ボンカレー、きょう12日に誕生55年…愛される理由は「時代に合わせた進化」 仁鶴さんのCMで人気

1968年に誕生した世界初の市販用レトルト食品「ボンカレー」が、12日で発売開始から55年を迎えた。今年1月には、「世界最長寿のレトルトカレーブランド」として、ギネス世界記録にも認定。半世紀以上にわたって愛されている理由を、発売元の大塚食品製品部レトルト担当・中島千旭(ちあき)さん(33)に聞いた。(瀬戸 花音)
今やカレーが「国民食」とも言われる中、手軽に食べることのできるレトルトカレーの代表格ともいえる「ボンカレー」が、“55歳の誕生日”を迎えた。
大塚食品が「新しいものを作りたい」という思いから、缶詰に代わる軍用の携帯食としてソーセージを真空パックにしたものを参考に、約4年の開発期間を経て68年2月12日に販売を開始。フランス語のBON(良い、おいしい)とカレーを合わせた造語を商品名とした。全国発売後は、パッケージにも起用した女優・松山容子のホーロー看板を全国に約9万5000枚取り付け、浸透を図った。
「袋に入れた食品を殺菌する技術は、グループ内の製薬会社が持つ医療用点滴を殺菌する技術を使って開発。お母さんのイメージのある松山さんを起用して、開発宣伝に試行錯誤していました」と中島さん。そんな中、2つの出来事が重なり、72年に人気に火が付いた。
1つは、人気テレビドラマ「子連れ狼」を元ネタに、拝一刀にふんした落語家・笑福亭仁鶴さんのテレビCMの放送開始。もう1つは、政府による男女雇用機会均等法の施行だった。「仁鶴さんが子どもに『3分間待つのだぞ』と言うセリフが話題になり、翌年には年間販売数量1億食を達成。また、お母さんが外に働きに出始め、慣れないお父さんがつくる食事はおいしくないという困りごともあり、誰が温めてもおいしい1人前の食事が注目されていきました」

その後、他社からもレトルトカレーが販売される中、ボンカレーがロングセラーとなった理由を中島さんは「時代に合わせた進化」と分析する。78年には本格的な洋食になじんできた日本人の趣向に合わせ、香辛料やフルーツを多く使った「ボンカレーゴールド」の販売を開始。昨年からはヴィーガン(完全菜食主義者)も食べられる動物性原材料不使用の「ボンカレーベジ」を発売した。
「懐かしいものではなく、今も日常に溶け込み、どの世代にとっても『ボンカレー』の思い出があることが強み。家庭の変化や食の多様化など、時代とともに変わる課題に寄り添って来たことが長く続けられた理由だと思っています」
新型コロナの影響もあり、2019年と22年を比較すると、売り上げは2ケタ増。「外食ではなく家での食事が増え、改めてレトルト食品の良さが見直されたのだと思います」と話す中島さんは「誕生のきっかけでもある革新的な挑戦を続けたい」。これからも食卓で愛される味を追究し続ける。
ボンカレーの「顔」ともいえる松山容子は、1937年生まれ。「アサヒグラフ」の表紙モデルになったのを機に芸能界入りした。57年に女優デビューし、60年の日本テレビ系「琴姫七変化」で人気に。パッケージに起用された3年後の71年に、出演ドラマ「旅がらすくれないお仙」などの原作者である漫画家・棚下照生さんと結婚した。
◆大塚食品 大阪市に本社を置く食品飲料メーカー。1964年、関西でカレー粉や即席固形カレーを製造販売していた「シービーシー食品工業」に、「ポカリスエット」などで知られる大塚製薬が中心の大塚グループが資本参加し「大塚食品工業」としてスタート。89年、現在の社名に。他の主な商品に無糖茶飲料「ジャワティ」、ビタミン炭酸飲料「マッチ」、ミネラルウォーター「クリスタルガイザー」(輸入販売)など。