世界が注目する「ひさやま方式」!生活習慣病から守る独自の健康管理とは

60年以上にわたり、福岡県糟屋郡久山町と九州大学、地域の開業医が連携して「ひさやま方式」とよばれる町民の健康管理が行われている。「ひさやま方式」とは、三大疾病(※)や認知症などの原因となり得る生活習慣病の原因を、健診を起点にした追跡調査や剖検のデータなどをもとに明らかにし、その知見を町民に還元するという、国内外から高い評価を受ける独自の健康管理法だ。「久山町研究」(久山町の疫学調査)の主任を務める、九州大学大学院医学研究院教授の二宮利治先生に話を伺った。
(※)がん、脳卒中、心疾患
1961年から始まった「ひさやま方式」の根幹をなす疫学調査「久山町(ひさやまちょう)研究」。
福岡県福岡市に隣接した糟屋郡久山町の住民は、2000年代以降に多少の推移はあるものの、全国平均とほぼ同じ年齢・職業分布を持つ、平均的な日本人の集団として疫学調査の対象となっている。
厚生労働省の発表によると2019年度の特定健診(※)受診率は55.6%。それに対して、久山町における受診率は毎年60%以上、継続受診率に至っては80%以上の数字を誇る。結果は本人の健康管理に役立てられることに加えて、研究データとしても活用される。
それだけではない。血液検査を含むほぼすべての検査結果を健診当日に返却し、疾患が疑われた場合は地元の医療機関に繋ぎ、一次診察を行う。町民の健康リテラシーの向上のために、同町の健康センター(ヘルスC&Cセンター)に常駐する九州大学の医師やスタッフと町の保健師や管理栄養士と連携して健康相談なども積極的に実施している。

(※)生活習慣病の予防のために、対象者(40歳~74歳)の方にメタボリックシンドロームに着目した健診。
(写真提供:九州大学大学院)
二宮先生は、「ひさやま方式」の特徴を次のように語る。
二宮先生
「『ひさやま方式』は、地域に“密着”した疫学調査で、加入している社会保険の種別に関係なく全住民7~8割の健康状態を網羅的に調査をしています。さらに、生活習慣や生活習慣病がその後の予後や病気に与える影響にどのようなものがあるかなど、町民が病気になる前の状態から未来に向かって調査を進める「前向きコホート研究」という研究を行っています」
そもそもなぜ久山町で疫学調査が始まったのだろうか。
きっかけは、約60年前。日本人の“死因1位”とされていた脳卒中についての調査と研究だった。当時、脳卒中、なかでも脳出血による死亡率が欧米と比べて12.4倍も高く、欧米の研究者からはその信憑性に「疑い」の目が向けられたことであった。
二宮先生
「当時はCTやMRIがない時代であったため、脳卒中による死因を正確に診断するためには剖検による診断が必要でした。そこで、1961年に『日本の縮図』のような住民分布を持つ久山町実態調査としての地域住民を対象とした剖検に基づく脳卒中の疫学調査が始まりました。
研究の結果、脳出血による死亡者は欧米の約1.1倍でした。日本人医師は脳卒中を発症したケースを脳出血と死亡診断書に書く傾向があったようです。

その後、この調査をきっかけに疫病調査の重要性が認識され、その後も産官学が連携して疫病調査を継続することになったのです。その疫学調査をもとに「ひさやま方式」という住民の健康管理をあわせて行うことになりました」

昨今、「エビデンス」の重要性が再認識されているが、久山町研究は60年も前から証拠に基づく研究・住民の健康管理を行ってきた。
長らく続く久山町研究だが、二宮先生はどのようして関わるようになったのだろうか。
二宮先生
「2003年から私は研究に協力するようになりました。所属していた医局からの“指令”を受けたということもありますが、元々はある病気への関心がきっかけです。
当時、私が所属していた腎臓内科では糖尿病性腎症が大きな問題になっていました。糖尿病性腎症の原因は糖尿病です。その糖尿病を予防して、腎臓病もなんとかしたいと思っていたので、疫学を学ぶ必要性を感じていたのです」
疫学には住民の協力が不可欠だ。疫学調査を行う上で、疫学を支える住民とのコミュニケーションについても学んだと二宮先生は言う。
二宮先生
「研究に参加したばかりのころは、大学病院で働いていた感覚で『なんで病院に行かないの!』と強く住民の方々に指導したことがありました。その方は私を敬遠するように、しばらく調査に参加されなくなりました。そのころの私は、住民の方に対しやや上から目線で接していたのかもしれないと反省しました。

