東日本大震災から12年 福島に帰るか、新潟に残るか…自主避難先で広がる縁【新潟】

東日本大震災から3月11日で12年。新潟県内では今も2000人近くが避難生活を送っています。福島市から自主避難を続ける女性は福島に帰るのか、新潟に残るのか、今も迷いの中にありながら一歩ずつ歩みを前に進めています。

新潟市中央区の新潟伊勢丹。様々な分野で全国に誇るべき新潟の隠れた名品をバイヤーが発掘し紹介・販売するのが新潟越品のコーナーです。

【杉本一機キャスター】
「新潟で作られる名品が並ぶ中、フラワーアレンジメントの作品が紹介されています。柔らかく温かな雰囲気が見る人を癒してくれます」

淡く優しい色合いが春を感じさせるリースや壁飾り。

【新潟伊勢丹 小籏大祐バイヤー】
「素敵な作品、さらにかわいらしい華やかな細かい技も使っていて、非常に素晴らしいなと思って目に留まった。ぜひ越品のコーナーで紹介したいなと」

新潟の名品の一つとして紹介されているこれらの作品を製作したのはフラワーアレンジメント作家の角田郁子さんです。

【角田郁子さん】
「素晴らしいデパートなので、そこに自分の作品が並ぶことが本当に嬉しくて思わず叫びました。やったーと」

私たちが角田さんと出会ったのは2011年。

【2011年当時】
「母子避難はとても心細い主人も仕事で離れているし」

福島市出身の角田さんが東日本大震災そして福島第一原発事故の影響で子どもたちとともに福島から新潟市に避難してきた年でした。

母子避難の大きな不安を抱えながら気を紛らわす意味も込め、角田さんが始めたのが福島に住んでいた時から取り組んでいたフラワーアレンジメントの作品作りです。

【角田郁子さん】
「細かいのが好きで一つ一つ物語を作りながら自分で」

その後、毎年同じく福島から避難してきた作家仲間とともに作品展を開いている角田さん。今年、新潟伊勢丹から新潟越品のコーナーで紹介したいと連絡が入ったのは恒例の作品展の準備を進めていた中でのことでした。

【角田郁子さん】
「色んな経験を新潟で積ませて頂き、活動の幅も広がってそういうのを見ていただく機会が増えているというのが目に留まったのかななんて」

避難者としてではなく「新潟で活動する一人の作家」として活躍が認められた瞬間でした。

そこには避難してきた当初は想像もしていなかったほどに新潟での縁が広がり歩みを進めている自分自身の姿があります。

【角田郁子さん】
「たくさんの縁がここでいただけて、毎年来てくださるお客様を想像しながらこんなのが好きだったよなとか、喜んでいただけるように毎年考えているうちにどんどんパワーアップできた。震災当初は落ち込みましたが、こんなに前向きに明るく頑張れることがあるなんて考えてもなかった」

今も夫は福島に残り、母子避難の生活を送る角田さん。今後、福島に帰るのか新潟に残るのか答えは出ていません。

それでも今、目の前のことに精一杯取り組むことだけを考えたいといいます。

【角田郁子さん】
「5年後どうしようとかイメージが…考えると不安になってしまう。前を向いて楽しく頑張れてきたことが積み重なってここまで来たというのが凄くあるので、今を大切に楽しく頑張っていく」

震災から間もなく12年、長期化する避難生活の不安と向き合いながらも一歩ずつ前に進む一人の女性の姿があります。