国民へは極秘… 大和型は敵からどんな戦艦だと思われていた? 「とんでもなくデカい」「そんな主砲あるはずない」錯綜した情報

大和型戦艦は、旧日本海軍の最高機密である「軍機」に指定された戦艦であり、徹底した機密保持の中で建造されました。そうした機密保持はどの程度、成果を挙げていたのでしょうか。ここでは対戦国側の記録を見ていきます。
旧日本海軍の象徴ともいわれる大和型戦艦。基準排水量6万4000トン、世界最大の46cm砲9門、舷側装甲410mm、水平装甲200~230mm、速力27ノット(50km/h)などの兵装と性能は、広く知られるところです。 しかし、大和型は徹底した機密保持下で建造された戦艦で、その実態を戦時下の日本国民はほとんど把握していませんでした。大和型を建造した呉や長崎では、「大きな軍艦を建造しているらしい」と多くの住民は勘づいていたようですが、箝口令もありそのことを口外する人はいませんでした。
国民へは極秘… 大和型は敵からどんな戦艦だと思われていた? …の画像はこちら >>呉海軍工廠で艤装中の「大和」。艦後方から撮影しているため、写真の砲塔は後部の3番砲塔(画像:アメリカ海軍)。
信じがたいですが、住民どころかレイテ沖海戦で大和型を指揮下とした栗田提督や、沖縄に特攻した天一号作戦での宮本砲術参謀ですら「主砲口径が46cmとは知らなかった」とアメリカ軍に供述しているほどで、捕虜も「45cm砲」など事実とは異なる供述をしていたようです。
その一方で、「大和」「武蔵」という新鋭戦艦があること自体は、日本国民にも噂話として知られており、アメリカ軍も「大和」を撃沈した際に「『大和』は航空機の援護がなく沈没し、姉妹艦『武蔵』もフィリピン海戦で沈没した」という宣伝ビラを投下しています。
アメリカは大和型についてどの程度把握していたのか。これは時期によって異なります。日本が海軍軍縮条約から脱退し、独自軍備を始めた時に、アメリカは日本の新型戦艦を「4万トン級で主砲は40.6cm砲8~9門、速力30ノット(55.6km/h)」程度と予想し、演習でもそのように扱いました。
建造については、1939(昭和14)年の『ジェーン年鑑』で、1938(昭和13)~1939年に呉、横須賀、神戸、長崎の4か所で起工とされ、1941(昭和16)年度版では5隻に増えています。その根拠は不明で、また建造場所の予測と起工時期はともかくとしても、大和型の計画数は5隻ですから、当たらずとも遠からずといったところでしょう。
ただ、太平洋戦争の開戦直後にアメリカが出した『日本海軍艦艇識別帳』では、艦名も「日進」「高松」とされるなど、情報は不正確でした。つまりアメリカは、「戦艦名は旧国名から付けられる」という当時の日本の少年でさえ把握していた情報を知らなかったことになります。
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戦艦「大和」(左)と「武蔵」。トラック基地にて1943年(画像:アメリカ海軍)。
それでもアメリカ軍は暗号解読により、1942(昭和17)年12月には艦名が「大和」「武蔵」であることを把握します。そして1943(昭和18)年末には「排水量6万トン以上、主砲は46cm砲の可能性がある」との情報も得ていましたが、裏付けは得られない状態でした。
同じころ、アメリカ軍潜水艦「スケート」が「大和」を発見し、「アルカトラズ島のように巨大だった」と報告しています。「艦名不明の戦艦に魚雷2本を命中させた」としましたが、ロックウッド司令官が国民へのクリスマスプレゼントとして「新鋭戦艦『大和』を損傷させた」と報じたことで、艦長と司令官とのあいだでひと悶着あったようです。この報道もあり、海外で「日本の新型戦艦は大和型」と認識されるようになっていきます。
その一方、性能に対する予測は不確定で、1944(昭和19)年7月時点でも『レコグニション』誌には「基準排水量4万5000トン、全長265.2m、全幅42.4m、40.6cm砲9門、15.5cm砲12門、28ノット(51.8km/h)」と記載され、「アイオワ級戦艦を除く全ての戦艦に匹敵する」と評価されてもいました。そうした情報も参考にしつつ、1945(昭和20)年の『ジェーン年鑑』では「最大速力30ノット(55.6km/h)、舷側装甲356mm、水平装甲152mm」と異なる情報が記載されています。
なお、1944年10月のレイテ沖海戦で航空写真が撮影されたこともあり、全幅や高角砲の装備数の記載が改められたものの、アメリカは最終的にはそのように評価していたようです。
とはいえ、天一号作戦で沖縄に向かう「大和」迎撃を命じられたデイヨー艦隊では、「『大和』の主砲がもし18インチ(45.7cm)砲なら、その射程は4万5000ヤード(4万1148m)に達するので、16インチ(40.6cm)砲の戦艦しか持たない我が艦隊はアウトレンジ(編注:自軍の射程外から攻撃されること)される可能性があるし、その高速性で突破される可能性もある」という意見も出ました。想像するに“我々が劣るはずがない”から「大和型の主砲は40.6cm砲だろう」といった認識の一方で、「45.7cm砲を備えた高速戦艦に違いない」という意見も根強く見られたことになります。
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朝鮮戦争で艦砲射撃中の戦艦「アイオワ」(画像:アメリカ海軍)。
筆者(安藤昌季:乗りものライター)の私見ではありますが、航空写真で概ね正確なサイズが判明しているのですから、アメリカ軍の一部で「大和型の搭載主砲は40.6cm砲ではない」と考えるのは無理もありません。
アメリカ軍は当時、大和型の全長、全幅、副砲・高角砲は正しいサイズで査定しているので、「自軍の戦艦より大きな主砲であってほしくない」という気持ちが見え隠れして「40.6cm砲」と査定したものとも考えられます。実際、プラモデルで並べても、大和型の46cm主砲塔は40.6cm砲のアメリカ戦艦より、一回り大きなものですので……。
※一部修正しました(3月10日8時40分)。