横浜の名物船「ロイヤルウイング」買った意外すぎる企業たち 6度もオーナー変わった波乱万丈の半生

35年もの長きにわたって横浜港で営業してきたレストラン船「ロイヤルウイング」が2023年5月14日を最後に運航休止します。ただ、この間に母体が6度も変わっているなど、その半生は波乱万丈だったといいます。
長らく横浜港を拠点に活動してきたレストラン船「ロイヤルウイング」が2023年4月30日、定期運航を終えました。同船はその後5月14日に予定されているファイナルクルーズをもって営業を休止します。
かつて関西汽船の客船「くれない丸」として大阪・神戸と別府を結ぶ瀬戸内航路で活躍していた同船ですが、実はレストラン船としてもユニークな歴史を歩んできました。日本を代表するキャラクターともコラボした「ロイヤルウイング」の波乱万丈な半生を改めて振り返ってみましょう。
横浜の名物船「ロイヤルウイング」買った意外すぎる企業たち 6…の画像はこちら >>レストラン船「ロイヤルウイング」(深水千翔撮影)。
現在、横浜港で運航している「ロイヤルウイング」は、1960(昭和35)年2月27日に「くれない丸」という船名で竣工しました。発注者は当時、日本最大の内航客船会社だった関西汽船、建造ヤードは新三菱重工(当時)神戸造船所です。
国鉄の優等列車に対抗するため、「動く観光ホテル」をコンセプトに、豪華な内装と高速性能を両立した同船は、姉妹船の「むらさき丸」と共に、関西(大阪・神戸)と四国の高松、松山、そして九州の別府を繋いでいました。しかし、鉄道だけでなく道路などまで含め陸上交通が整備されるにつれ、客船は逆に衰退していきます。

しかも、1968年に阪九フェリーが神戸~小倉航路を、1970年にダイヤモンドフェリーが神戸~大分航路を相次いで開設すると、マイカーとトラックの両方を旅客と共に輸送できるフェリーに人気が集まるようになります。
加えて、1975年に山陽新幹線が博多まで延伸すると、瀬戸内海航路の客船が持っていた速達性というアドバンテージも完全に失われました。
さらに海外旅行ブームが到来し、別府への観光客も大きく減ったことから、ついに関西汽船は別府航路の減便と完全フェリー化を決断。それに伴って定期航路を退いた「くれない丸」と「むらさき丸」は1981年8月、客船としての役割を終えました。
ただ、普通なら海外に売船されるか、解体されますが、売却先が見つからなかった「くれない丸」はここから波乱万丈の道のりを辿ることになります。
売却先が見つからない旧「くれない丸」は長い間、佐世保重工業の敷地片隅で係船状態に留め置かれていました。ただ、そうして時間が過ぎるうちに日本の景気が好転します。その影響を受け、旧「くれない丸」はレストラン船に転用されることとなり、船名を「ロイヤルウイング」へと変更。運航を担う新会社として「ニッポンシーライン」も設立されました。
こうして、横浜港を舞台にウォーターフロントの夜景を眺めながら、ゆったりと高級料理に舌鼓を打つことが出来る新しい存在へと生まれ変わることになったのです。

レストラン船として運航するに当たり、既存の客室は全て撤去。コース料理中心のメインダイニングのほか、フェミリー層向けのレストランや寿司割烹なども設けられます。出来立ての料理を提供するため、船内にはキッチンを2か所設け、そこで調理する方式を採用しました。こうして1988年12月、「ロイヤルウイング」の営業がスタートします。
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2023年5月14日の「ロイヤルウイング」ファイナルクルーズを告知するポスター(深水千翔撮影)。
当時はいわゆるバブル景気の真っ只中。空前の好景気ということで高級志向が当たり、個人・団体問わず多くの利用客に恵まれたそう。しかし、ほどなくしてバブルが崩壊すると、日本は長い不況期に突入します。このあおりを受け「ニッポンシーライン」も業績が低迷、1993年12月に営業を取り止めました。
残された「ロイヤルウイング」に目を付けたのは、名鉄グループで名古屋~仙台~苫小牧間のフェリーを運航している太平洋フェリーでした。同社はフェリーのような定期航路でもクルーズ船並みのサービスを提供することを目指し、船内でのエンターテイメントにも力を入れています。
太平洋フェリーは子会社として「横浜ベイクルーズ」を設立。「ロイヤルウイング」を三菱重工業横浜製作所に入渠させてリニューアル工事を施し、1995年3月に横浜港・大さん橋からの運航を再開します。料理の金額は時代に合わせてリーズナブルな価格帯へと変更。「ロイヤルウイング」の目玉の一つであるバイキング形式のサービスは、この太平洋フェリー時代に始まりました。当時は屋上デッキでサンバを踊ったり、夏季にはビアクルーズを行ったりしていたそうです。

ただ、その太平洋フェリーも経営資源をフェリー航路へ集中するため「ロイヤルウイング」を手放します。
2000年12月、今度は芸能プロダクションの吉本興業が「ロイヤルウイング」を購入し営業権を引き継ぎます。同社は船の営業と運航を担う「株式会社ロイヤルウイング」を設立。IHI磯子工場で大規模な改修を行い、2層吹き抜けの大ホール(カトレア)を船首下部に、VIPルーム(カサブランカ)をブリッジ後方にそれぞれ設けるとともに、より本格的な中華料理を提供したり、乗組員によるバルーンアートなどのパフォーマンスを行ったりするようにしました。このとき便数は、今に続くランチ、ティー、ディナー2回の計4便による運航形態となっています。
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横浜ベイブリッジをくぐるレストラン船「ロイヤルウイング」(深水千翔撮影)。
ただ、吉本興業も6年ほどで手放します。次に「ロイヤルウイング」の運行を担ったのが、イベント会社の「モック」。2006年に「株式会社ロイヤルウイング」を子会社化しますが、わずか2年ほどで2008年5月に「サンリオ」へと売却。こうして「株式会社ロイヤルウイング」は同社の傘下に入ります。これにより、サンリオキャラクターとのコラボグッズや、ハローキティが誕生日を祝ってくれるバースデークルーズなどを展開するようになりました。
しかし、サンリオも数年程度で手放してしまったようで、東日本大震災後の観光需要の大きな落ち込みを経て、横浜港を基盤に港湾荷役事業を展開する藤木企業が「株式会社ロイヤルウイング」を子会社化。こうして現在に至っています。

こうして見てみると、35年もの長きにわたり一貫して横浜港を拠点に営業してきた「ロイヤルウイング」ですが、見えないところで、かなり流転の半生を歩んできたことがわかるでしょう。
「ロイヤルウイング」の運航開始時から勤めている石井義幸さん(マーケティング&プロモーションチーム推進役)は「豪華でなかなか乗れない客船と港内を巡る小さな観光船との間に、新しくレストラン船が入って来た。これは絶対に成功させたいという思いがあったし、船への愛着も大きかった」と話していました。
とはいえ、1960年に関西汽船の「くれない丸」として誕生し、その後「ロイヤルウイング」として2023年5月まで歴史が続いたのも、同船が持つ運の強さに加えて多くの人に愛されていたからと筆者(深水千翔:海事ライター)は考えます。
「ロイヤルウイング」のファイナルクルーズは冒頭に述べたように、来る5月14日(日)です。長きにわたって活躍した名船の最後の勇姿を改めて見に、横浜港まで足を運んでみてはいかがでしょうか。