福井の田中眼鏡本舗であつらえた、惚れ惚れするほど完璧なバネ式跳ね上げメガネH-fusion『HF-902R』

高校生の頃まで、視力は両目とも1.5以上あった。
しかし浪人中、自室で薄明かりしか灯さず、寝ころがって勉強をしていたのがいけなかったのか、徐々に視力が落ちていった。

それでも大学生の頃までは、車を運転するときと板書を見るときくらいしか、メガネをかける必要はなかったのだ。
○■強い近視持ち、老眼併発、コンタクト嫌いが買ったブランニューメガネ

就職して、僕は雑誌編集者になった。
この職業は目を酷使するうえ、生活は不規則極まりない。それが祟り、社会人になってからも視力がどんどん低下していった。
そして、左右とも0.02前後のど近眼になってしまったのだ。ちなみに、近視は一般的に成長期の子供ほど進みやすく、僕のように大人になってから著しく悪化するのは、ややレアケースのようだ。

コンタクトレンズは体質に合わない。
週に1、2回やっている運動の際には、やむなくワンデイのコンタクトを装着するが、ずっとゴロゴロした違和感があり、用が済んだらすぐさま取り外してしまう。

そんな僕にとって、メガネとは生きていくうえで絶対に欠かせない必需品だ。
最近は老眼も併発したため、遠近両用レンズを入れたメガネを、片時も手放せなくなっている。

今年2023年に購入した数々の品の中で、もっとも印象に残り、かつ気に入っているものは何だろうかと考えたところ、真っ先に頭に浮かんだのは、今も僕の鼻の上に鎮座している一本のメガネだった。
福井県鯖江市のopt duoという会社が手がけるハウスブランド、H-fusionの型番『HF-902R』。
フレームのデザインがレトロなサーモントタイプであることと、“跳ね上げ”ギミックを有することを特徴とするメガネだ。

○■福井県の良心的なメガネ屋さんで出会い、じっくり考えて決めた一本

このメガネを購入したのはごく最近、今年11月某日のことである。
以前から知り合いに、「福井にとてもいいメガネ屋さんがある」と聞かされていた。
メガネが友達の僕は、いつかはそこへ行ってみようと思っていたのだが、たまたまこの11月、福井へ行く機会があったので、噂の田中眼鏡本舗(たなかがんきょうほんぽ)を訪ねてみることにした。

そこは鯖江産メガネのセレクトショップで、優しく頼りになる店主ご夫妻が、親身になって個々人にとって最適の一本を見つける手助けをしてくれる。
僕のH-fusion『HF-902R』もじっくり相談したうえで選び、あつらえてもらったメガネなのである。

H-fusionとは、1930~80年代のデザインを原点に、「クラッシックでありながらモード」なスタイルのメガネを追求する鯖江ブランド。懐かしさと新しさが絶妙のバランスで同居する、ハイセンスなメガネフレームには定評があるようだ。

『HF-902R』が採用しているサーモントとは、1950年代のアメリカで考案されたフレームデザイン。1969年生まれの僕からしても、“おじいちゃんがかけていた”という印象すらあるクラシカルスタイルのメガネだ。
でもなぜだか僕は、前からこのレトロなメガネが気になって仕方なく、満を持して訪れた田中眼鏡本舗で試着してみたら、やはりすっかり心惹かれて購入に至ったという次第だ。
風前の灯の技術を駆使して作られる、バネ式跳ね上げメガネ
“フリップアップ”と呼ばれることもある、フロントフレームをレンズごと上に動かすことができる跳ね上げ機構は、サングラスを含めよく見られるメガネのギミックだが、『HF-902R』の特筆すべき点は、跳ね上げの中でも“バネ式”であるというところ。
フレーム内部に小さなバネが仕込まれているため、蝶番のみの一般的な跳ね上げメガネとは違い、フロントフレームを軽く手で持ち上げると、オートマチックでポンッと一気に水平まで跳ね上がる。
戻すときも軽い力でフレームを押し下げると、パチンと小気味よい音を立てて元の状態に戻るのである。

