「落語は想像の芸」桂文我が語る落語と高齢者のおはなし

四代目桂文我。老若男女に愛される落語家だ。
子どもも楽しめる「おやこ寄席」(※)をはじめ、日本各地の公演で幅広い世代から人気を博す。
落語が一種の「ブーム」となって久しいが、改めて落語の面白さを文我師匠に伺った。
「落語は高齢化社会で一番の芸だ」。そう語る師匠の真意とは。
※子どもが戸惑わないように、落語の解説からスタートする落語会。着物の説明、小噺紹介、扇子・手ぬぐいの使い方などを愉快に説明し、落語に対する理解を得ると共に、子どもたちと「お友達」になるようにしている。対象は小学生以上
みんなの介護 昨今のブームの影響もあってか、落語は幅広い世代に愛されている印象です。
文我師匠の「おやこ寄席」では、子どもが甲高い声を響かせて大笑いしている光景を目にしましたが、ブーム以前よりシニアの支持は特に厚かったと思います。
そんな老若男女に愛される落語について、改めて「楽しみ方」を伺えますか。
桂文我 「頭の中を、『空っぽ』にして、ボォ・・・・ッと聞いてください」
そのように、枕(本題に入る前の世間話など)で言う落語家もいますが、私は逆だと思います。集中しなければ、落語は楽しめません。ボォ・・・・ッと聞いていると、わからない芸です。そうは言っても、緊張感に包まれる集中ではなく、リラックスをしながらも、集中する状況と言えましょう。「楽しく、集中してもらう」というのが、落語を楽しむ基本だと思っています。
みんなの介護 集中というのは裏を返せば、そのことだけに専念することでもありますね。
桂文我 落語家の背後には、書き割り(背景が描かれた板など)があるわけでもなく、衣装を替えるわけでもなく、一人で登場人物を変化させますから、集中することは重要です。
みんなの介護 お一人で話すことが落語の特徴のひとつです。
桂文我 男・女・子どもなど、登場人物が一人ではないので、集中していなければ、変化する情景の想像は出来ません。ボォ・・・・ッと聞いていると、噺に随いていくのが、難しい芸だと思います。落語は、一点集中芸。舞台の上の一人に、集中する芸です。
みんなの介護 舞台と客席には見えない関係性がありますね。
桂文我 落語家は、発光体です。お客さんに照らす光は、歴史の心であり、アイデアであり、昔の人の智慧で、それの取り次ぎを、落語家が行うのです。
みんなの介護 「お取り次ぎ」という表現がユニークです。
桂文我 落語は、懐かしい芸とも言えるのではないでしょうか。人間は、懐かしいことを好みます。若い方でも、田舎の宿屋に泊まって、おこげのご飯を食べたいと言う方が、結構いらっしゃるでしょう。懐古主義とまでは言いませんが、安心する。昔を懐かしむことが、我々の血に入っているのでしょう。
みんなの介護 脈々と受け継がれている。
桂文我 確かに、受け継がれています。そこへ帰ったり、期待することが、落語にはあるでしょう。

撮影:御堂義乗
みんなの介護 「おやこ寄席」では、「初めて来た」と手を挙げていた子どもが、落語を心から楽しんでいるような光景に驚きました。勝手ながら落語に対して「難しい」という印象があったので……。
桂文我 子どもと大人とでは、落語の楽しみ方が違うのかも知れません。例えば、音楽と落語の大きな違いの一つに、初めて聞いたことを、一日中、聞いていられるかということがあると思います。音楽の場合、好きな曲を、一日中、聞いていることが、往々にしてあるでしょうが、落語の場合、ネタを一遍聞いたら、繰り返して聞くことは、滅多に無いでしょう。内容の違うネタを聞いてみたいという場合はあるでしょうが、同じネタを何度もということは少ないと思います。ところが、子どもは別。「おやこ寄席」のライブのCDを、延々と聞く子どもが多い。同じネタを何度も何度も聞いて、同じように笑ってくれます。大人と子どもで大きく異なるのは、そこでしょう。
みんなの介護 子どもが面白がる理由はどのような点にあると思いますか。
桂文我 一つには、疑似体験でしょう。大人は落語を鑑賞しているので、芸を見ます。例えば、「皿屋敷」という落語。井戸の中から、お菊さんの幽霊が出たり、皿屋敷へ行く道を歩いている振りをすると、大人は「おォ、上手に歩く動作をする」と受け取りますし、幽霊が出る場面では、「幽霊の形が、とても綺麗だ」という見方をしますが、子どもは違って、皿屋敷へ歩いて行く場面では、子どもも登場人物と一緒に歩いているような、疑似体験をしています。子どもにもよりますが、小学五、六年生から、疑似体験が鑑賞に変わるのではないでしょうか。
