149人が提訴している“新潟水俣病” 判決前に原告の思い「責任が認められない限り裁判は終わらない」

新潟水俣病を巡り、水俣病と認められない患者たちが国と原因企業を相手取り、約10年前に提訴した裁判。18日に原告の一部に判決が言い渡されるのを前に、これまで原告団の先頭に立ち訴えを続けてきた皆川榮一さんは「国の責任を認めさせ、被害者救済の道筋をつけたい」と思いを語りました。

【皆川榮一さん】
「もう体そのものがもう外見からは分からないけど、体の中身はぼろぼろですからね」

阿賀町の自宅でこう話すのは国と昭和電工に損害賠償などを求める新潟水俣病第5次訴訟で原告団の団長を務めてきた皆川榮一さん(80)。

【皆川榮一さん】
「(水俣病患者だと)手を上げれば何を言われるか分からないという人もまだまだいるんじゃないかと思うが、そういう人たちにも救済できる道筋をつけるのが今回の裁判の大きな目的でもある」

九州で初めて水俣病が確認されてから9年後…「第2の水俣病」として1965年5月31日に公式確認された新潟水俣病。

昭和電工・鹿瀬工場で作られたメチル水銀が処理をされないまま排水として阿賀野川へ。その阿賀野川で育った川魚を食べた人々が手足のしびれなどの感覚障害に悩まされ、最悪の場合には命を落としました。

【皆川榮一さん】
「魚ばかりじゃなくて人間もこの阿賀野川の水に水銀に汚染された水を飲んで生活をしてきたんです。誰も昭和電工から水銀漏れていたなんて水銀そのものを知らなかったわけだから」

しかし、複数の症状を原則とする国の認定基準は厳しく申請した人の多くは棄却され、2009年に認定基準が幅広い水俣病特別措置法が成立するも申請の受付は2年あまりで終了。

年代や地域による線引きもあり、すべての被害者救済には至りませんでした。皆川さんは当時、差別や偏見を恐れ症状を隠し続けましたが…

退職などを機に水俣病患者として顔や氏名を公表し、民事訴訟に参加。2013年12月には水俣病と認定されず特措法の救済対象からも漏れた男女22人の原告団・団長として新潟水俣病第5次訴訟を起こしました。

【皆川榮一さん(2014年5月)】
「これから本当の私たちの戦いが始まります」

裁判の主な争点は水俣病の発生・拡大を防げなかった国の責任の有無、そして原告が水俣病と認められるかですが、原告・被告側の主張は対立。

提訴からは10年あまり…増え続けた原告の中でも31人が亡くなり、現在の原告は149人に。

原告の高齢化が進む中、裁判の長期化が問題視されています。

こうしたことから新潟地裁は原告のうち審理が終わった47人について分離結審の形をとり、判決を言い渡すことを決めました。

すべての被害者救済へ…原告団も訴えを続けます。

【中村周而弁護団長】
「取り残された水俣病被害者の救済の道を閉ざそうとするもので強く批判しなければならない」

【皆川榮一さん】
「公平で公正な判決で原告全員が救済されることを信じて良い結果で終わらせられることを私たちは信じている」

水俣病を巡る同様の裁判では去年9月、大阪地裁が128人を水俣病と認定、国・熊本県・原因企業のチッソに損害倍賞を命じました。

一方、熊本地裁では先月144人の原告のうち25人を水俣病と認定したものの発症から20年以上が経過し損害賠償請求権が消滅する排斥期間を過ぎているとして原告全員の請求を棄却しています。

裁判所によって判断が分かれる中、果たして新潟地裁の判断は…

判決は18日午後1時半に言い渡されます。

【皆川榮一さん】
「今回の裁判の中で国の責任、これは必ず責任を認めさせると国の責任が認められない限りは新潟の水俣の裁判は終わらないんだと」