砲搭載のスクラップ車体で、別途調達された75mm砲を古いM34砲架ごと組み合わせたオリジナルモデルである(画像:イスラエル国防軍)。
イスラエルやパレスチナ自治区を含む中東地域一帯は、もともとイギリスが管理する委任統治領でした。そのようななか、第二次世界大戦が終結すると、イギリス政府公認のもとユダヤ人の居住地(ナショナルホーム)が建設されるようになります。これに伴い、世界各地に散らばっていたユダヤ人やユダヤ系の人たちが同地に集まってきました。しかし、ここには先住民として多くのアラブ人がいたため、両者は衝突するようになりました。
当時、パレスチナにやってきたばかりのユダヤ人たちは、拳銃やライフル銃といった小火器すらまともに保有していませんでした。一方、アラブ人たちの方は、イギリス統治時代にドイツやイタリアといった枢軸側との戦い、そして自衛のため準軍事的な訓練を受けており、ある程度の武器を備えていました。
アラブ人との関係の悪化が続くなか、ユダヤ人たちはなんとか多くの武器を入手しようと考えます。特に戦車は、人対人の戦いが基本だった当時のアラブ人たちとの戦いにおいて、決定的な威力を持つ兵器と考えられたことから、ユダヤ人にとっては「喉から手が出るほど」欲しい兵器のひとつでした。
しかし、戦車を常識的な手段で入手するのは困難でした。なぜなら、強力な兵器であるがゆえに各国の軍ともに管理が厳格だったからです。そこで考えられたのが、パレスチナ地域から引き揚げるイギリス軍部隊から入手するやり方でした。
ユダヤ人の民兵組織「ハガナー」(のちのイスラエル国防軍の前身)は、本国に向けて送り返されるため地中海に面した港町ハイファの市内に集積されていたイギリス軍戦車に目を付けます。しかし、一国のまともな軍隊が管理している戦車を盗み出すことなど、そう簡単にできるのでしょうか。
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イスラエル建国当初に訓練で砂漠を走り回るイギリス製「クロムウェル」巡航戦車。これまた非合法に入手した車体であるが、貴重な機甲戦力として活用された(画像:イスラエル国防軍)。
そこで彼らは、ハイファ港に設けられた戦車集積地で門番を務めていたイギリス兵を、「ハガナー」の女性兵士数名が現地民間人に変装して篭絡。酒を飲みに連れ出した隙に、M4「シャーマン」中戦車や「クロムウェル」巡航戦車、合わせて6両を「頂戴」することに成功したのです。
このような冒険譚的なエピソードは、一時まことしやかに語られていました。しかし戦車という大物兵器が、忽然とまとまった数姿を消してしまうのは軍の規律の上では大問題です。では、色仕掛けで堂々と譲り受けたのかというと、それもまた、相応の証拠と手続きが必要でしょう。
こういった理由から、いまでは、現地の連隊長や大隊長といった指揮官クラス、あるいはそれ以上の相応の権限を持つ、ユダヤ人に同情的なイギリス側の高級軍人が関与したという話も出ています。
実際、第二次世界大戦中にイギリス軍はユダヤ軍団を自軍内に編成し、枢軸軍と戦うための戦力として用いていました。そのため、建国に向けて苦戦する「かつての戦友への友情」が、前出のハナシの背景にあってもおかしくはないでしょう。ただ、イギリス軍が半ば公然と「ユダヤ人を応援」したとなると、特にアラブ諸国に対して外交的にまずいので、「盗まれた」ことにしたとも考えられます。
真相はいまだ藪の中ですが、いずれせよ、こうして入手したM4「シャーマン」戦車が、建国前後のイスラエルにおいて貴重な機甲戦力となったのは確かです。
ちなみに、その頃イスラエルを建国するため世界中から集まってきたユダヤ人やユダヤ系の人々の中には、第2次世界大戦中の兵役でM4「シャーマン」を扱った経験がある人が多く、おまけに世界の中古兵器市場には、大戦で使われたあと余剰となった同車が豊富に流通していました。
そこで、国家としてまだ完全な国際的認知も得られておらず、国力にも乏しかったイスラエルは、それらの中古「シャーマン」をスクラップの名目などで買い漁りました。たとえば、兵器として使用できないよう、わざと砲身に穴を開けられたM4「シャーマン」ですら入手して、その穴に金属栓を詰め込み、その上からさらに金属のタガを嵌めて射撃可能なようにした再生戦車もあったといいます。
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1948年に起きた第1次中東戦争で、エジプト軍捕虜を連行するイスラエル兵をガードするM4「シャーマン」戦車。この角度からでは型式の特定は困難だが、砲塔の形状から105mm榴弾砲装備か75mm砲装備のどちらかの型式と思われる(画像:イスラエル国防軍)。
ほかにも、砲のないM4「シャーマン」に、別ルートで入手したドイツ・クルップ社製の旧式75mm砲を取り付け、とりあえず弾を撃てるようにしたオリジナル改造の「シャーマン」を作り出すなどしています。まさに自分たちの創意工夫と努力で、スクラップ同然の「シャーマン」戦車を戦力として蘇らせていったのです。ある意味で、自国を守ろうという気概がここまでの行動に結びついたといえるでしょう。
一説によると、イスラエル軍が保有する戦車の数は2023年現在、2000両以上あるそうです。ただ、その源流は、前述したような形で入手したものや、スクラップ同然のものを自力で再生した改造戦車から始まっているのです。