サッカー日本女子「なでしこジャパン」が2月28日、パリ五輪出場をかけたアジア最終予選第2戦で2-1で北朝鮮に勝った。会場の国立競技場には北朝鮮を応援するために3000人規模の在日朝鮮人が集結し、ゴール裏をチームカラーの赤で埋めたが、白熱した攻防の末に北朝鮮チームが敗れると、勝者のなでしこに拍手を送った。一方その裏では、日朝の双方で関係改善を模索する動きが顕在化し始めた。
「激アツです。いいプレーが出たから盛り上がりました」東京・小平の朝鮮大学校に通う男子学生のグループは終了直後、試合の余韻に浸り、口々に両チームをたたえた。試合は前半26分、なでしこのDF高橋はながクロスバーに当たったこぼれ球を押し込み、後半77分にはMF藤野あおばが右クロスをヘディングで合わせて2点目をもぎ取った。北朝鮮は81分にFWキム・ヒェヨンが縦パスに鋭く反応して押し込み、最終盤まで猛攻を続けたが、なでしこがしのぎ切った。
北朝鮮応援団席に広がる北朝鮮国旗(関係者提供)
「後半になって(北朝鮮チームが)いい感じになってきたんやけどね。もうちょっと早くあの調子になってほしかった」(60代の在日朝鮮人女性)「日本はうまかった。ウリナラ(わが国=北朝鮮)が悪かったというのでなく日本が強かったと思います」(朝鮮大学生)アウェーの北朝鮮側のゴール裏は試合開始1時間以上も前からチームカラーの赤に身を包んだ在日コリアンの応援部隊に埋め尽くされ、北朝鮮の歌をアレンジした応援歌が次々と繰り出された。「コンギョ(攻撃)、コンギョ」を連呼し、日本のネットでも「中毒性があってハマる」と話題になったことのある曲、『攻撃戦』も歌われた。「試合開始直前の国歌斉唱では“最新バージョン”が歌われていました。金正恩朝鮮労働党総書記が最近、“韓国と同じ民族だと言うな”と厳しく言っているため、国歌にあった朝鮮半島全体を美しいとたたえた『三千里の美しいわが祖国』という歌詞が『この世界の美しいわが祖国』と変えられました。ほとんどの人が新しい歌詞に従っていたようです」(会場関係者)
後半、北朝鮮ゴールで喜びを爆発させる応援団(関係者提供)
日朝関係が悪化した状態が長期間続く中、日本で行われた日朝対決は、北朝鮮選手にとっては究極のアウェーといえる。前述の朝鮮大学生は語る。「僕たちも大学スポーツでアウェーの戦いの雰囲気をよく知っています。だから『国立をホームにしよう』と思って来ました。みんなで祖国の歌を一緒に歌ったときは涙が出ました」
試合が終わると悔し涙をぬぐう北朝鮮サポーターも多くいたが、なでしこに「五輪で頑張れ」と声援を送る一幕も。「前半終了直前に北朝鮮MFチェ・クムオクのバックヒールのシュートをGK山下杏やかがゴールラインを割るぎりぎりでかき出し、ノーゴール判定となったシーン。北朝鮮チームは抗議したが、『VTRや解説者の解説を聞いて、多くの同胞は納得した様子でした。五輪出場をかけた大一番での惜敗でしたが、日本に対する感情のしこりなども残らず、みんな、いい試合だったと思っています」(朝鮮総連関係者)
前半終了間際、好守のGK山下(共同通信社)
一方、北朝鮮の本国も、この試合を日本との対話の足掛かりにしようとする気配だ。試合終了から約10時間後の29日午前6時すぎ、対外向けの国営朝鮮中央通信は「重要ニュース」として「熾烈な攻防戦を繰り広げたわが国と日本チームとの間の試合は1-2で終わった」と試合結果を伝え、朝鮮労働党機関紙、労働新聞も同じ内容の記事を29日付で掲載した。北朝鮮メディアが国際スポーツの結果をこれほど早く伝えるのは異例で、特に敗戦を報じるのは極めてまれだ。北朝鮮メディアは24日にサウジアラビア・ジッダで行われ引き分けた最終予選第1戦の結果も伝えているが、これは「今回の日本との2試合に最高指導者が注目していることを内外に示す狙い」とみられている。金正恩氏の妹の金与正・党副部長は15日に出した談話で岸田首相の訪朝に言及し、対日関係改善の意思があることを示したが、この考えに変わりがないことを伝える強いシグナルだと関係者は受けとめている。
金正恩氏と腕を組む妹の金与正氏(共同通信社)
金与正氏の談話に関しては、超党派の国会議員でつくる「日朝国交正常化推進議員連盟」が試合前日の27日に総会を開き、執行部が拉致問題などの解決に向け、岸田文雄首相に早期訪朝を求める内容の決議採択を図っている。「金与正氏の談話が拉致問題を解決済みだと主張しているため、これを問題視せず首相訪朝を急いで行えとの内容は時期尚早だ、などとする声が上がり文言は修正されることになりました。しかし議連の衛藤征士郎会長(元衆院副議長)は2月25日に朝鮮総連幹部2人と会ったと総会後に記者団に明かしており、北朝鮮との関係を動かすことにかなり積極的です」(大手紙デスク)サッカーファンの視線とは別に、今回の日朝戦は国同士の関係が動き始める転換点になったと、後に振り返られるようになるかもしれない。
29日羽田空港から経由地、北京に向かう北朝鮮選手団(撮影/集英社オンライン)
取材・文/集英社オンライン編集部ニュース班