【後編】ガザ爆撃で病院に搬送された子供が自分の子で…帰国の日本人看護師が見た惨状

12月12日から、パレスチナのガザ地区の情勢をめぐって国連総会の緊急特別会合が行われた。人道目的の即時停戦を求める決議案が採決されたが、いまだに平和とは程遠い。
そんなイスラエルとハマスの衝突で多くの命が失われ、今なお危険にさらされている人が多いこの地域で、医療活動をしていた日本人女性がいる。大阪赤十字社病院の看護師・川瀬佐知子さん(45)だ。
川瀬さんは、11月5日に帰国したが、今でも現地に残るスタッフとメッセージアプリを通じて連絡を取り合っている。連絡が途絶えると現地の人々の安否を案じ、不安になるという。今回、川瀬さんに現地で起きたことと避難中の状況について語ってもらった。
情勢悪化により川瀬さんは国際赤十字宿舎からの避難生活を余儀なくされ、そのとき訪れた南部の避難所では、慢性疾患の薬の調達や風邪症状への対応、火傷の応急処置、お産したばかりの母子の健康管理など、医療支援もしていた。
「お産が数件あったので、赤ちゃんの状態を診たりもしました。やはり私も自分の持っている技術や知識を活かせるのは嬉しかったですし、心が安定しました。私は看護師ですが、現地の方々は“ジャパニーズドクター”と歓迎してくれたんです。子供がわっと寄ってきて、処置できないほど。十分な医療支援とはいえませんでしたが、血圧を測るだけで『来てくれて、ありがとう』『明日も来てくれる?』と言ってくれるんですね。
そのお礼にと、スープをご馳走になることもありました。明日、自分たちの食糧が尽きるかもしれないのに……。ガザの人たちはすごく親切です。集まってきた子供たちと一緒に折り紙を折ったりもして、逆に私が癒されました」
一方、南部以上に激しい戦闘にさらされている北部は悲惨な状況だった。電気が遮断されたため、スマホの画面を照らして処置をすることもあったという。爆撃が続いていて、川瀬さんの職場であったアルクッズ病院でも10メートルほど先の道路や、上の階に爆弾が撃ち込まれる被害があったという。
「負傷者が次々に運ばれてきたようです。ある小児科のドクターが対応にあたろうとしたら、それが自分の子供だったんです。一人は男の子で亡くなっていて、もう一人の女の子はICUでの治療が必要なほど重症で……。周りのスタッフもかける言葉がなく立ち尽くしていたそうですが、その後もどんどんと患者が運び込まれて、治療にあたり続けなければなりません」
こうした過酷な現地に後ろ髪を引かれる思いで、川瀬さんは11月5日に無事に帰国し、記者会見で現地の状況を伝えた。
「記者会見の内容はアラビア語に翻訳されて、仲間である病院スタッフの元にも届いていました。だからこそ、私自身の声は小さいものですが、今後も自分の体験や、彼らの訴えを発信していかなければならないと思っています」
悲惨な状況にあるガザ地区に、平和が訪れる日を願うばかりだ。