「島みたいなもんだから『空母』にしちゃえ」!? 奇想天外な発想「氷山空母」大戦中マジメに検証した結果

第二次世界大戦の序盤、ドイツ潜水艦による通商破壊に苦しむイギリスはとんでもない方法でそれに対抗しようとします。「氷山」を「空母」にしてしまうという計画です。
第二次世界初期のイギリス軍は、ドイツ軍の潜水艦Uボートによる通商破壊や艦艇への攻撃に苦しんでいました。その対抗策として、当時イギリスで奇想天外な発明で知られたジェフリー・N・パイク博士は、とてつもない方法を考えつきます。
「島みたいなもんだから『空母』にしちゃえ」!? 奇想天外な発…の画像はこちら >>第二次世界大戦中にイギリス海軍が運用した空母「イラストリアス」(画像:トロンハイム市立文書館)。
それは、巨大な氷山を使用して飛行甲板を作り「氷山空母」を作ろうというものでした。
当時の潜水艦は、魚雷の射程まで敵に近づいた後、潜望鏡が使える深度へ浮上する必要があったため、特殊な対潜装備を有していない航空機でも発見することが容易でした。
そのため、外洋に出た場合は、空母で護衛するのが有効な戦法だったのですが、当時のイギリスは空母の数も足りませんでした。第二次大戦序盤の1940年6月にフランスが、ドイツの侵攻により脱落し、実質ほぼイギリス1国で戦っているような状態だったからです。
そこでパイク博士は全長約600m、全幅100mの鋼鉄の骨組みで、氷の“船体”を支えるという構造の「空母」を考え出します。運用法としては、海に浮かぶ人工島のような扱いですが動力を搭載する構想もあったとか、艦載機としては、付近の海域を哨戒するため双発爆撃機100機と戦闘機200機を搭載する予定でした。
しかし、氷では溶けてしまう可能性があるということで、木材パルプ15%と水85%を混ぜて凍結させた「パイクリート」という素材を自作して、船体に使おうと考えました。この素材のおかげで融点は15度程度になったといわれています。
この案は実際に、パイク博士とルイス・マウントバッテン大佐経由で、当時のイギリスの首相だったウィンストン・チャーチルに大真面目に提案され一定の支持を得ました。
氷山空母は正式に「ハボクック」計画として動くことになり、1943年にはカナダのジャスパー国立公園にあるパトリシア湖で、本当に運用できるのか試験が行われています。湖に大規模な模型が建設され、断熱や冷凍技術、強度といった項目が約4か月に渡り検証されました。
建造されたプロトタイプを検証した結果、建造自体は不可能ではなく、建造できるという評価に。しかし、このままフルサイズの氷山空母を建造した場合、その艦はイギリス海軍の保有する空母と付随する艦艇を全て含めた費用よりも、はるかに高くつくことが判明。さらに、建造した後も運用費用は膨大になってしまうということで、1944年に同計画は正式に“凍結”されることとなります。
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アメリカが建造した護衛空母カサブランカ級(画像:アメリカ海軍)。
なお、氷山空母の計画が始まった1943年頃には既に、アイスランドの空港が連合軍で使えるようになっていました。さらに、アメリカが参戦したことにより、同国が建造する安価な護衛空母も入ってくるようになり、輸送船護衛の航空戦力もかなり増強された結果、氷山空母の必要性はかなり薄れていました。仮にコストが安かったとしても建造される可能性は低かったかもしれません。