あの日を境「駐在さん」に 旭の海岸、津波から人命救助 佐倉署・譜久村智宏(ふくむらともひろ)警部補(49) 【東日本大震災12年】

佐倉署地域課の警部補、譜久村智宏さん(49)は2011年3月11日、旭市内の海岸近くにあった駐在所に勤務していた。自身も津波にのみ込まれながら濁流から男性を救助し、行方不明者の捜索にも携わった。東日本大震災から12年。刑事に憧れ警察官になった譜久村さんは、あの日を境に「駐在さん」としての道を選び、今も地域住民に寄り添っている。
譜久村さんは沖縄県出身で、2002年に27歳で県警入りした。八千代署勤務などを経て、佐原署(現香取署)で念願の刑事に。10年9月、旭署の刑事課に配属予定だったが、急きょ半年間だけ同署矢指駐在所への赴任が決まった。
◆激しい揺れ、海岸へ
11年3月11日はバイクで走行中、激しい揺れに襲われた。急いで駐在所に戻り「津波が来るかもしれない」と救命胴衣を持ち、約60メートル離れた海岸に向かった。浜にいた親子連れやウオーキング中の人には、すぐに避難してもらった。
警笛とバイクのクラクションを鳴らし、サーファーを海から上がらせた。波乗りをしていた人たちは「地震が発生したことに気付いていない様子だった」と振り返る。
無線で大津波警報の発令を知り海面を監視していると、海水が沖に引いていった。ごう音とともに津波が浜に接近してきて、自身も退避しようとした時に海岸に向かう男性を発見。走って男性の方に向かい腕をつかんだ瞬間、2人は津波にのみ込まれた。
「上下が分からず、方向感覚もなくなった。津波はすさまじい力だった」。内陸に200メートルほど流され、住宅のブロック塀にたたき付けられた。塀につかまり周囲を見回すと男性が水の中で溺れていて、救命胴衣を投げて助け出した。

◆今も自責の念
男性を救助中、男の人の「おばあさんが流された」という声を聞いた。周りを確認したが、誰も見つけられなかった。後日、波消しブロックの間から、高齢女性の遺体が見つかった。今でも、遺体はあの時の人ではないかと思っており「助けることができなかったのか。一生引きずることになるだろう」。
12日以降も現場に入り、行方不明者を捜索し、遺体の身元を確認するために避難所を回った。矢指駐在所も水に漬かり、内陸部に移転して建て直すことになった。移転に反対する住民がいて「みんなに納得してもらいたい」と説得を続け「これからも駐在所の警察官としてやってくれるなら移ってもいい」と言われた。
旭署に来てから半年がたっていた。刑事課への異動を打診されたが「悩みに悩んで断った」。自身も被災し、住民は甚大な被害を受けた。亡くなった人もいて「駐在所を捨てて逃げるような感じがして、それは私にはできなかった」と説明する。何よりも「駐在さん」は住民に親しまれ、頼りにされる存在だと思うようになっていた。
◆後輩に教訓伝える
矢指駐在所には14年3月まで勤務。市川署の交番に1年いた後、佐倉署和田駐在所に異動した。山林と畑に囲まれた和田駐在所に赴任して、今月で8年となった。矢指駐在所時代と同様、管轄地域のことは頭に入っている。
災害への備えも忘れておらず、土砂崩れが起きそうな危険箇所などを点検している。「大地震は必ずまた来る。その時のために、普段から最悪の場合を想定して備えなければならない」と指摘。若い警察官にも「最悪の事態を想定して行動すれば、市民を助けられ自分の命も守れる」と伝えている。