『不適切にもほどがある!』元祖不良アイドル・三原じゅん子が“セクシー・ナイト”だったころ「16歳の女の子が恋をするのは当たりまえでしょ」80年代のお宝写真大放出!

昭和世代にとって、なつかしいワードが連発される金曜ドラマ『不適切にもほどがある!』(TBS系)。2月23日放送の第5話では、登場人物のやりとりのなかで、“昭和の不良アイドル”三原じゅん子の名前が出て、昭和世代は思わずニヤリ。いまや政治家となってしまった元アイドル、“三原順子”はどんな存在だったのか? 当時の雑誌インタビューと併せて大放出する。
昭和と令和の価値観の違いをコミカルに描く話題のドラマ『不適切にもほどがある!』だが、作品のおもしろさはそこだけではない。これまでも“ムッチ先輩”こと秋津睦実(磯村勇斗)の風貌や言動から、マッチこと近藤真彦の80年代の絶大なる人気ぶりを表現。また、ドラマ内での架空のセクシー系深夜番組「早く寝ナイトチョメチョメしちゃうぞ」のMC鈴木福助(秋山竜次)は昭和の司会者、山城新伍(ケーシー高峰との説も)を彷彿させたりと、平成世代以降にとっては、昭和のカルチャーや芸能界を垣間見られる貴重な情報源にもなっている。
『不適切にもほどがある!』のポスター(撮影/集英社オンライン)
なかでも、主人公の“ザ・昭和のオヤジ”、小川市郎(阿部サダヲ)のひとり娘、純子(河合優実)のツッバリ具合は、放送当初からSNSなどで「“昭和の不良アイドル”三原じゅん子(当時は三原順子)そのものだ!」との声が上がっていた。そして、23日放送の第5話だ。市郎は義理の息子、犬島ゆずる(古田新太)との会話の中で、純子のグレっぷりを「ひどいもんだよ。下町の三原じゅん子と言われてる」とこぼす。その三原じゅん子が現在は国会議員であることを聞かされると、「え? 三原じゅん子が? 嘘だ。『セクシー・ナイト』だよ?」と、その意外な転身ぶりに混乱するシーンも。昭和を生きる人にとってはさぞ衝撃だったようだが、当時の三原じゅん子はいったいどんな存在だったのか。アイドル文化に詳しいフリーライターの堀越日出夫が解説する。
「週刊明星」(1980年9月14日発売号。撮影/今津勝幸)
「彼女は松田聖子や河合奈保子と同じ“80年組”ですが、いわゆるアイドルとは違う女優路線。当時、一世を風靡した『3年B組金八先生』(第1シリーズ。1979~80年放送)ではツッパリの女生徒、山田麗子を演じました。金八先生に出演する生徒はほぼ素人が多いなか、劇団所属で子役として活動していた三原じゅん子は演技のレベルが違い、大ブレイク。1980年の歌手デビュー曲『セクシー・ナイト』も大ヒット。彼女の楽曲の中で最大のセールスとなりました」
子役の三原がツッパリ役に抜擢された背景はなんだったのか。堀越氏が続ける。「当時は全国的にツッパリブーム。だからツッパリ役が“偽物”だと全国のツッパリからナメられて、格好がつかない。その点、三原じゅん子は小学校4年生で同級生の男子をボコボコに殴って一目置かれたり、中学時代は彼女の芸能活動に嫉妬した同級生からいじめを受けたとされていますが、ナメられないようにヤンキーの格好をして登校したりと、その度胸が役どころにピッタリだった。実際に演じてみても、その説得力から『三原じゅん子っての、やるじゃん』とツッパリたちからも評価され、当たり役につながったのでしょう」そのあたりのエピソードについては、自著『片恋いのラブレター あなたに伝えたい』(ワニブックス。1980年発行)に詳しい。
『片恋いのラブレター あなたに伝えたい』(ワニブックス)
「〈もういいや、ツッパってやろう〉そう思ったの。志村一中は、真面目な子ばっかりだったから、すごく目立ってた……。スカートを長くして、カバンはペッタンコ。授業中も腕組んで、足組んで、ふんぞり返って聞いてたの。言ってみれば、『金八先生』の山田麗子みたいな感じでした」