みんなの介護 なるほど。鑑賞に。
桂文我 一つには、年齢を重ねて行く過程で、「○○鑑賞教室」のような授業が増えるからでしょう。鑑賞する行為は、疑似体験から離れてしまうことにもなります。

撮影 御堂義乗
みんなの介護 落語は疑似体験として楽しまれていたのでしょうか。
桂文我 元来、鑑賞する芸ではなかったはずですが、ある時代から、鑑賞とは明言せずとも、なりきることに価値が見出されるようになってきたのでしょう。
みんなの介護 文化になってしまったということでしょうか。
桂文我 確かに、そうですね。文化は、「当たり前に行われたことが、振り返ると、形になっていたこと」と定義することが出来ると思いますし、それに利便性が加わると、文明になるのではないでしょうか。
そのような流れで、一つの形になった落語を、芸として見ることで、落語鑑賞文化になったことは間違いないでしょう。文化になったことで、疑似体験の楽しみが薄れたことも事実ですが、大人も捨てたものではない。年齢を重ねることで、疑似体験になることがあります。
みんなの介護 子どものようにまた楽しめる。
桂文我 あるいは、違った楽しみなのかもしれません。あくせくしている日常から離れ、落語を聞くと、落語の世界に、フッと入って行けるのです。例えは妙ですが、子どもの時、ナスの煮物に対して、「大人は、どうして、これを喜んで食べる?」と、感じたことはありませんか? ところが、ある年齢になると、進んで食べるようになる。「なるほど、おいしい物だ」と、懐かしさと共に感じるように。落語は、60才を超えた頃から、次第に疑似体験に戻ってくるのかもしれません。
みんなの介護 懐かしさがひとつのキーワードですね。
桂文我 これは比喩ですが、「しわ」で、わかるのです。しわは皮膚の弛みですが、歩んできた年輪とも言え、懐かしさが染み込まれているのではないでしょうか。
みんなの介護 子どもでなく、大人でもない。そんな多感な時期を過ごす若者にとって落語はいかがでしょうか。
桂文我 落語を楽しんでもらうのに、一番難しいのが、20代だと思います。この芸は、10代の終わりから、20代ぐらいの若者に見てもらうのが、一番難しいのではないでしょうか。
みんなの介護 音楽にスポーツ、あるいは漫才やコントといった「お笑い」が人気な世代です。
桂文我 自分の趣味が決まってくることで、それと比較して、「一体、何が面白い?」ということになってしまうことがあります。勿論、落語に限らず。
みんなの介護 一方で、思春期の真っただ中にある若年層にとっては、同世代と異なった自身のイメージの醸成に利用するケースもあるのではないでしょうか。自戒を込めて伺いますが、「落語を嗜める自分」「背伸びをしてみる」というのは、アイデンティティになり得ます。落語にはどこか知的で高尚なイメージがあります。
桂文我 一つの捉え方としては、正しいと思います。落語は、基本的に、メジャーになったことの無い芸ですから。
みんなの介護 「分かる人には分かる」。そのようなイメージです。江戸時代は「メジャー」だったのではないでしょうか。
桂文我 歌舞伎も、メジャーではありません。落語は、マイナーな芸ですが、マイナー・マイナーではなく、マイナー・メジャーな芸で、いつも要る物ではありません。
みんなの介護 いつでも要るというのはどのような意味でしょうか。
桂文我 魂まで、染み込んで行く芸ではないということです。音楽は、魂へ染み込んで行く所があるでしょう。例えば、田植えをしながらでも、歌を口ずさむように。
みんなの介護 日常ということでしょうか。
桂文我 日常で、自然に歌を歌ったり、聞いたりするのは、「本能的に歌いたい、聞きたい」ということの表れです。落語を「本能的に演りたい、聞きたい」ということは、まず無いと思います。落語が、音楽と大きく違うのは、魂まで入り込んで行くことが難しい芸だということ。あくまでも、知的な所で止まってしまう。入れたとしても、心ぐらいまでしか入れないかもしれない。心まで入れることが出来れば、立派。ある人にとっては、魂まで揺さぶることもあるでしょうが、あくまでも、その人の許容能力であり、想像力による所が大きいと言えましょう。

