「デ・ランドで針供養」―。見出しだけでは、どこの場所の出来事かと首をひねる人も多いかもしれません。実はこの「デ・ランド」、かつて新聞でしばしば使われていた「東京ディズニーランド」の略称。開園から40周年の節目に、東京ディズニーランド(千葉県浦安市)の略称の変遷を振り返ります。(デジタル編集部)
画像は1986(昭和61)年2月6日の千葉日報の記事。当時は開園から3年ほど。現在のように「TDL」という略称がまだ確立していなかった様子がうかがえます。86年3月には「アリスのティーパーティー デ・ランドにお目見え」との記事も発見。ここにも「デ・ランド」の略称がありました。
見出しに「デ・ランド」の略称が使われた1986年3月11日の千葉日報記事
見出しに「デ・ランド」の略称が使われた1986年3月11日の千葉日報記事 なお、本紙だけに限らず、朝日新聞も見出しに「デ・ランド」をいくつか使用しているケースがみられました(85年12月30日「おとぎの国は線香嫌い? デ・ランドが墓地建設に『待った』」等)。90年7月の本紙には「東京・D・ランド」という見出しも。
FBI、BBC、NHK…などと組織名や企業名をアルファベット3文字で略す文化は国内外に昔から存在していたので、「TDL」という呼び方も当時からあったはず。しかし、まだそこまで一般の人々には浸透していない、という当時の記者やデスクの判断があったのでしょう。そのため、「デ・ランド」や「D・ランド」のような略称が使われたとみられます。
新聞紙上の話とはいえ、開園から数年は東京ディズニーランドの略称がまだ固まっていなかった、という当時の世相を反映していたのではないでしょうか。
1990年7月10日の千葉日報記事。見出しに「東京・D・ランド」の略称が使われている
1990年7月10日の千葉日報記事。見出しに「東京・D・ランド」の略称が使われている 「TDL」新聞初出は開園5年後 では、「TDL」という略称が人々に根付いてきたのはいつごろからなのでしょうか。
日本の新聞社の過去記事を横断的に調べられるデータベースサイト「G-Searchデータベースサービス」で、朝日、読売、毎日の主要3全国紙の過去記事を調べてみました。
すると、「TDL」が初めて登場したのが1988年4月1日の毎日新聞(「東京ディズニーランドの62年度入場者が過去最高の1197万人」の記事内)。ちょうど開園5周年の頃です。その後、読売新聞は88年7月28日(「千葉・浦安が都会型リゾートに 新しい顔・威容誇るホテル群」)、朝日新聞は89年5月25日(「浅草のディズニー(東京ある記)」)に「TDL」の略称を使っていました。
このことから、88~89年ごろ、開園から5年を経過したころからTDLの名がようやく使われるようになってきた様子がうかがえます。とは言え、同じ頃、朝日新聞は記事の見出しに「デ・ランド」も使っていたので(89年9月27日「デ・ランド-奈良間、夜行路線バス運行」、90年10月4日「転売は考えられぬ デ・ランド用地めぐり議論」等)、この頃はまだ、TDLが浸透したとまでは言えなそうです。
浸透は開園10周年以降 そこで、TDLがいつ全国紙3紙の記事に多く使われるようになってきたのかを調べました。
TDLが使われた記事数は、初めて登場した88年は4件。その後も、89年12件、90年4件、91年8件と、最初の頃はまだまだ少ないです。
しかし、その後は急激に増えていき、92年19件、93年27件、94年36件、95年22件、96年49件、97年37件と、安定的に登場するようになりました。
以上を踏まえると、90年代半ばごろ、開園10周年以降にはTDLの略称が確立したと言えそうです。
パークの努力と表裏一体 今では日本中の誰もが、その名を聞いてピンと来るTDLですが、その状況が確立したのは開園からしばらく経ってからだったことが分かりました。
TDLの略称が現代人の間にしっかりと根付いてきたのも、常に進化し人気を集め続けてきたパークの不断の努力と表裏一体だったと言えるのではないでしょうか。