新潟県新発田市出身で赤穂義士の一人として知られる堀部安兵衛武庸。その堀部安兵衛の最期の地となった現イタリア大使館の敷地内の土が新発田市へと運ばれ、10月18日、堀部安兵衛の墓へと収められました。
赤穂四十七士の一人で忠義を貫くために奮闘したとされる堀部安兵衛武庸の墓がある新発田市の長徳寺。
その長徳寺にある堀部安兵衛の墓を18日訪れたのが、駐日イタリア大使館のジャンルイジ・ベネデッティ大使です。
一体なぜ、大使が訪れたのか…実は現在、イタリア大使館があるのは、堀部安兵衛がその最期を遂げた場所だったんです。
こうした縁から今年3月、長徳寺の住職などが新潟イタリア協会などの協力のもと大使館を訪れ、最後の地となった場所の土を採取させてもらっていました。
【新潟イタリア協会 長谷川正太郎 副会長】
「長徳寺に堀部安兵衛の墓がある。その墓の中に奉納させてもらおうと思って」
そして…
【記者リポート】
「こちらの木箱には、堀部安兵衛の最後の地となった現イタリア大使館の土が入っていて、きょうはこの土を実際に墓に入れるといいます」
18日開かれた式典では、ベネデッティ大使が安兵衛の最後の地となった土を墓へと収めました。
【ジャンルイジ ベネデッティ 駐日イタリア大使】
「『土を持ち帰りたい』と頼まれたときに、すごくうれしい気持ちになった。なぜかというと、今回のこのことは、とても大切で大事な出来事になると思ったから」
【武庸会 高橋正明 会長】
「機会があったら、実際にイタリア大使に新発田に来ていただいて、納骨もしていただきたいというお願いも10年前にしていた。ようやく実った。本当にうれしい」
堀部安兵衛をたたえる会の「武庸会」の高橋正明会長は「やっと新発田に帰ってこられた」と安兵衛も喜んでいるのではないか話します。
【武庸会 高橋正明 会長】
「堀部安兵衛のちゃんと生きて、ちゃんと人生をまっとうするというか、侍というよりも、人間としての生き方を分かってもらえる場所になればいい」
忠義の心を大切にした堀部安兵衛の姿は時代や国を超えて今に引き継がれていきます。