撮影:御堂義乗
みんなの介護 若さゆえの熱狂と落語が結びつくことも「メジャー」ではありません。
桂文我 若い方に限ったことではありませんが、「踊りたい」「歌いたい」という点で楽しむには、落語は不向きです。落語は、聞き始めてから、5分ぐらいは、辛抱をしなければいけません。きちんと段取りを理解してもらった上で、それを引っ繰り返すことが、落語の笑いになりますから。
みんなの介護 「笑う」という共通項がありながらも、昨今のテレビで放映される漫才とは趣向が違いますね。漫才はまるで競技性を帯びています。
桂文我 漫才は、最初から面白く出来ていることが、大半です。しかし、後半は落語の方が笑える場合が多い。落語には仕込みがあって、お客さんに段取りを理解してもらったことを、引っ繰り返して行く。映画でも言えることですが、今の時代は、チャプターです。容易に、シーンの先送りが出来る時代。本来、感動的なシーンを見るには、待つしかなかったのが、チャプターによって、そのシーンだけが見られるようになった。
テレビ番組でも、頭が良いと言うか、物を知っている人間が、たくさん出演するようになりましたね。
みんなの介護 「知識」を争うクイズ番組も多いですね。
桂文我 「そんなことで争っても、仕方が無い」と思いますし、「わからないことがあれば、あの人に聞け。但し、このことについては、あの人。このことについては、あの人に」と、わかれていました。知らないことが、可愛げに繋がるでしょう。何も知らないと言っている人が、ビックリするようなことを知っていることがあると、「あいつは、中々、偉い!」となる。それが、落語の世界だと思います。
みんなの介護 落語のお噺には、愛嬌のあるキャラクターが多いですね。
桂文我 それを理解が出来るのは、世の中の甘い・辛い・苦いを経験した人が、「世の中には、そんなことがあるし、そんな人間も居るし、そんなことも聞いた」。疑似体験だけではなく、納得することで、更に楽しめるようになるのでしょう。
5章 止まらなくなる瞬間
桂文我 落語には、「楽しくなると、もう止まらなくなる」という瞬間が訪れることがあり、そうなると、何を言っても、面白くなる。「この人は、面白いことを言う人」という信用が、落語家に得られれば、何を言っても面白くなります。
みんなの介護 会場にも一体感がありそうですね。
桂文我 但し、その面白い言葉は、噺の登場人物が発していますし、言わせているのは演者だけに、この二重構造が重要。演者も好きだし、登場人物も好きだという、この二重構造で、面白い落語の世界が出来上がるのです。
みんなの介護 構造を理解した上での笑いは、表面的な笑いではありません。
桂文我 落語家は着物を着ているから、場面や登場人物を思い浮かべるだけの、具体的なことはありません。それを間と言葉、目線や表情などで想像してもらい、様々なことを駆使して、「昔の人が面白いと思ったことで、今の人にも面白いと思えることを演るのです。時代が変わっても、面白いと思うのは同じだろう、と。
みんなの介護 普遍的なことを。
桂文我 それが出来ないのであれば、落語家として、腕が悪いということです。
みんなの介護 「良い・悪い」の差は、どのような点にあるのでしょうか。
桂文我 それは、想像のさせ方です。人間国宝になられた柳家小三治師が、「落語は、笑わせる芸ではなく、笑ってしまう芸なのだ」と、素晴らしいことを仰いました。落語家は、当たり前のことを言うのですが、それを納得した所で、笑ってしまうのです。一遍、納得して笑うと、次に言うことは、もっと面白くなり、舞台と客席との垣根が取れて行く。落語は想像の芸だけに、お客さんには悪いのですが、働いているのは、お客さんです。落語家は動力車で、ある所まで行くと、惰力で走って行く。お客さんが、自分の力で走っている。
みんなの介護 想像の芸というのは、世代を問わずに共通するものなのでしょうか。例えば、老人ホームのような場所でも。
桂文我 但し、老人ホームで落語を演るのは、特殊かもしれません。芸を披露するのではなく、「こんな世界へ行きましょうよ」「こんな世界がありましたよね?」と、老人ホームでは、老人ホームにふさわしいことを語ります。
みんなの介護 先ほど、落語家としての腕について伺いましたが、落語家さんが“上達”していくとどのような状態になるのでしょうか。
