横浜港のレジェンドたちも“ボォォ~!” 「ロイヤルウイング」最終運航 瀬戸内から続く63年の歴史に幕

長らく横浜港を拠点に活躍してきたレストラン船「ロイヤルウイング」が2023年5月14日、ファイナルクルーズを迎えました。63年もの長きにわたり活動してきた同船の最終運航を、横浜港の“先輩”たちも祝福しました。
横浜港大さん橋(横浜市)を拠点に周遊クルーズを行ってきたレストラン船「ロイヤルウイング」が2023年5月14日のファイナルクルーズをもって営業航海を終えました。当日は別れを惜しむ多くのファンが乗船。横浜港に係留保存されている日本郵船の貨客船「氷川丸」や帆船「日本丸」も汽笛を鳴らし、旧関西汽船の「くれない丸」時代から63年間にわたって親しまれた客船の最後の航海を見送りました。
デッキから大勢の人が手を振り、バルーンリリースとクラッカーで華やかに彩られるなか、汽笛と銅鑼の音とともに「ロイヤルウイング」は最後のクルーズへと出港。横浜港で30年以上も活躍したレストラン船の引退ということで、マリンタワーや新港ふ頭客船ターミナル「ハンマーヘッド」といった建物も「ロイヤルウイング」を表す青色でライトアップされていたのが印象的でした。
通常のディナークルーズは2時間で終わりですが、今回は特別便です。17時から2時間半にわたって横浜港内を航行しました。2層吹き抜けの大ホール(カトレア)では「ロイヤルウイングの思い出写真展」と題して、ツイッターやインスタグラムで募集した写真の展示も実施。さらに、くじ引きや乗組員によるバルーンアート、マジックの実演なども行われ、船内は大いに盛り上がっていました。

Large 230514 royalwing 01
2023年5月14日、ファイナルクルーズを迎えた「ロイヤルウイング」(深水千翔撮影)。
「ロイヤルウイング」は、もともと日本最大の内航客船会社であった関西汽船(当時)の豪華客船「くれない丸」として、1960年2月27日に誕生しています。建造ヤードは新三菱重工業(当時)神戸造船所です。
東京オリンピックの開催を4年後に控えるなか、観光客を瀬戸内海に誘致するため、「動く観光ホテル」をコンセプトに豪華な内装と高速性能を両立させた同船は、姉妹船の「むらさき丸」と共に、関西汽船の主力路線である関西(大阪・神戸)~別府航路に投入され好評を博しました。
別府航路から引退した後は、長崎県の佐世保重工業で係船・保管されていましたが、新たに「ニッポンシーライン」のレストラン船へと転身することが決まります。このとき、船名が「くれない丸」から「ロイヤルウイング」へ変更され、1989年から横浜港で営業を開始したのです。
その後、太平洋フェリー子会社の横浜ベイクルーズを経て、2000年に吉本興業傘下で「株式会社ロイヤルウイング」が発足。より本格的な中華バイキングの提供や、乗組員によるバルーンアートなどのパフォーマンスを行うようになりました。
竣工時に搭載された、巡行速力18ノット(約33.3km/h)という快速を実現したメインエンジンや大きい舵輪が付いた操舵スタンド、そして船の前後進やエンジンの回転数などをブリッジから機関室へ指示するエンジンテレグラフなどは今でも現役で、たとえるなら63年間の運航を最初から最後まで支えてきた「影の立役者」と言えるでしょう。

Large 230514 royalwing 02
2023年5月14日、ファイナルクルーズを迎えた「ロイヤルウイング」(深水千翔撮影)。
なお、この「くれない丸」は、「氷川丸」や先代の「日本丸」と活躍時期が重なっており、いずれも神戸港に入港していたことから、同じタイミングで神戸港内に揃った可能性もあります。そのような縁もあり、60年の時を経て、ファイナルクルーズでの汽笛によるエール交換へと繋がりました。
また、関西汽船の航路を引き継いだ「フェリーさんふらわあ」が2023年1月に「くれない」の名を継いで、大阪~別府航路に日本初のLNG(液化天然ガス)燃料フェリー「さんふらわあ くれない」(1万7114総トン)を就航させています。同社は先代「くれない丸」である「ロイヤルウイング」が引退するのに伴いコラボ企画を行っており、ファイナルクルーズでは、後継船と言える「さんふらわあ くれない」からのメッセージも船内に展示されていました。
このように「くれない丸」時代から多くの人に愛されていた「ロイヤルウイング」でしたが、船体の老朽化や運航に必要な部品の入手などが難しくなり、運航を取りやめることになりました。その役割は計画されている代替新造船へと引き継がれる予定です。
こうして「ロイヤルウイング」は、夜の横浜港に響く汽笛とともに、客船としての運航を終えました。