世間で叫ばれる「寿司テロ」 しかし学問的には全く“テロ”ではなく…

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回転寿司に行きたくないと思う人が急増しているのは、テロがあるからだろうか? しかし純粋なテロの定義上あれはテロではない。単なる犯罪、嫌がらせだ。
最近、大手回転寿司チェーン店で、迷惑行為が絶えない。スシローでは醤油の入ったおプラスチックを若い男が舐め回す動画がネット上に拡散し、銚子丸では共用のガリの箱の中から電子たばこの吸い殻が見つかった。
銚子丸は醤油やわさびなど共用品、湯飲み、小皿などを、お客を案内するたびに席に運び、客が帰る際に回収する対応をとっている。店側からしたら迷惑極まりない行為であり、風評被害も半端ない。警察は最大限捜査し、店側も再発防止に努めるともに、賠償を要求してもいい。
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この迷惑行為の連鎖により、最近テレビやネット上では「寿司テロ」という言葉が頻繁に聞かれる。確かに、店側が被る被害は経済的なものから風評的なものまで幅広い。多くの人が回転寿司に行きたくなくなる。社会的な影響は大きい。
しかし、本来のテロの定義からすれば、これは全くテロではない。じつは、テロ、テロリズムという言葉に厳格に決まった定義は存在しない。専門家の数だけテロの定義があるとも言われる。
しかし、厳格に決まった定義はないにしても、広く共有されている考えがあり、それは1つの行為に政治性があるかどうかだ。

たとえば、世界では中東やアフリカなどで未だにテロが続いているが、それらは欧米諸国を倒す、移民や難民を追い出す、バイデン政権を崩壊させるなど、“政治的動機”がある。
今回の行為には全く実行者に岸田政権を脅かすなど政治的意図は全くなく、いたずらをしたかったなど、あくまでも“個人的動機”に基づくものである。
過去には、2019年7月の京都アニメーション放火殺人事件、2021年8月6日の小田急線無差別殺傷事件、同年10月31日の京王線無差別殺傷事件など、世間を震撼させた、社会的インパクトの大きい無差別事件があったが、これらも厳密にはテロではないのだ。
寿司テロ、寿司テロと自由に呼ぶのはいいが、学問的には全くテロではないのだ。
(取材・文/セレソン 田中)