桂文我 私が見てきた中では、ドンドン自然に演れるようになって行くと思います。それには、相当な力と、絶大な努力が要るでしょう。
みんなの介護 自然というのは、肩の力が入ってないような状態でしょうか。
桂文我 あえて言えば、世間話に近いような雰囲気でしょう。例えば、今日、こうして、お話しをしていますが、前もって、稽古をしていませんよね。しかし、会話として成り立っている。それは、お互いの経験や知力などで、ああでもない、こうでもないと、言い合うわけです。落語は、それを作品で演っている。セリフを決めて、演っているようですが、実は、セリフを決めなくてもいい。その時、自然に聞こえて、当たり前のことを言えばいいわけで、その当たり前が、微妙にズレる時、笑いに繋がる。
「この人の言っていることは正しいけど、一寸、おかしい」という、そんな状況でしょう。
みんなの介護 笑いとはおかしさなのでしょうか。
桂文我 確かに、おかしさでもあります。理想的な状況とは、ある所までは、笑いが無いことでしょう。ある所まで、頷きながら、聞いてしまうのです。ある所まで来ると、一瞬にして、峠の向こうから、湖が見えてくるような、「これが言いたいがために、ここまで進んできたのだ!」という達成感を得られたり。
みんなの介護 達成感ですか。
桂文我 その達成感こそ、オチなのです。達成感であり、解放感であり、納得でもある。様々な要素が含まれている時、一瞬にして、お客さんの笑いに繋がるのです。黙って聞いていて、ある所になると、一瞬にして、ドカァ・・・ンと笑う。なぜかと言えば、皆さんの心には、最大公約数があるからです。心の最大公約数とは、世の中にある、当たり前のこと。日常がズレたり、少しだけ破綻したり、命に関わらないぐらいのいたずらで済んで行ったり。それが落語の面白い所で、それは昔も、令和の今日もあります。江戸時代半ばの話であっても、今の人の笑いに繋がる。日本人の感性は、昔も今も、それほど変わっていないと思います。
みんなの介護 古典が「古いけれども古びない」理由ですね。
桂文我 私は、変わっていないことを期待します。それが変わると、落語は成り立ちません。
みんなの介護 残念ながら変わりつつあることも多いと思います。
桂文我 確かに、変わりつつありますが、ここで面白いのは、例えば、AIの進歩に対して、「一寸、待ってくれ。そんな楽しみ方じゃないんだ」という声も出てきているわけです。人間が、どこかで、ブレーキをかけるのでしょう。そのような声がある間は、まだ、可能性があると思います。
みんなの介護 可能性ですか。
桂文我 それは、難儀なことをする可能性です。つまり、邪魔くさいことをする可能性。熱い風呂へ入ると疲れますが、熱い風呂の方がいいと言う人も居ます。難儀なことをして、達成感を得るために、何かをする。山登りは、まさに、それでしょう。頂上まで行くだけなら、ヘリコプターで行けばいいじゃないですか。
みんなの介護 (笑)。元も子もないと考えてしまいますが、まさにそうですね。
桂文我 エベレストでも、お金さえ払えば、短時間で、頂上まで行けるでしょう。ところが、達成感を得るためには、これだけの苦労をしなければならない。人間は、可能性を自覚したいのではないでしょうか。時間をかけることを惜しまないことが継続すれば、落語も滅びないと思います。時短ばかりを求めるようになり、利便性だけを推し進める、ロボット的な人間が増えた時は落語も崩壊するでしょう。
みんなの介護 落語を愛するファンの方が高齢者の方にも多いと思いますが、高齢者の方で楽しみ方の特徴がありましたら教えてください。
桂文我 高齢者の方は、子どもと似ている部分があります。子どもの場合、わからないことが、三つぐらい重なると、諦めてしまう場合が多いでしょう。
みんなの介護 諦めるというのは、「筋」を追わなくなるということでしょうか。
桂文我 筋を追わなくなりますが、そうかと言って、わかりやすいことばかりでも、いけません。例えて言うと、「皿屋敷」という落語。
「これは、姫路という所で。姫路は、大阪より、もっと九州に近い所にある、姫路城という、国宝の、大きなお城がある所です」と、このように始めます。
「その姫路に、青山鉄山という、お代官が居ました。代官は、偉い人かな」と続けますが、「青山鉄山という、お代官が居ました」だけで進んで行くのではなく、代官の説明を、さりげなく入れるのが肝心。
