今から80年以上前に始まった第二次世界大戦では、まだ戦闘機はプロペラ機が主流でした、これらレシプロ戦闘は機首部分にプロペラがありそのすぐ後ろに機関銃がありました。なぜこの構造でプロペラを撃ち抜かったのでしょう。
今から80年以上前に始まった第二次世界大戦では、まだ戦闘機はプロペラ機が主流でした、日本の零式艦上戦闘機、いわゆる零戦のように、1基のレシプロ(ピストン)をエンジンで飛ぶ戦闘機は、ほとんどの場合、機首部分にプロペラがあります。
プロペラの裏からズドドドド なぜ可能? 零戦などの機銃が「プ…の画像はこちら >>メッサーシュミット Bf109を例にすると、プロペラのすぐ後ろの溝が掘ってある部分を機関銃の弾丸が通る(画像:アメリカ空軍)。
そのエンジンのすぐ後ろの胴体上部に機関銃が据え付けられている構造は、第二次大戦以前、それも飛行機が登場して間もない第一次世界大戦の頃から定番のスタイルでした。機首に機銃が集中していると、一般的にパイロットは照準がしやすくなり命中精度が向上するため、この部分に配置するケースが多かったのです。
しかし、ここで大きな疑問が発生します。回転するプロペラの真後ろにあるのにも関わらず、なぜプロペラを撃ち抜かないのでしょうか。
これは「プロペラ同調装置」が、機銃から弾丸が出る発射タイミングを調整しているからです。
この同調装置は、1915年6月にドイツのフォッカー単葉機に取り付けられたのが始まりです。原理としては、機銃の前にプロペラのブレードがある場合に限って、弾丸を発射できるようになっています。そうすると、次のブレードが銃口の前に来るごく短い時間の間で、弾丸が通りすぎるようになっています。エンジンの回転数と機銃の発射速度との兼ね合いがあるため、飛行機の機種と機銃の種類により調整は必要になりますが、基本的な原理は、同機の後に登場する同調装置を備えた機体でも全て同じになります。
この機体が登場する以前は、各国の戦闘機はプロペラを撃ち抜かないよう、プロペラに当たっても弾く構造にしようと防弾板をつけたものや、プロペラを後ろに付けた機体もありました。ただし後者は離陸時の機首上げでプロペラを擦るリスクもありました。
これらの機体は性能的にはイマイチで、1915年7月にフォッカー単葉機が登場すると、イギリス、フランスなどの連合国はその優秀な戦闘機に対抗できず、あっという間に制空権を取られていまいます。これを、イギリスのメディアは猛威を振るったフォッカー単葉機にちなみ「フォッカーの懲罰」と呼びました。
第二次世界大戦の戦闘機にもこの同調装置は再び使用されますが、その時代は航空機の重防御化が進でおり、りゅう弾などを使える威力の高い口径20mmクラスの機関砲を備える必要に迫られます。しかし機首に大型の機関砲を備えると、同調装置の故障時に威力が強すぎるため、プロペラの破損以外にも致命的な事故を起こす危険性があるうえ、そもそもエンジンが邪魔になり、そこまで大型のものを取り付けることも難しい状態でした。
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Bf109のプロペラ中央に開いた穴は、シャフトではなく実は機関砲の砲口(画像:アメリカ空軍)。
その問題を解決すべく、フランスやドイツでは、プロペラシャフト(駆動軸)を中空構造にして、その中に機関砲を通し砲弾を前方へ発射するという「モーターカノン」といった装置も誕生します。また、アメリカやイギリスではブローニングM2重機関銃を航空機銃にした12.7mm機関銃を多数、翼内に搭載する方法なども採用。時代はジェット機時代が到来する直前でしたが、ジェット戦闘機登場以前に同調装置は古い機構になりつつありました。