万葉集を若者言葉で超訳 話題が話題呼び7刷9万部の大ヒット…「愛するよりも愛されたい」たった1人で出版社運営

社員が1人だけの出版社「万葉社」(高松市)から、昨年10月に出版された「愛するよりも愛されたい」(1000円)は、国内最古の和歌集として知られる「万葉集」に収録された歌を、若者言葉に訳した本。現在、7刷9万部の大ヒットを記録している。京都市在住の著者・佐々木良さん(38)は「万葉集によって自身の人生を変えられた」と語った。(瀬戸 花音)
「ワンチャンないで」「彦星しか勝たん」「キュンキュン」―。一見すると、最近の若者向け漫画のセリフのようだが、実はコレ、万葉集の“超訳”。「らしくない」言葉で訳された万葉集が今、古典に興味のない若者たちから注目を集め、令和の時代に一つのブームをつくり出そうとしている。現在、7刷9万部。丸善丸の内本店の4月6~12日の週間ランキングでは、文芸書部門で東野圭吾さんの作品を抜いて1位を記録した。
出版したのは佐々木さんが20年に1人でたちあげ、今も1人で運営している「万葉社」。「ご担当者様は…」と連絡がくれば、「ご担当者様しかいないんです」と返す日々。執筆、編集、デザイン、納品を1人でこなしている。
「ちょっと売れ始めたら、めちゃくちゃ忙しくなって。今年の3月頃まで2か月間くらい、朝7時から夜9時まで、いろんなところから5分に1回電話がかかってきている状況でした。もうヒステリックになってしまいそうで、3月には少しストレスで倒れてしまったんです…」
それでも、人を雇わず、1人で続けている理由がある。会社設立のきっかけは新型コロナだった。学芸員の仕事をしていた佐々木さんは、フランス絵画にまつわる書籍を別の出版社から出す予定だったが、新型コロナ禍で海外に行くことができなくなり、断念。「どうしようか…」と思っていた頃、国から10万円の特別定額給付金が支給された。

「『自分で出版社を作って、自分で本を出そう』と。この10万円で個人でどこまでのことができるのかなって思いました。若者が今、コロナで何もできなかったじゃないですか。そういう中で『10万円でもアイデア一つでここまでいけるんだぞ』ってところを38歳の僕なりのメッセージとして伝えられるんじゃないかな、と。ちょっと納税1億円までは頑張ろうかなと思っているんです」
これまで万葉社では、通常の現代語訳を記載した「令和万葉集」「令和古事記」を出版してきたが、本書は奈良弁の若者言葉訳。「ふざけた内容なので売れるとは思ってなかった」という。初版は500部。22年10月に自身の挙式をした時に引き出物として友人に配り、残りをAmazonに少し出荷する程度だった。
「まさかこの時代に万葉集が売れるなんて誰も思ってないじゃな いですか。万葉集は人気の文学なので、今は現代語訳万葉集がたくさんあって、でも、そんなに何万部売れた本ってあまりないので。想定では100冊売れたら大成功だなと思ってました」
だが、売れた。SNSで紹介されて特段バズったというわけでもない。手に取った一人ひとりが少しずつ周りに紹介し、小さな輪がいくつもでき始め、気づけば大きな話題になっていた。
「この本は、風の乗り方がちょっと特殊だったんです。書店員の方も『こんな本の売れ方はない』ってすごい喜んでくださった。徐々に世の中でうわさになっていって、話題が話題を呼んでって感じで。本当にびっくりしているんです」

注目を集めた理由については「万葉集とSNSがうまくリンクしたのでは」と分析している。
「普通の現代語訳の万葉集の本って『我は~をしたから~である。ああ、こんな不思議なこともあるのかなあ』って、結構おじさん口調なんです。本来は恋歌を歌っているのって、今でいう10代、20代の若者のはずなのに。万葉集の歌もSNS語が本来の意味するところなんじゃないかなと思っていて。ツイッターでも140字だったり、ラインも短くやりとりするじゃないですか。(和歌の)『五・七・五・七・七』は31文字なので、そういうところが今の感性と似ているのかなと思っています」
実は、本書を書くために万葉集の生まれた地である奈良に通っていた間に、夫人と出会った。奈良で一緒に飲んだ2時間だけで結婚を決め、10日後に結婚。挙式の日に発売した本書が売れ、生活は一変した。
「妻も『まさか万葉集に関わる人生になるとは…』と驚いてますし、日を追うごとに本の話題が増えて、『こんなはずじゃなかったのに』みたいな(笑い)。『結婚生活をもっとゆっくりするはずだったのに』とうれしい悲鳴ですね。万葉集に人生を翻弄(ほんろう)されています」
理想の新婚生活は、もう少し先になるかもしれない。
◆佐々木 良(ささき・りょう)1984年9月15日、大阪市出身。38歳。京都精華大学芸術学部卒業。大学時代には油絵を専攻し、卒業後は地中美術館、豊島美術館などに勤務。京都現代美術館の学芸員を経て、現在は瀬戸内の文化芸術の研究を中心に活動。著書に「美術館ができるまで」「令和は瀬戸内から始まる」(共に啓文社書房)、編著に「令和万葉集」「令和古事記」がある。