調査結果を『お返し』すると言っても、住民の皆さんにはアンケート調査や血液検査など調査に参加していただいているわけです。感謝の気持ちを忘れずに、住民の皆さんに寄り添って、できることから一歩ずつやっていくべきだと学ばせてもらいました」
医学の研究方法には、「前向き研究」と「後ろ向き研究」とがある。
過去に生じた症状をある特定条件下で収集した医療データなどを用いて行う「後ろ向きコホート研究」とは異なり、「久山町研究」は、“生きている”方のデータが対象となる「前向きコホート研究」を行っている。
例えば、Aという食品を多く摂取した集団と、それほど摂取しなかった集団とを長期的に追跡調査し、ある症状の発症リスクを検証していくことが「前向き研究」だ。
「前向き研究」を行うためには、住民一人ひとりから同意を取らなければならないが、先生の体験談のように、住民が調査や研究に参加してよかったという気持ちになってもらえない限り、継続して協力を得ることが難しい。
二宮先生
「この研究に協力するようになり、医師としての姿勢が変わりました。『診てあげている』から、『診させていただく』。考え方がそれまでとは大きく変わりました」
二宮先生は、新たにやってくる医師にも、まずはその“姿勢”を指導しているそうだ。情報や研究成果を常に住民に還元して、調査と研究が社会の役に立っているということを感じてもらう必要性も強く感じているという。
(写真提供:九州大学大学院)

20年以上「久山町研究」を続ける中で、二宮先生の疫学調査の内容が変化をしてきた。
二宮先生
「現在は認知症の研究を中心に取り組んでいます。
腎臓病の疫学調査の過程で、糖尿病や高血圧をきちんと管理すれば認知症の発症リスクを軽減できる可能性を見出しました。 さらにその原因となり得る生活習慣病を予防することは認知症の予防にも繋がることがわかってきました」
認知症の調査は1985年から6~7年おきに、2012年からは5年おきに65歳以上の住民を対象に調査している。対象者の90%以上が調査に協力しているという。
40年にも及ぶこの調査からは、2000年代に入ると認知症の患者数が急増していることが判明した。二宮先生は認知症の患者は今後もさらに増えていくと推計しているが、その理由のひとつとして、介護環境の向上などで生存率が改善していることを挙げている。
一方で、1990年代から2000年代に向けて初老期である60、70代の方の認知症の発症率も増えてきた。この原因の究明を行っていくと、糖尿病が認知症の発症率を増やす要因の1つになっていることを突き止める。その合併症でもある慢性腎臓病も認知症の発症率を増やしていることも分かった。
認知症患者が急増する背景には、町民の長生きを可能にする介護環境の向上と、生活習慣病によって比較的若い年齢で認知症の発症率を高めているということがわかった。
二宮先生

「ほとんどの認知症の原因となる病気の根本的治療はまだ解明されていないと思いますが、生活習慣病がそれらの病気の増悪因子、促進因子になると私は考えています」
(九州大学大学院提供による資料をもとに作成)
二宮先生はこれまでの研究を基に「認知症発症リスクを推計するための簡易リスクスコア」を作成。町民にリスク評価の結果を可視化することで、自身が抱える認知症の発症リスクを自覚してもらうことが狙いだ。
「リスクスコア」の項目には、一見、危険因子(リスクファクター)と結びつかない「教育歴」や、糖尿病と同じスコア値で「日中の低活動」が挙げられている。なぜなのだろうか。
(九州大学大学院提供による資料をもとに作成)
二宮先生
「教育歴は認知症の危険因子でしたが、教育歴は将来の健康意識と関係していると思います。さらに、高齢期の社会活動にも影響するため、孤独感や社会交流の低下し、引きこもりがちになるという『日中の低活動』に繋がっていきます。
日中の低活動で筋力が低下すると、家に引きこもりがちになって、動かなくなります。筋力がある方は外に出て趣味を持って生きがいを作りやすく、人と会話もできる。 それらができなくなると、孤独感や社会交流の低下に繋がって、それが認知症発症の危険因子になるのです。
最近は、筋力の低下を防ぐためにタンパク質の摂取をするように指導を行っています。バラエティに富んだ品目のある食生活によって認知症のリスクが低くなるということも報告しています。バラエティのある食事に関しては認知症だけでなく、多くの疾患の予防に繋がると私は考えています」

二宮先生は、講習会を開くなどして、予防の大切さを訴え続けている。
(写真提供:九州大学大学院)
これまでの研究結果などを取り入れて、久山町では住民の健康意識を高めるための活動も行われている。
「罹りたくない」病気を避けるために各人が必要なことを健診会場での保健指導で行っている。将来的なリスクを数値として住民に見せる「ひさやま元気予報」というアプリも作成した。健診データや生活習慣を入力すると、糖尿病などの発症リスクを「天気のアイコン」と数値でお知らせしてくれる“すぐれもの”だ。
(写真提供:九州大学大学院)
さらに「ひさやま元気予報」を含めた他の健康アプリと連携する「KenCoM」も住民サービスの一環として導入した。
(九州大学大学院提供による資料をもとに作成)
野菜接種を推進するために、手のひらをセンサーに約30秒あてるだけで、推定野菜摂取量が“見える化”できる機器の「ベジェック(R)」を健診会場に設置している。
二宮先生
「この「ベジチェック(R)」と、筋力低下などにより身体機能が低下する状態である「ロコモティブシンドローム」になる危険度チェックや予防体操などを町のお祭りで実施したところ、大盛況だったという話を聞いています。
こういったことを地道に行い、啓発することで地域の人たちの健康に対する意識が向上してきています」

