和歌山・白浜から中国へ旅立った30歳パンダ「永明」へ「健やかに生きて」 28年見守った中尾副園長の思い

和歌山・白浜町のアドベンチャーワールドで暮らしていたジャイアントパンダ「永明」(30歳、雄)、「桜浜」、「桃浜」(双子の8歳、雌)の3頭が、2月23日に中国四川省の成都ジャイアントパンダ繁育研究基地へ渡った。到着後の3頭は落ち着いた様子をみせている。永明はこれまで16頭の子供を残し、「現在の飼育下で自然交配し、繁殖した世界最高齢のジャイアントパンダ」の記録を持つ。1994年の来園当初から飼育に携わってきた中尾建子副園長に、永明への思いを聞いた。(取材・構成=大和田佳世)
永明は28年過ごした白浜を去り中国に戻った。中国行きが決まった時、中尾さんの受け止めは冷静だった。
「いつかそういう時期は来る、というのはずっとありました。だから(出発までに)色んなことをやらないといけないため、感傷に浸っている場合ではありませんでした。パンダを健康な状態でお渡しするのが一番。ただ旅立ちが発表された後、過去にパンダ担当だった方が見に来たりして、お話すると少し実感が沸きました。先日、広報スタッフが作った、永明が来た時から最近までのビデオを見た時は、ちょっと泣きそうでした。永明は今でも小さな頃の面影が残っている。こんなに変わらないパンダいるのかな? っていうくらい変わらないんですよね」
1994年9月の来園前、中国・成都に永明と、一緒に来園することになる蓉浜(雌、97年7月死亡)を迎えに行った。
「永明は後ろの辺に小さく丸まってたんですよ。蓉浜は手前の木のところで堂々としてたので、どうしたのかな? 雄の方は臆病なのかな? と思っていました。その後、移動に際してはスッと輸送箱に入ったし、アドベンチャーワールドに来ても、すぐ運動場に入った。すごく素直で、環境変化などに適応しやすいパンダかなと思いました」

2頭の来園当初、餌は中国の飼育スタッフの指導で、穀物、トウモロコシ粉、米粉、卵などで作る「パンダ団子」を1・2~5キロ分と、竹を与えていた。
「パンダ団子でお腹いっぱいになって竹は2キロくらいしか食べなかった。中国では大丈夫だったようだが、アドベンチャーワールドではすぐお腹を壊して体重が増えなかった。これはダメだ、ということで、いい竹をどんどんあげようと、あの頃は竹ばっかり探していました」
竹を主食にすべく竹林を見つけては所有者と交渉したり、地元紙に竹探しの情報を掲載したりと安定的に質、量を揃えようと奔走。当初は1~2種類の竹を与えていたが、「永明で色々苦労して改善した」結果、現在は8種類を時期に合わせて準備できる体制を整備。のちに生まれたパンダたちは、消化器系の病気知らずで育つ下地ができた。
ところが繁殖に向けて準備をしようとしていた97年に蓉浜が死亡。1頭残された永明を懸命に育て、2000年7月に次のパートナーとなる梅梅が来日した。
「梅梅が来た時、オリ越しに永明がすごく反応して、興味を持ってお腹を見せたんです。3年間、1頭で刺激がない暮らしの中で、雌がいることが刺激になったみたいです。梅梅が気になっていたんだろうと思います。それはうれしかった」
中国で人工授精が行われた梅梅は、来園2か月後の9月に「良浜」を出産。そこから最初で最大の難関、永明と梅梅をいかに交配させるかが待っていた。

「中国のスタッフから、最初に2頭を一緒にした時に喧嘩をしたり怖がったりしてうまくいかなかったら、多分そのペアは一生自然交配できないでしょう、言われていたので、最初はドキドキしました。雄と雌を一緒にすれば交配するものではなく、私たちの努力だけでは無理ですので。2頭の相性が非常によくて、本当にうれしかった。当時、東京出張中で交尾の瞬間を見られなかったのが少し心残りではありますが…(笑い)」
01年9月に成功した飼育下での自然交配は、世界的に見て非常に価値のあるものだった。
「当時、野生で生まれ育った個体が捕獲されて、飼育下で自然交配する例は多くあったけれど、飼育施設で生まれた雄で自然交配できるのは、私が調べた範囲では4頭しかいなかったんです。永明がその1頭になったことは、もう、すごくうれしかった。目指してはいたけれど、当時は例数が少なく不安だった。交配という1つのハードルをクリアできたことがうれしかった。(蓉浜の死去後)なんとか健康に雌を迎え入れないといけないという使命を持った。頑張った、耐えたかいがあったな、と感激でした」
同年12月17日、永明と梅梅の最初の子、雄の「雄浜」が誕生した。前年に生まれた、のちに永明との間に10頭の子をもうける「良浜」から始まった子供の飼育で、中尾さんはパンダを「変な動物だな」と思ったという。
「例えば普通、餌をもらっている時に赤ちゃんを(飼育員が)取り上げても気にせず竹を食べ続けるなど、野生であればあり得ない光景でしょう(笑い)また、パンダは冬眠せずに子育てをする中で、うまく(背中を丸めて)抱っこして温かい溜まりを作るために、体が柔らかいんじゃないかなと思います。ちなみにそこ(溜まり)の温度を測ったら37・5度くらいでした」

永明が白浜で過ごす歳月の間で、世界のパンダ飼育スキルが上がった。当初は麻酔をかけないと行うことのできなかった採血、レントゲン撮影が、2008年から取り入れたハズバンダリートレーニングによって麻酔なしで行えるようになった。今では永明は点眼治療も受けられる。
「健康な時でも採血できたら病気の早期発見などにつながります。永明は穏やかな性格でわりと(検査)しやすい。そこでスタッフにできる自信ができたら、他の個体に対してもトライしやすくなるところはあるんです。永明でいろんな人が勉強して、他の若いパンダのトレーニングに引き継いでいるのは大きいですよね」
16頭の子供を残し、飼育スタッフの経験にも貢献した永明。中尾さんは「健やかに生きてくれたら」との一心で送り出した。
「中国は1年のうちに8か月くらい、永明の大好きなタケノコがあるらしいんです。春と、秋は永明だけにあげるタケノコを園内に用意してきた私たちにとってはパラダイスですよ。竹の種類も多いですし、不自由なく、うれしそうに独特の、あのしぐさで目を細めながら食べてくれたら。これまで28年、ずっと色々な情報共有はしてきましたし、中国の施設にはパンダ専門の獣医さんもいます。雄の30歳は今、生存している飼育個体では2番目の年長です。すごく長生きをしてほしいという贅沢は言いませんが、中国でも幸せに過ごしてほしいです」
永明が上に向けた右足の裏に右肘を置いて竹を食べている時は、満足しているサイン。そんなしぐさが中国でもたくさん見られることを願っている。