特別支援学校の実態を撮り続けたママカメラマン「僕にはみえているよ」

家族に相談もしたが、
「夫や実母は、『だったら瑞樹は学校に行かなくていいよ』との返事。友達も『そんなに無理しなくていいんだよ』と。
私を心配してのセリフとはわかっています。でも、本当に私がほしかったのは、一日でもいいから『付き添い代わろうか』『一緒にいようか』という言葉でした」
瑞樹君の世話はけっして嫌ではなかった、と打ち明ける。
「ただ、周囲の『さすがお母さん』の言葉ひとつで、私にすべて丸投げされるのはもうごめんだと。
結局、少しだけ休みましたが、そうなると家のベッドにいる瑞樹を見て、やっぱりまた学校を思い出すという葛藤の繰り返し。最後は、この先も急に私に何かあったらこの子はどうなっちゃうんだろうという絶望に至るんです」
この危機的状況を救ったのは、小2から週1で学校を休んで利用するようになったデイサービス。
「その一日に、たまった家事やほかの子の用事をすませたり、何より自分の休息がわずかでも取れるようになりました。
付き添い生活をしていた私たちにとって初めての当たり前の生活があり、本当にありがたかった」
心に少しできた余裕が、新しいステップにつながっていく。
「介護もしながら、なんとか社会とつながりたいと思い、うちには10年以上前から猫がいたこともあって、保護猫を預かるボランティアを始めました」
■保護猫の写真を撮ることがきっかけでカメラを本格的に勉強
そしてインスタグラムで里親を探すために、初めてカメラを買って猫たちの写真を撮り始めた。
「SNSに猫の日常の写真をアップし、ときにベッドの瑞樹も写り込んでいたりすると、特に海外のフォロワーさんから『今日も息子さんが元気そうでいいネ!』というコメントが届いたりして。
同時に、社会のなかで責任を持つことで、自分が個として立ち上がり始めるのを感じました」
もっと写真をきちんと学びたいとの思いで、京都芸術大学通信教育部美術科写真コースへ入学したのは、37歳の春だった。
当時の妻について、夫の宗武さんは、
「出会ったコンビニバイトのころから、自分の言葉で表現し行動する人だったので、瑞樹の介護が始まって彼女の世界を狭めたことは、申し訳ないと思っていました。
ですから写真を学びたいと相談されたときは大賛成で、『僕が新しいカメラを買おう』と申し出ました。『時間が足りない』と言いながらも、寝る間を惜しんでフォトショップなどで楽しそうに作業してましたね」
やがて3年生となり、彼女が卒業制作のテーマに選んだのは、自分自身だった。当初は医ケア児を被写体にするつもりだったが、担当教官は言った。
「自分の置かれている状況にそれほど疑問を抱き、憤っているのだから、あなた自身を題材にするほうが見た人の心に届くのでは」
まず最初に瑞樹君の通う学校の許可を得るため、自身の作品の束を校長室に持参して談判した。
「撮らせてくれたら、もう帰りたいなんて言わないし、これは大学の卒業制作なのですから、許可をしなければ教育者として一生後悔するのでは。あの控室が聖地になるほどいい写真を撮りますから」
校長は困り顔ながら、
「あなたみたいな保護者には会ったことがない」
と、最後には認めてくれた。
「撮影はエキストラを使わずに、校内の備品などもそのまま使用してます。被写体となる先生やママ友には事前に意図を隠さずに伝え、ときには絵コンテも作って納得してもらって。具体的な撮影方法は三脚を立てセルフタイマーで、ときには連写モードも使ったり」
給食のとき自分だけ配膳されなかったり、修学旅行の全体写真の輪から外されるといった学校での日常の場面と、そのときどきの心象が写真として切り取られていく。
こうして完成した卒業制作『ここにいるよ─禁錮十二年─』は学長賞を受賞。続いて、これを再構成し『透明人間』として自費出版すると、のべ800部以上の注文という話題作に。
さらに2022年6月には地元の府中市美術館市民ギャラリーでの写真展も実現。以降、全国から個展や講演の声がかかるようになる。
