富士山頂に物資届ける「強力」として生きた男・並木宗二郎さんの生涯 井ノ部康之著「雪炎 富士山最後の強力伝」

日本最高峰・富士山の山頂に2004年まで設置されていた測候所へ、20年以上にわたり生活物資などを運んでいた男の生涯を描いた「雪炎 富士山最後の強力伝」(ヤマケイ文庫、1100円)が、出版から28年の時を経て文庫化された。当時とは世の中や富士山を巡る環境が大きく変化した中で、再び世に送り出された同書への思いを著者の井ノ部康之さん(84)に聞いた。(高柳 哲人)
「強力(ごうりき)」という言葉を知っているだろうか。「歩荷(ぼっか)」とも呼ばれるが、これは山岳地帯など車両の進入が難しい場所で、人間が荷物を背負って歩いて運搬をすること、またはその仕事をする人のことを指す。主人公の並木宗二郎さん(2020年死去、享年81)は1994年まで21年間、強力として富士山に登り続けた。本書は、テレビ番組の制作をきっかけに並木さんと出会った井ノ部さんが、96年に出版した単行本を文庫化したものだ。
編集担当から文庫化の話を受けた時には「『(話の内容が)古いけれど大丈夫かな?』という戸惑いがあった」という。出版からすでに28年が経過。並木さんが荷物を運んだ富士山測候所は04年に、その役目を終え閉鎖された。さらに、現在は山小屋などへの物資運搬はヘリコプターやブルドーザーなどが利用されており、強力は過去のものとなっている。山に詳しくない人はもちろん、山好きであっても、若い世代には「強力って何?」という人も多いからだ。
「でも、編集担当からは『富士山の測候所というのは、日本の気象観測の歴史でもある。その歴史は残すべき。今、この本を出すことは意味があるんです』と言われました。それを聞いて『確かにそうかもしれない』と思ったんです」
「雪炎」というタイトルは、並木さんをテーマに93年に制作され、優れた番組や個人、団体を表する「ギャラクシー賞」に選ばれた番組にも使われた、井ノ部さんによる造語。並木さんの姿を見て思い浮かんだ言葉だという。
並木さんの長女は、5歳の時に病気のため全盲に。それを悲観した妻が自ら命を絶ってしまったことから、2人の息子も含めた3人の子供を男手一つで育てることになる。もともとは理容師だった並木さんが、なるべく子供たちと過ごす時間を増やすために選んだのが、効率良く稼ぐことのできる強力という仕事だった。
「並木さん自身は本当に物静かな人なのですが、その中に燃えている『炎』を感じたんです。その熱い思いと厳冬の富士山という相反するイメージの中で浮かんだ言葉。彼が自然に立ち向かう姿、子育ての現実に直面する姿に『炎』を見て、『これだ!』と。後になって、馳星周の小説に同じタイトルの作品があったり、演歌歌手の曲にも『雪炎』という単語が入っていたりするのを見た(沖田真早美が歌う『雪炎岬』)けれど、私が最初に作った言葉ですよ」
番組の完成後も、井ノ部さんと並木さんの交流は続いた。酒を飲んだり、一緒に風呂に入りながら、並木さんはフランクに、自分のことを包み隠さず話してくれたという。
「よく覚えているのが、並木さんに『大変だね』と声をかけた時に返ってきた『仕事だからね』『しょうがないよ、親だから』という言葉。普通なら愚痴りたくなるところでしょうが、淡々と返事をするんです。楽しそうに話すわけではないんだけれど、嫌そうにも聞こえない。『やらなければいけない』という気持ちが伝わってきました。こちらは胸が詰まる思いをしているんですが、淡々としている。怒ったり、わめいたりしない。『こういう人が強い人なんだな』と感じさせられましたね」
本書を出版しているのは「山と渓谷社」。日本を代表する山岳雑誌「山と渓谷」で知られる出版社だ。それだけに「山のことを知らないと、中身がよく分からないかも…」と取っつきにくい印象もあるが、井ノ部さんは「山に興味がない人が読んでも、心に響くものは必ずあると思う」と強調する。
「本を読んだ人からは『相当、山に行っているんですね』と言われますが、実はほとんどが話を聞いたり勉強をしたりして得た知識なんです(笑い)。富士登山も35年くらい前に挑戦したことがありますが、7~8合目まで登った時に高山病の症状が出て、途中で下りてきてしまった。頂上までは行ったことがないんです。だから、皆さんと同じように『富士山は登るのではなく、見て楽しむ山』というイメージの方が強いですね」
そんな自分自身を重ねつつ、並木さんはどのような思いで富士山に登り、人生を送ったのかを本書から感じ取ってもらいたいという。
「冬の富士山は雪、強風、寒さとの闘い。その中を21年にわたって10日に一度、登り続けた。想像もつかない大変なことですが、登っている時はどのような心境だったのか。そして、その裏にあるさまざまな困難を抱えた家族の物語はどんなだったのかを知ってほしい。『男一匹・並木』の姿は富士山を舞台にした人間ドラマなんです。誰か、テレビドラマ化してくれないかな…」
◆井ノ部さんが選ぶおすすめの1冊 パオロ・コニェッティ著、関口英子訳「帰れない山」(新潮社クレストブックス)
井ノ部さんが挙げたのは、やはり山を舞台にした小説だった。「もともとは、息子から『面白いよ』と薦められて手に取った」という同書は、2017年にイタリアで出版されたもので、世界39か国語に訳された国際的ベストセラー。22年には映画化(日本では昨年5月公開)され、同年のカンヌ国際映画祭で審査員賞を受賞した。
イタリアのミラノに住む山好きの父親に育てられた少年が、ある時イタリア・スイス国境にあるモンテ・ローザの麓に住む少年と知り合うことから物語が始まる。「2人は山を通じて交流していくのですが、やがてすれ違いが起きる。タイトルから見ても何となく想像がつきますが、ラストは必ずしもハッピーエンドではありません」。それでも物語にひかれるのは、作品内の風景描写だという。
「スイス、イタリアの山々が非常に美しく描かれており、その情景が読み進めていくと頭の中に浮かんでくるようになります」。山岳小説であると同時に、人間ドラマとしても秀作であるとした。
◆井ノ部 康之(いのべ・やすゆき)1940年4月23日、福井県大野市生まれ。84歳。東北大文学部美学美術史学科卒業後、図書編集者を経て70年から約30年間テレビの構成作家を務め、ドキュメンタリー番組やスポーツ番組などを制作。93年、静岡朝日テレビの「雪炎・星と語る男たち」で同年度のギャラクシー賞を受賞。作家としては茶道の千家をテーマにした3部作「千家再興」「千家奔流」「千家分流」のほか、ノンフィクションも手掛ける。