旧日本海軍「最速の駆逐艦」トップ3とは? 1位と2位は“親子” 世界最速記録には異議アリ?

第2次世界大戦中に竣工した駆逐艦「島風」は旧日本海軍の艦艇で屈指の知名度を誇ります。その理由の一つが、旧海軍艦艇で最速の航行スピードです。なお、第2位も先代「島風」。では第3位はどの艦艇だったのでしょうか。
第2次世界大戦以前は、軍艦に高速性が求められることが多々ありました。当時はミサイルなどが実用化されていなかったため、砲にしても魚雷にしても命中精度を高めるためには射程を短くする、すなわち敵に近づく必要があったためです。なかでも駆逐艦や巡洋艦は、威力は大きいけれど肉薄しなければ当たりにくい魚雷を主兵装としたことから、各国とも高速性能を重視した設計・構造としていました。
旧日本海軍「最速の駆逐艦」トップ3とは? 1位と2位は“親子…の画像はこちら >>旧日本海軍の艦艇で初めて40ノットを超えた駆逐艦「島風(初代)」(画像:アメリカ海軍)。
特に装甲を持たない駆逐艦にとって、速力は生命線といっていいほどの重要性能でした。襲撃対象として重視される戦艦に対して、速力で優越していなければ、雷撃が困難になるからです。
たとえば、最大速力28ノット(約52km/h)のアメリカ戦艦「ノースカロライナ」を、35ノット(約65km/h)の陽炎型駆逐艦で襲撃すると仮定した場合、両者の速力差は7ノット(約13km/h)です。
つまり、距離3万m(30km)で互いに視認し合ったとして、「ノースカロライナ」が退避した場合、陽炎型が1時間全速力で追いかけて、距離が1万7000m(17km)に縮まる、ということです。

ただ、より快速のアメリカ高速戦艦「アイオワ」を襲撃しようとした場合、その速力は33ノット(約61km/h)であるため、同条件の3万mで相手を発見して1時間追いかけても、その距離は2万6300mまでしか縮まりません。これでは、射程が長く、精度の高い射撃装置を搭載した戦艦に近づく前に、一方的に砲撃されて撃破されてしまうでしょう。
しかし、そのとき追いかける駆逐艦が陽炎型ではなく、最高速力40ノット(約74km/h)の「島風」なら、「アイオワ」との速力差は7ノット(約13km/h)となりますから、3万mの距離が1万7000mまで縮まります。ということは、もう1時間追撃できれば充分に魚雷発射距離になるわけです。
こうしたことから、旧日本海軍は駆逐艦に高速力を要求していました。特に、1920(大正9)年に竣工した嶺風型駆逐艦の4番艦「島風」は、新造時の公試で40.698ノット(約75km/h)を記録し、旧海軍で最初に40ノット(約74km/h)を超えています。ちなみに、「島風」を含む嶺風型は開発時に計画速力39ノット(約72km/h)を想定していたため、当時としては世界屈指の高速駆逐艦だったといえるでしょう。
ところが、日本駆逐艦の速力向上は、いったんここで打ち止めとなります。嶺風型の後に設計された神風型と睦月型では計画速力は37.25ノット(約69km/h)に抑制され、その後整備された吹雪型でも38ノット(約70km/h)、初春型では36.5ノット(約68km/h)止まりでした。

ただ、このように速力が抑制されるようになったのには理由がありました。なぜなら、1923(大正12)年に発効したワシントン海軍軍縮条約の前は、弾薬4分の3、燃料4分の1、水2分の1を搭載した状態、いわゆる「常備排水量」で速力を計測していたのに対して、それ以降では、弾薬を満載、燃料と水を各3分の2搭載した状態、「公試排水量」で計測しているという違いがあるからです。
同一艦型で常備排水量と公試排水量を比べた場合、後者の方が重くなるため、その影響で速力が低下するのは避けようがないと言えるでしょう。
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初代「島風」を上回るスピードを記録した2代目「島風」(画像:アメリカ海軍)。
実際、前出の嶺風型と神風型を比べた場合、前者は基準排水量1215トン、常備排水量1345トン、全長102.57m、全幅8.92m、3万8500馬力。一方、後者は基準排水量1270トン、常備排水量1400トン、全長102.57m、全幅9.14m、3万8500馬力。サイズや機関出力はおおむね同じ数値なのに、速力に関しては前者が最大39ノット(約72km/h)なのに対して後者は37.25ノット(約69km/h)とかなり低下しています。
ただ、これ以外にも当時のアメリカ主力戦艦が長らく21ノット(約39km/h)前後という低速だったこともあり、速力よりも重武装に重きを置いたからという理由も考えられるかもしれません。
しかし、1930年代後半に登場したアメリカの新型戦艦が軒並み25ノット(約46km/h)以上の速力を獲得し、駆逐艦も38ノット(約70km/h)以上で計画されたことを受け、旧日本海軍も考え方を改めます。

その結果、駆逐艦の速力については35.5ノット(約66km/h)では不十分となり、計画されたのが島風型駆逐艦です。
島風型は機関の量産が不向きということもあり、1番艦「島風(2代目)」が1943(昭和18)年に就役しただけで終わってしまい、同型艦が造られることはありませんでした。しかし、燃料2分の1搭載時の過負荷全力公試で40.9ノット、(約76km/h)という高速を記録しています。結果、この2代目「島風」が叩き出した数値は、先代「島風」の速力40.698ノット(約75km/h)を上回り、日本海軍最速となっています。
このように新旧「島風」は、旧海軍艦では1番と2番に輝く快速性を有していたのですが、では、この2隻に継ぐ韋駄天艦となると、なんだったのでしょうか。
それは初代「島風」の姉妹艦である、嶺風型駆逐艦5番艦「灘風」です。同艦は1921(大正10)年に行われた公試において、機関出力4万511馬力で39.806ノット(約74km/h)を計測しており、当時は初代「島風」に継ぐ高速記録でした。
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初代「島風」や「灘風」と同型の駆逐艦「沢風」(画像:アメリカ海軍)。
興味深いのは、初代「島風」が軸出力4万652馬力で40.698ノット(約75 km/h)を達成したのに対して、同型2番艦の「沢風」は、同4万2742馬力と上回る出力を発揮していながら、速力については38.126ノット(約71km/h)と、かなり下回っていたことです。

理由は判然としないものの、それ以外でも同型6番館「矢風」が4万2638馬力で38.14ノット(約71km/h)とばらついています。しかし、これが昭和以降になると、同型艦でのばらつきが少なくなることから、おそらく凌波性の改善が速力を安定させたのではないでしょうか。
ちなみに、世界の駆逐艦最速記録を持つのは、フランス大型駆逐艦「ル・テリブル」で、基準排水量で45.02ノット(約83km/h)を達成しています。ただ「基準排水量」とは、満載状態から、燃料と予備缶水(水)の重量を差し引いた状態、つまり「ほぼ燃料ゼロの状態」ですから、記録を出すために環境を整えたとも言えます。実際、通常状態での「ル・テリブル」の最高速力は37ノット(約69km/h)です。
なお、冒頭に述べたように第2次世界大戦以降、ミサイルなどが登場したことなどにより、大型水上艦は過度な高速性が求められなくなっています。ただ、北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)の不審船対策において、海上自衛隊のはやぶさ型ミサイル艇は“44ノット(約82km/h)の最大速力が発揮できる”などと喧伝されているため、現代でも用途によっては超高速が求められることがある模様です。