全盲の母が「1回限り」といって、頼んできたのは…?

2022年6~8月に開催された、エッセイコンテスト『第6回 grape Award』。
メディア『grape』のコンセプトである『心に響く』というテーマを軸に、身の回りであった心温まるエピソードや、心が癒される体験談など、作品を見た人が強く共感するようなエッセイを募集しました。
寄せられた643本もの応募作品の中から、最優秀賞が1作品、タカラレーベン賞が1作品、優秀賞が2作品、選ばれています。
今回は、応募作品の中から優秀賞に選ばれた『もう一度聞きたい「母の一回限り」!』をご紹介します。
思い返せば、母の挑戦はいつも「一回限り」という言葉で始まった。
「視覚障がい者マラソン大会か出来るんだって。お母さん、マラソン走ってみたい。一回限りだろうから、明日から一緒に走って!」
四十二歳、体重八十kg、全盲の母のその言葉に驚かされるが、私の母に二言はない。
唯一の家族である私は、必然的に伴走者となり、翌日からトレーニングを開始。三週間の練習の後、初の三キロレースで母は優勝、毎年大会は続くと聞き、翌日からも二人三脚での練習と大会の日々が続く。
「継続は力なり」「出来る人と違って、出来なければ人の何倍も何十倍も努力しないといけない」と、たゆまぬ努力を重ねた母は、マラソンが生き甲斐となり、いつしか「一回限り」を「一生走る」に言い換えていた。
「美智子、ホノルルマラソン走ろう。一生一度だろうから」と、走り出して三年目、母は初フルマラソンの舞台をホノルルに決める。

高校受験の年で迷う私に、「一週間学校休んで落ちるなら、休まなくても落ちる」と母はきっぱり言い、共に参加、想像を超える苦しみと、それを遥かに超える感動を味わった。
ホノルルマラソンに魅了された母は、一回では済まず、亡くなる半年前の大会まで、三十二回の参加を続けた。
市民ランナーの目標である、フルマラソンの四時間切り『サブ4』も達成し、次に母が掲げたのは、走歴十周年を記念し、過酷な百キロウルトラマラソンへの挑戦。
「お母さん、百キロ走ってみたい。この十年でどれだけ力がついたか試したい。一生一度の思い出作りに」と、自己の限界に挑んだ。結果は時間外完走。
母は勿論翌年リベンジし、時間内完走を果たす。ウルトラマラソンの魅力にも触れた母は、計八回の百キロレースを走破した。
「一回限り」という言葉で始まる母の全力でのチャレンジ。母が次々と自己の限界に挑戦し、それをクリアする姿は、私をワクワクさせ、「不可能なんて無いのでは」と思わせてくれた。
母と過ごした四十七年間、母の伴走をした三十五年間を「本当に親孝行だね」と、よく多くの方に言われたし、母にもいつも感謝された。
しかし、私としたら、二十二歳で失明し、死を選ぼうとした時期もあった母が、マラソンを転機とし、「私より幸せな人がいるのかしら」「目で感じる光は無いけれど、心はいつもいい天気」と言いながら、輝いて生きている、その母の側に居られる事が本当に幸せで、私の原動力であった。

恒例のホノルルマラソンより帰国後一週間で癌が発覚、病勢が強く、半年で天国に旅立ってしまったが、母の強い意思は、共に歩んだマラソン人生の中で、しっかり受け継いだ。
「三キロから始めたマラソンが、百キロまで走れるようになった。まさに継続は力なり。マラソンに出逢い、生きる喜びを感じられた。この喜びを一人でも多くの人に伝えたいし、味わって欲しい。自分の体験を無駄にせず、誰かの役に立てる生き方がしたい」という母の強い思い。今後は、伴走者から『後継者』となって、母の意思を必ず継ぐ。
きっと今でも母は、「一回限り」と言いながら、自己の限界に挑戦し続け、周囲を元気づけているに違いないと想像する。
「もう一度だけでいいから、お母さんの『一回限り』の言葉が聞きたいよ!」
空を見上げ、心の中で思いっきり叫ぶ。
そして、今日も又、私達母娘の人生であるマラソンで、私は1日のスタートを切る。
第6回 grape Award 応募作品タイトル:『もう一度聞きたい「母の一回限り」!』作者名:まさこちゃん
※この作品は、12分6秒からご聴取いただけます。
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[文・構成/grape編集部]