10月20日午前11時前、東京・霞ヶ関の官庁街は大勢の人でごった返していた。その大半は裁判の傍聴席の当選を求めての“並び”のアルバイト。両親に対する自殺幇助の罪で起訴された市川猿之助(47)の初公判が同日午後、東京地裁で開かれるために報道各社が雇った人たちだ。注目を集める事件の初公判ではお馴染みの光景だが、その舞台裏をリポートしてみよう。
この日、午後1時半から始まる猿之助の初公判は同地裁425号法廷で開かれた。全42席のうち整理券を配って抽選を行う一般傍聴席の数は22。残りは司法記者クラブを対象にした記者席などに割り当てられるが、同地裁はその詳細を公表していない。同裁判を傍聴しようと並んだ人たちは、午前10時で約50人。それが「地裁」の腕章をした係員がリストバンド(整理券)を配り始めた午前10時50分にはあっという間に1000人を超え、11時20分ごろに配り終えた整理券の総数は1033人分だった。
整理券を求める人たち(撮影/集英社オンライン)
つまり、整理券を配り始める10時50分ごろから群がってきた集団の多くは“並び”のバイトのみなさんで、純粋に猿之助のファンだったり、事件のことを知りたいという司法マニアの人たちはもう少し前から地道に並んでいたようだ。そして、その人たちを取材しようとする多数のメディアもまたそこに陣取り、片っ端から並ぶ人たちに声をかけていた。こうした状況になる少し前の午前10時半ごろ、道路向かいの農林水産省庁舎前には男女の列ができていた。列の先頭にはスーツ姿の男性と、トレイのようなものを持った女性が何か声をあげて説明をしており、遠目からは何かの団体の研修か、団体旅行を率いる添乗員のように見える。この列はどんどん伸びていって、あっという間に50人を超え、名簿を持った女性が「〇〇ツーリストに参加の方はこちらに並んでください」と誘導を始めた。「〇〇ツーリスト」と言ってはいるが、これこそ傍聴券を手にするためのバイトさんたちの集合だと思われる。彼らが本当に旅行客ならばスーツケースを引いていたり、大きなバッグを持っていそうなものだが、せいぜい持っているのは手荷物ぐらい。また、友人同士のように和気あいあいとしている様子もまったくない。そうこうしているうちに、できた行列に女性がこう注意を呼びかけた。「中には一般の参加の方や、報道の方もいます。話しかけられても適当にかわしてください」これぞ“傍聴券整列アルバイト”確定のアナウンスともいえるが、女性やスーツ姿の男性などスタッフの誰も「報道」の腕章もしていなければ、身分証明書もぶらさげていない。あくまで団体旅行者を率いる添乗員のふりを貫き通すつもりのようだ。また、桜田通りを挟んだ向かい側の外務省庁舎前にも別の長い列ができていた。こちらも軽装でスーツケースなどは持っていないが、きっと同様の団体なのだろう。
省庁の前に集合した、傍聴券を求める人たち(撮影/集英社オンライン)
やがて10時45分過ぎになると、農水省前の交差点では、報道腕章をつけた男性たち数人が何やらヒソヒソ話を始めた。その中で、とあるテレビ局の腕章をした男性がインカムに向かって話す声がきれいに聞こえてきた。「文科省前に集合させてたらクレームがきちゃって。もう敷地内にいれて並ばせちゃいましょう。とりあえず×××人」間もなく列が動き出し、各社のカメラがそれを追う。そして、現場で立ちレポートをする男性の声が続く。「ご覧ください。すでに、地裁前には傍聴券を求めて長い列ができています」
前述の通り、整理券はリストバンドの形で配布された。配布している地裁のスタッフに理由を問うと、こう返ってきた。「大きな注目を集める公判などでは、転売や他人への譲渡、並び直して複数回抽選に参加する方が多いので、そういったことができないようにリストバンドを配っています」リストバンドの装着は義務づけられるているのだが、列に並んでいた20代前半と思しき女性たちが「え? これつけちゃったらだめなんじゃないの? 当たったら、“中に入る人”に渡せないじゃん」と無邪気に話している。
リストバンド(撮影/集英社オンライン)
リストバンドには「本整理券をはずした場合は当選番号であっても無効になります」と書いてはあるものの、当選者にはその後、引き換え所で整理番号の確認を受けた後に傍聴券が渡されるため、その券を持っていれば誰でも傍聴できてしまう。いったい、なんのためのリストバンドなのか。