「写真を通じ、どんな子供も当たり前に通学できる社会になることや、わが子に障害があっても、母親が自分の人生をあきらめずに生きられる社会になってほしい、と伝えたかった」
さらに、「誤解を恐れずに言いますが」と前置きして、
「テレビのチャリティ番組などでも、『障害者の美しい命』ってよく言います。じゃ、障害者が美しいのは命だけ!? 命にしか価値がないの!? って私なんか思うわけです。
現に瑞樹との日常のなかで楽しい、美しいがいっぱいあります。
だから、そっちも見てほしい。そろそろ障害者のことを、そういう目だけで見るのはやめませんか─そんなメッセージも込めて写真を撮っています。
私、ストレートには撮りません。それは、かわいい、悲しいで終わらずに、余白を残すことで見た人が自分の気持ちと向き合ってほしいからです」
最初は保護猫のために必要に迫られ始めた写真だったかもしれない。
しかし今、瑞樹君との生活のなかで変わり、成長する自分自身を表現する手段にもなっている。
「肝硬変の末期状態が続き、おなかに水がたまったりで、瑞樹はベッドの上で『生きているだけで奇跡』という毎日を送っています。
もっと先のことも考えます。私たちがいなくなったあとのこと。普通ならもうじき子育ても一段落して親も第二の人生をしようかというときに、自分の死んだあとのことを考えているというのは正直切なくなったりも。
そんなギリギリの状況のなかで母親である自分がどう変わるのかも含めてなるべく残したいと思って、今、すごく撮ってます」
写真と自分との不思議なつながりに関して、最近、こんなうれしいことがあった。
「実は、4歳で別れた父親とコロナ禍前に三十数年ぶりに再会したら、父も鳥の写真をずっと撮り続けていたんだと。
さらに母方の祖父も自宅の押し入れを暗室にしていたほどの写真好きと初めて知って、なんだか不思議だったし、これからも写真を撮り続けようと素直に思いました」
■瑞樹の写真こんなにかわいい!ダメ出ししたあの人に見せたい
〈瑞樹が入院してしまいました〉
そのメールが本誌記者に届いたのは、冒頭の仙台でのイベント取材から、わずか5日後のことだった。
「ずっと高熱が続いていて心配してましたが、とうとう2日前に血便が出て。この血便が初めてだったこともあり、さすがの私もご飯が喉を通らなくなって」
瑞樹君の生まれた成育医療研究センターに緊急入院となった。
「あと4~5日したら、学校の付き添いの条件も緩和されて、私も少し自由な時間が持てるという矢先でもありましたから、ショックが大きすぎました」
こうして山本さんは、今度は自宅から車で片道約1時間かけて病院へ通い、ベッド脇に付き添うという毎日が始まっていた。
すでに猛暑も始まり、瑞樹君の容体に加え、彼女の健康も心配されたが、経過は良好で、入院当日に主治医たちも「夏休み前の退院を目指しましょう」と話していたとおり、およそ1カ月間の入院で7月半ばに帰宅できたという。
「瑞樹も16歳ですから、夏休み明けあたりから、卒業後を見越して生活介護事業所などの見学なども始まります。2年後に18歳になると、医ケア児から“医ケア者”になるわけです。
きっと、これまでの学校の付き添いとは違う現場のリアルも見えてくると思います。
今後は、その現実も写真に撮って作品にして世に訴えていきたい」
すでに現在、付き添いとは違うテーマでの作品作りも始まっている。瑞樹君の隣で山本さんがジャンプしている『フライ・マミー・フライ』シリーズや、家族も協力して名シーンを再現した『映画ポスター』シリーズ、瑞樹君と花をコラージュした『子供と植物』シリーズなど、山本さんの創作意欲はますます旺盛だ。
「大学時代に、ある人から『君の写真は売れないよ。君が障害のある人をかわいく撮れれば別だけどね』と言われました。
でも、瑞樹と花の写真なんて、こんなにかわいいじゃないですか! そうだ、あの人にこそ早く見せなきゃ」
(取材・文:堀ノ内雅一)