山田麗子の名言「顔はやばいよ、ボディやんな、ボディを」は現代の若者でも聞いたことがある人も多いはず。そこからすっかりヤンキーイメージがついた三原は当時の雑誌のインタビューでもその豪胆さを発揮。1981年7月発売号の「明星」で当時交際していた俳優・宮脇康之との仲について聞かれ、このように答えている。
「どうしてこんなに騒がれるのかしら。16歳の女の子が恋をするのは当たりまえでしょ。私はタレントだからって、それをとりつくろったり、ウソをついてまで生きのびようとは思わないわ。自分の心に正直に生きるだけ。もう少しそっとしておいて欲しいの」
三原と同世代の50代女性ライターも振り返る。「金八先生シリーズはその後、仙八、新八、含めたくさんのアイドルを生み出したけど、ヒロイン役でいえば、三原順子の人気は別格。まずなによりマブかった。あの頃はかわいくて目立っちゃう女子はすぐ不良たちに目をつけられて、ツッパリに転がる運命。マブくてヤンキーは最強だったのよ。うちらは三原順子より2コ下だから“順子姐さん”って呼んでましたね。それだけに、ケンちゃん(宮脇康之)と付き合い始めたときは大ショック。あれはイメージダウンだったわ……」さらに忘れられない思い出として語る。「歌手としては『セクシー・ナイト』のほうが売れたけど、うちら世代にとっては断然『だって・フォーリンラブ・突然』ですね。それまでのダークなセクシー路線とは大きく方向変換した大人の女のロックンロールって感じが、順子に超マッチしてました。それもそのはず、作曲は横浜銀蝿のTAKU、作詞は山田麗子ですからね。金八の山田麗子のヤンキーマインド全開なわけですよ。この曲で1982年の紅白にも出ましたが、全身スパンコールのジャンプスーツで、肩から下げた豹の巻き物をブンブン振り回してのパフォーマンスは忘れられません」
1982年5月にリリースした8枚目のシングル。『だって・フォーリンラブ・突然』作詞:T.C.R.・横浜銀蝿・R.S. & 山田麗子 作曲:TAKU(キングレコード)
そんな彼女もいまや自民党議員として参議院議員に3度当選している現職の国会議員だ。前述のドラマ本編のやりとりに対して、三原は本人のX(Twitter)で「ん?…私が出てきた!笑」とほぼリアルタイムで反応しているが、その他の投稿は政治活動に関するものが多い。
ん?…私が出てきた笑#futeki_tbs #不適切にもほどがある
このように今となってはすっかり政治家然として振舞う三原だが、国会でも「ツッパリ」時代を彷彿とさせたことがあった。2019年6月の参院本会議では、安倍晋三首相(当時)に対し、野党が出した問責決議案への反対討論に登壇。「民主党政権の負の遺産の尻ぬぐいをしてきた安倍総理に、感謝こそすれ、問責決議案を提出するなど、まったくの常識はずれ。愚か者の所業とのそしりは免れません。恥を知りなさい!」と野党を一刀両断した。「世論は賛否両論でしたが、これで三原氏の注目度が高まったのは事実。また、2021年の衆院厚生労働委員会では、『そもそもこの五輪はいったい何のためにやるのか』と指摘した当時の新型コロナウイルス感染症対策分科会の尾身茂会長に対して、メンチを切るように睨みつける三原氏が写真に撮られた。それが『怖すぎる!』とネットで話題になったこともありました」(全国紙政治部記者)
「週刊明星」(1980年11月9日発売号。撮影/横谷弘文)
山田麗子を初めて演じてから40年以上経った今も、ヤンキーマインドは沁みついているようだ。一方、ドラマの純子は、第5話で衝撃の展開が語られた。ストーリーもこれから後半戦。いったいどんな結末が待っているのか。昭和の雰囲気とともに楽しみにしていきたい。取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班