「青山鉄山の腰元の、お菊さん。腰元は、お手伝いさんと思ってもいいかな」というように、簡単な説明だけを加えます。子どもは、大人の世界を、早く知りたい。説明を、フックのように入れておくことで、そこに生じる「何だろう?」を解消してあげる。初めから、甘い物ばかりを与えるのではなく、辛い物の後で、一寸甘いことを繰り返して行くと、子ども達が随いてくるのです。
ところが、わからないことが三つぐらい重なってしまうと、雑談を始めてしまう。年配の方も同じですが、年配の方は、寝てしまう場合が多い。
みんなの介護 子どもよりも分かりやすいですね。
桂文我 確かに、子どもと似ています。面白いのは、子ども達に楽しんでもらえる、落語の紙芝居も刊行しているのですが、老人ホームでも一杯買ってもらっています。老人ホームで、落語の紙芝居を演じると、大変喜んでもらえるそうで、子ども達が楽しめるように書いたのですが、年配の方にも楽しんでもらえる。
物語のハードルの越え方が、似ているのでしょう。わかりやす過ぎず、わかりにくくない。年配の方には、食べる落語が理想的かもしれません。食に対して、高齢者は意識が向きやすい。自分が食べられる、食べられないは、別にしいも。餅を食べる所を演じると、「私も、そんな食べ方をする」と、喜んでいただける。お酒で酔っ払った者を演じると、男性は「確かに、そうだ」と思い、女性は「主人が、そうだった」と、自身の共通項が出てきます。年配の方に楽しんでもらえるのは、食が一番強い。SFのネタは、あまり強くないですね。
みんなの介護 落語でSFのお噺があるんですね。
桂文我 ご紹介すると、こんなネタです。
目が悪くなり、手荒い手術をする名医の所へ行く落語。
「君の目は腐りかけてるから、その目を繰り抜いて、良い目と入れ替えよう。一寸、これで受けなさい」「はい」。
コロン、コロン。「腐った目は、汚いな。君も、見てみたまえ」と、目を繰り抜かれた人に言うのです。
「私は、目を繰り抜かれましたから、見られません」
「コレ、助手。薬で洗って、庭へ干しなさい」
しばらくすると、助手が「先生、大変です。犬が、目を食べてしまいました」「いつも、裏の戸を閉めておけと言ってる。仕方がないから、あの犬の目を繰り抜こう」。
コロン、コロン。患者に、犬の目を入れると、その人に生活が、犬っぽくなる…という落語です。
みんなの介護 面白い! ただ、体験という点では高齢者の方にとっては「遠い」可能性があります。
桂文我 想像する要素が強いですから、仕方がありません。そのような観点で言えば、情で迫る、親子のネタもいいですね。コントより、ドラマ的な要素が入っているネタの方が、どうやら良さそうです。その時のお集まりの状況にもよりますが、大体、わかります。30秒以内に掴めなければ、どうにも仕方がない。「今日は、どんな感じかな?」というのは、パッと見ると、わかります。それが見抜けないようなら、落語家を辞めた方がいいかもしれません。
みんなの介護 師匠のお話を伺っていて、落語と高齢者との相性は良いと感じました。
桂文我 落語は、高齢者社会で一番の芸だと思います。但し、演り方が重要でしょう。特別擁護老人ホームで、何度か公演したことがありますが、コロナ禍ということもあり、目の前に、お客さんが一人もいらっしゃらないことがあり、各部屋のスピーカーで聞いてもらうという状況でした。
「皆さん、今から面白い話をします。懐かしい話ですから、聞いてください」。
すると、あちらこちらの部屋から、拍手が聞こえてきました。まるで、目の前に、お客さんが居られるかのように。

撮影:御堂義乗
みんなの介護 素敵なお話です。
桂文我 「昔、バナナは貴重でした。卵も、高かったですよね」と言うと、拍手が聞こえてきた。お客さんが目の前に居るのか、居ないのかは、関係が無い。聞こえてくる拍手に合わせて、私が演って行くのです。
みんなの介護 方法が変わっても、最大公約数をついていくんですね。
桂文我 やはり、昔の人は偉いです。私達のような、今の落語家が偉いとは思いません。
昔の人が作った話を、取り次ぐだけですから。きっと、昔のおじいちゃん、おばあちゃんも楽しんだのだろうと思います。だから、今のおじいちゃん、おばあちゃんも楽しめると。これが続いて行くことが伝統であり、文化でしょう。