撮影/集英社オンライン
そんな事情を知ってか知らずか、生の猿之助を見たくて朝早くから並んだ歌舞伎ファンたちも当然いる。1人目は午前9時15分ごろに到着し、整理券1番を獲得した埼玉県60代女性だった。「ドラマなどテレビ出演で好きになった猿之助さんのにわかファンなので、まさか1番に並ぶとは思いませんでした。9時に霞ケ関に着いたので早すぎるわけではないと思います。前にニュースで見た時にだいぶ顔がやつれて老けて見えるような感じだったので、今でも憔悴してる状態なのか、ずっと心配だったんです。生の声を聴いて安心したいです。家族とどんな内容の会話をして、なんで心中するようなことになったのか、もちろんそのあたりも気になりますけど、やっぱり1番は本人の様子を気にかけてます」タッチの差で2人目に並んだのは、静岡県在住の60代女性だ。「朝7時ごとには家を出て新幹線に乗ってきましたよ。当たれば5月の公演以来の生の猿之助さんなので、朝早く起きてお化粧や服装も気合い入れて来ました。ファンクラブにも入ってるんです。猿之助さんを応援するためにサルの人形も鞄につけてきたんですけど、荷物を預けなきゃいけないんじゃ見せられないですね、残念。もしかしたらこれが猿之助さんを生で見る最後の機会になるかもしれないと思うとじっとしてられなかったんですよ。そりゃあ真相というか、家族の間でどういうやりとりがあったのかも気になりますけどね、それよりも本当にひと目でもいいから猿之助さんの姿を見て、今の様子を知りたいです」9時20分ごろに並び始めた3番目の40代女性は、なんと福岡県からやってきていた。「他にも用事はありますが、昨日福岡から母と来ました、母が歌舞伎好きなので見られるなら見たいと。仕事で猿之助さんの関係者の方とお話する機会があったのですが、猿之助さん、事件前はちょっと横柄になっていたなんて話も聞きました。なのでどれくらいしおらしくなってるのか、私も確かめたいですね」
(撮影/集英社オンライン)
だが、こうした熱心な歌舞伎ファンたちも、大量動員されたバイト軍団の「数」の前には木端みじんにされるしかなかった。神奈川県から来た猿之助ファンの60代女性も「倍率50倍」の壁に阻まれ、うらめしそうだった。「今後、復活するのかどうかにも深く関わる公判ですからね、直接猿之助さんを見たいのと、同じ空気の中で応援してあげたい気持ちが強くて来ました。ただこれだけ倍率が高いと当選はやっぱり無理ですね、応援できなくて悲しいです。テレビや雑誌の記者さんにはハズれたファンのためにも一言一句全てと表情とか細かく報道してほしいですよ。バイトみたいなの雇って並ばせてるって噂になってますよ。そこまでしたからには詳細に報道してくれないと納得いかないですね」千葉県在住の60代女性も涙を飲んだ。「たとえ公判であっても、そしてひと目でも見られる可能性があるなら、と思って来てみたんですけど、ハズれてしまいましたよ。猿之助さんのファンの人もチラホラいましたけど、雇われて並ばされてるみたいな人たちが圧倒的に多かった気がします。ファンは2割もいなかったんじゃないですかね」友人と2人で並んだという岡山県在住の60代も、傍聴はかなわなかった。「やっぱり2人ともハズれちゃいました。でもせっかくなんで入り待ちと出待ちしようかと思ってます。2人で5月頃に明治座に行って見たのが最後の生の猿之助さんだったかしら。それにしても中に入れないとなるといろいろ気になってきますね。私たちが一番気になるのは、職業を問われたときに何と答えるかなんです。『無職』や『元歌舞伎役者』だったら、もう復帰するつもりがないってことじゃないですか。だからそこだけは確実に報道でも教えてほしいですよね」熱心な“ファン”たちの想いが通じたのか、猿之助は後半で裁判長から職業について聞かれると「歌舞伎俳優です」とはっきりした口調で説明した。事件後の心情についても明らかになり「自分には歌舞伎しかない。許されるのであれば、舞台に立ちたい。歌舞伎で償っていきたい」と取り調べの際話していたことが調書により明らかになった。公判にて検察は懲役3年を求刑しており、判決は11月17日に言い渡される。
7月31日、保釈された市川猿之助(撮影/共同通信社)
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