「どう見ても爆撃機…」一式陸攻はなぜ「陸上攻撃機」なのか 旧海軍独自の分類方法とは

旧日本海軍で運用された九六式陸上攻撃機や一式陸上攻撃機は、世界的に見ても爆撃機のような見た目ですが、なぜ「陸上攻撃機」と呼ばれたのでしょうか。それは海軍独自の命名方法に理由がありました。
旧日本海軍の機体で、第二次世界大戦中に運用された九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機など、当時の他国では2発爆撃機のような見た目のものを、海軍では「陸上攻撃機」と呼称します。一体なぜこのように呼ぶことになったのでしょうか。
「どう見ても爆撃機…」一式陸攻はなぜ「陸上攻撃機」なのか 旧…の画像はこちら >>飛行する九六式陸上攻撃機(画像:サンディエゴ航空宇宙博物館)。
これら「陸上攻撃機」は、魚雷を抱えて艦艇を攻撃するという海軍機らしい運用法もありますが、アメリカとの戦争が始まる前の日中戦争の時点でも度々、九六式陸攻と一式陸攻は陸軍の爆撃機同様に長距離を飛行し、地上目標への爆撃を行っていました。
ではなぜ爆撃機ではなく攻撃機なのか、実は当時の海軍の命名法では、爆撃機は別にありました。「急降下爆撃機」です。海軍では元々、艦載機のうち水平飛行で爆撃を行う機体について、敵の艦艇を“艦上”から発進して“攻撃”する機体として「艦上攻撃機」と呼称していました。時がたち、1930年代から投下直前に急降下を行うことで爆弾の命中率を高めることができる急降下爆撃機という機体が開発されるようになります。それを海軍では艦載機として使い始めますが、同機種を海軍では「艦上爆撃機」または単に「爆撃機」と呼ぶようになったのです。
陸上攻撃機は“陸上”から発進する水平爆撃や魚雷攻撃の行える“攻撃機”だったため「陸上攻撃機」となります。これらの機体は元々、1930年4月の「ロンドン海軍軍縮会議」で、戦艦などの主力艦のみならず、巡洋艦・駆逐艦などの補助艦艇にも制限がかけられたことをきっかけに作られた経緯があります。
ロンドン海軍軍縮条約で仮想敵国としていたアメリカの7割に補助艦保有数を制限された日本は、アメリカと将来的に海戦が発生した場合、数に劣る日本海軍を少しでも有利にするため、航空機や潜水艦を用いて、戦艦などが砲撃で雌雄を決す艦隊決戦の前に戦力を削ごうと考えます。これを「漸減(ざんげん)戦法」といいます。
その際に、地上から飛び立ちアメリカ艦隊に魚雷攻撃、もしくは爆弾による攻撃を行うことを期待され、開発されたのが「陸上攻撃機」でした。同機種では特に魚雷攻撃が重視されました。当時、敵艦よりも遥かに小さい兵器が有効打を与えられる確率が高いとみられていたのが魚雷だったからです。
第二次世界大戦の勃発直前には、航空機の技術の進歩もあり、エンジンの馬力が向上することで単発の機体でも安定した魚雷攻撃が可能になり、艦上攻撃機のほとんどが魚雷装備となりました。しかし、最初の本格的な量産型陸上攻撃機になる九六式陸攻が開発されている頃は、まだ実用的な魚雷搭載型の艦上攻撃機の完成型といえる九七式艦上攻撃機が登場する以前だったため、航空機による魚雷攻撃の利点を陸上攻撃機は先取りする形となります。
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日本本土を飛ぶ一式陸上攻撃機(画像:パブリックドメイン)。
そのため、陸上攻撃機は同時期の世界の双発爆撃機にシルエットこそ似ていますが、海軍的としては陸上から敵艦隊に魚雷攻撃可能な雷撃機という扱いだったのです。
つまり爆撃機としての仕事は“ついで”だったわけですが、 艦上攻撃機には陸上から発進する性格上、海上の目標に到達する長大な航続距離が求められました。その、長大な航続距離という性能が、敵の後方施設にダメージを与える「戦略爆撃機」としての利点を、第二次大戦勃発直前の日中戦争で証明する形となったのです。
ただ九六式陸攻に関しては、双発爆撃機で4発大型爆撃機並みの長大な航続距離を要求された関係で、防弾装備に大きな問題を抱えていました。日中戦争での戦略爆撃に投入された九六式陸攻は敵機の待ち伏せにあい、大きな損害を負うことになります。
一方、後継機の一式陸攻は中国での爆撃において、当時の基準では画期的だった高高度飛行性能や高速性を活かし、損害を最小限にとどめます。しかし、やはり長大な航続距離を獲得するために主翼内をインテグラルタンク(主翼の構造材そのものをタンクとすること)にしてしまったため、当初は防弾性が全く考慮されませんでした。大戦中は多少改善されることになりますが、アメリカとの戦闘では主にアリューシャン方面での戦いや、戦争後期の艦艇攻撃などで大きな損害を負うことになります。
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一式陸攻の後継機である「銀河」は爆撃機扱いだった(画像:パブリックドメイン)。
九六式陸攻や一式陸攻は「中攻」とも呼ばれました。それより爆弾搭載量に優れ、防弾性も犠牲とせずに航続距離を伸ばしやすい「大攻」という機体の開発が海軍では度々試みられていましたが、結局どれも少数生産に留まり、終戦まで「中攻」である一式陸攻がその役割を担うこととなりました。なお、一式陸攻の後継機である「銀河」は急降下爆撃が可能であったことから爆撃機扱いでした。