みんなの介護 楽しみ方も普遍的ですね。
桂文我 私は、おじいちゃん、おばあちゃんの前で、落語を演じるのが大好きです。小学5年生から、中学生ぐらいまでの間、私の祖母が寝たきりになったので、家族で介護をしましたが、本当に大変で、両親もヘトヘトになり、孫の私も疲れ果てました。その当時、寝たきりの祖母に、「一寸、落語を演って」と言われました。
みんなの介護 師匠に対してですか。小学5年生ですよね。
桂文我 その時、ネタを一杯覚えました。落語を演じると、そんなに面白くなかったと思いますが、「面白いから、もっと演って」と言われて。そうなると、祖母に喜んでもらおうと、ネタを探してくるわけです。落語の本も買って、「これは、おばあちゃん向きかな?」と思いながら演っていたこともあったので、年配の方の好みもわかるのです。
みんなの介護 それが師匠の「原体験」であり、落語のスタート地点でもあるんですね。
桂文我 そのように考えれば、スタート地点でしょう。
祖母が「これは、わかりやすい。このネタが、一番面白い」と言ったことを、「おやこ寄席」に転用すると、子ども達も「面白い!」となるのです。
それと、もう一つ。私の師匠・桂枝雀が、英語落語を演っていたのです。私は、英語が出来ないのに、外国へ連れて行ってもらって、舞台の袖で見ていましたが、受け方が凄いのです。
「これを日本語に直せば、子ども達に落語の楽しさが伝わるのではないだろうか?」と思い、それを師匠に言うと、「わしは、そういう道と違うから、あんたがやりなさい」と言われました。祖母に聞いてもらった経験と、師匠の英語落語の要素などを足して、子どもも楽しめる落語を演じるようになったのです。子どもが楽しめる落語と、お年寄り向きの落語は、二人三脚しているのでしょう。これは、かなり大きなポイントと言えるかもしれません。
みんなの介護 ありがとうございます。最後に師匠の現在の取り組みについても伺えますか。
現在、「上方落語全集」を作られていますね。完成させることが当面の大きな目標ではないのでしょうか。
桂文我 目標と言うより、例えが正しいかどうかはわかりませんが、一升枡に醤油が入っていたとして、そこへ雫が、ポトンポトンと落ちてきて、これが零れ落ちているようなことなのです。今まで溜まってきたことを纏めたのが全集だけに、新しく目標を設定したと言うより、今までの纏めと言った方が正しいかもしれません。
みんなの介護 これまでの延長線上にあるご活動ですね。
桂文我 それだけに、全然、苦しくないのです。一番大変なのは解説で、ネタに対する、裏打ちの風俗的・民俗的なことを書いて行くのが大変。ネタを纏めるだけなら、直ぐに出来ますから。
上方落語は、昭和11年から15年まで、五代目笑福亭松鶴師が、大阪の落語家が少なくなり、芸を継ぐ、若い者が居なくなった状況を危惧し、ネタを文字で残すことにしたのです。「後々、志のある者が、これを礎にし、立て直してくれるだろう」と、49冊も出版して、100席近いネタを残しました。戦後、私にとっては大師匠の桂米朝師や、六代目笑福亭松鶴師が中心になり、その本を礎に、数多くのネタを復活させたのです。文字で残るネタは、的確に書いてありますから、本当に強い。
みんなの介護 受け継がれて行くのですね。
桂文我 せめて、文字と音が残れば、落語は何とかなります。仕種などは、個人の工夫。文字で残せば、次の時代に繋がるでしょう。
みんなの介護 100年後も200年後も落語がなくならないような確信めいたものを感じました。壮大なプロジェクトですね。
桂文我 それだけに、時間が足りませんし、時間切れになっても、仕方がないと思っています。私の後、「もう少し、良い演り方を加えよう」という人が出てきたら、それでいいでしょう。もう、そんな年齢になってきました。
みんなの介護 年齢を感じることもあるのでしょうか。
桂文我 私の師匠や米朝師など、数多くの先人から習ったことを、次の時代の者に伝えて行く年齢になったということです。米朝師は、幕末頃に生まれた方から習ったネタや逸話を、我々に伝えてくれました。
先人の師匠方が、こんなことを仰っておられたということを、次の世代に渡せたらいいのではないかと思っています。
みんなの介護 素敵なお話です。本日はありがとうございました。
撮影:御堂義乗