(九州大学大学院提供による資料をもとに作成)
久山町の様々な取り組みを通じて、食生活を「楽しく」改善できると、住民にも好評だ。
二宮先生をはじめ「久山町研究」に携わる研究者たちは、地域の健康意識を高めるための提案だけでなく、可能な限り久山町に常駐することで、住民との信頼関係を築いている。
たとえば、認知症が疑われる住民に物忘れ外来を受診するための紹介状を書くなど、住民の健康相談に応じることで、早い段階から社会や地域の病院に繋いでいる。
しかしながら、健診に不参加の住民がいることも事実だ。特に認知症の方の場合は参加が難しいのではないだろうか。
二宮先生
「久山町は特殊な例かもしれませんが、自治体の協力が非常に大きく、地域包括支援センターや役所の健康課などが一丸となって健診にいらっしゃらない方がいたら『1軒ずつ』回っていきます。
その結果、先ほども申した65歳以上の住民の9割が認知症の調査に協力してくださっているのです。 ただ、これをすべての地域の自治体でもできるかというと、規模の大小もあるので難しいと思われます。そうなったときに、埋もれてしまっている人たちをいかに早い段階から社会に“繋いでいく”かが課題になるのではないでしょうか」
個々人の日々のケアで、生活習慣病や認知症を予防するためにできることはどういったことなのだろうか。
二宮先生は「歯磨き」を例に解説してくれた。

二宮先生
「これまでの調査から、『歯の本数が少ない方にも認知症のリスクが高い』という報告があります。私も歯周病が悪化して歯を1本抜いたのですが、この事実から危機感を持って歯のケアを怠らないようにしました。すると、歯の健康だけでなく、見落としがちな生活の“細部”にも気を付けようという気持ちになったのです。
この経験から『健康は歯の健康から!』と町民のみなさんにも歯磨きの大切さを伝えるようになりました。比較的に結果の出やすいところから1つ1つ改善をしてもらい、成功体験を重ねてもらうことで、『健康のために、もっと頑張ってやってみよう』と1人ひとりが行動していくことが大事なのではないでしょうか」
日本の縮図のような久山町で疫学調査を続ける二宮先生は、世界に類を見ない超高齢社会をどのように捉えているのだろうか。
二宮先生
「人生には2つの段階があると考えています。現在の職場を退職後も、別の形で社会活動を行い、新たに活躍できる場がある社会が理想だと思います。 そのような社会は実現したとき、問題となるのが『体力』です。これこそが、私が久山町で感じたことですが、医療や介護環境の向上などで昔の70歳と今の70歳では体力が全く異なります。現在、非常に元気な70歳の方がその後も体力をどうやってキープし続けるのか。そこには生活習慣病の予防が不可欠です。
そうして、体力のキープができたならば、その人たちも自ら働いて稼ぐ方法を考えていかなくてはならないでしょう。若い方たちが新しい何かを創造していくことが大事だとすれば、その役割を次の世代に譲った方たちだからこそできる社会を支える仕事がたくさんあります。

私であれば、また臨床医に戻って、久山町研究で得たものを今度はそこで『還元』していければ良いと思っています」
九州大学大学院医学研究院衛生・公衆衛生学分野教授二宮 利治(にのみや としはる)氏
九州大学医学部卒業後、2000年に九州大学医学博士を取得。2003年、久山町研究に学術研究員として入研。2006年にシドニー大学ジョージ国際保健研究所に留学、その後九州大学病院助教、シドニー大学留学(2度目)、九州大学附属総合コホートセンター・教授を経て、2016年に同大学の衛生・公衆衛生学分野・教授に就任。
文:岡崎杏里
認知症の調査に65歳以上の住民の9割が参加しているというから驚きだ。
この数字の裏側には産官学がタッグを組むことによる「協力体制の本気度が違う」と二宮先生は言う。だが、それに加えて、住民に寄り添い「ありがとう」の気持ちを忘れない二宮先生をはじめとした研究者たちが長年に渡り築き上げた関係性も大いに影響しているのではないだろうか。
取材中に幾度となく“はにかむ”先生に、9割の住民が自発的に参加する検診の光景を見た。
本記事の内容は、2023年1月取材時点の情報をもとにしています