田中眼鏡本舗店主が言うところによると、こうしたバネ式跳ね上げメガネの構造は、50年ほど前に確立されたものなのだとか。
これ以上改善の余地はないという、美しくも完璧な技術であり、長年にわたって受け継がれてきた。
だが時代の流れによって需要が減り、バネ式跳ね上げメガネを作る工房は、今や鯖江市内でもごくわずか。
風前の灯の“失われつつある技術”を使ったメガネなのだ。

そんな蘊蓄を聞いていたこともあって、僕は自分のものになったバネ式跳ね上げメガネH-fusion『HF-902R』をとても気に入っていて、これから先、一生物として大切に使おうと考えている。

○■ご同輩には言わずもがなな、跳ね上げメガネの効能

だが、ここまで読んでくださっている読者の中には、訝しんでいる人もいることだろう。
そもそも跳ね上げメガネって、何のためにあるの? と、疑問に思っているのではないだろうか。
僕のメガネには、きっちりと視力測定をして度数を決めた遠近両用レンズが入っている。
それだけでいいはずなのに、わざわざレンズを通さない裸眼状態をつくる跳ね上げメガネが、なぜ必要なのか。
その答えは、僕と同じくらいの強い近視持ちで、かつ老眼が始まっている同年代の方には言わずもがなかもしれない。

遠近両用レンズさえあれば、基本的に遠くのものから手元のものまでは、はっきり焦点を合わすことができる。
だが困るのは、ごく小さな文字を読むときだ。
例えば機械の説明書や薬の効能書き、それに古本屋で買った小さな小さな活字が並ぶ古い文庫本。
そうした極めて小さな文字を読む際には、紙を顔にぐっと近づける必要があるが、強い近視と老眼が併発している僕のような人の目で、遠近両用レンズが効果を発揮するのは大体20cm以上の距離まで。
それより顔に近づけると、途端に焦点が合わなくなってしまう。

そんな場合は、メガネを外さなければならない。
裸眼であれば、紙上の細かい文字にもしっかり焦点を合わせることができるからだ。
だが、細かい文字から目を離し、再び20cm以上の距離のものを見ようとすると、裸眼では世の中ボケボケなので、外したメガネをまたかけ直さなければならない。
こうしたいちいちのメガネのかけ外しが、実に面倒くさいのだ。

若い人には、この煩わしさがさっぱりわからないだろう。
一方で、「本当にソレ!」と膝を打っているご同輩も多いに違いない。
もうこれ以上説明する必要はない。
そういう状態の目を持つ一定以上の年代の人にとって、バネ式跳ね上げの遠近両用メガネというのは、ほぼ完璧な役割を果たしてくれる優れ物なのだ。

ところで福井の田中眼鏡本舗は、メガネのフレーム選びのみならず、視力測定からレンズの選択、最終フィッティングに至るまで本当に素晴らしい知識と技術を持っている。
だから新しく誂えたH-fusion『HF-902R』は、ちょっと信じられないくらい僕の目にしっくりきている。

すべて込みで7万円台後半と、メガネ界もファストブランドの躍進著しい昨今においては決して安くは感じないが、お値段以上の本当にいい買い物をしたと思っている。

まさしく、“今年のベストバイ”と呼ぶにふさわしいのである。

文・写真/佐藤誠二朗

佐藤誠二朗 さとうせいじろう 編集者/ライター、コラムニスト。1969年東京生まれ。雑誌「宝島」「smart」の編集に携わり、2000~2009年は「smart」編集長。カルチャー、ファッションを中心にしながら、アウトドア、デュアルライフ、時事、エンタメ、旅行、家庭医学に至るまで幅広いジャンルで編集・執筆活動中。著書『ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新』(集英社 2018)、『日本懐かしスニーカー大全』(辰巳出版 2020)、『オフィシャル・サブカルオヤジ・ハンドブック』(集英社 2021)。ほか編著書多数。新刊『山の家のスローバラード 東京山中湖 行ったり来たりのデュアルライフ』発売。
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