絵本作家・長野ヒデ子先生については、「あなた」のほうが詳しいのかもしれません。“新刊絵本”の刊行は、一年間で1000冊を超えるそうですが、絵本日本賞文部大臣賞を受賞したデビュー作『とうさんかあさん』(石風社)、サンケイ児童出版文化賞を受賞した『おかあさんがおかあさんになった日』(童心社)など、先生の絵本は時代を超えたいまもなお、多くの子どもたちに楽しまれています。絵本作家が憧れる絵本作家に、絵本の魅力、人生や介護について伺いました。
みんなの介護ニュース編集部(以下、――)長野先生、本日はよろしくお願いいたします。私たちは、老人ホーム検索サイト「みんなの介護」を運営しております。本日は介護や高齢社会についてのお話をお伺いしたく、やってまいりました。
長野 ……老人ホームに入ってもらいたいから、インタビューに来られたの? 入りたくないですよ(笑)。
―― 「選択肢」を提供することが私たちのひとつの“ビジネス”です。先生のようにいつまでも元気でいらっしゃることがなによりだと思っています。
長野 そうね、たとえ元気がなくなって本当に“ヨレヨレ”で、家が「ゴミ屋敷」になったとしても、家で暮らしたほうがいいんじゃないかなって思っています。私は老人ホームに入ってもいいような年齢だものね、80歳を超えているから。
―― 各界でご活躍されている皆さまに高齢社会についてのお話を伺う企画ですので、老人ホームへの「ご案内」に来たわけではありません。ご安心ください。
長野 そう(笑)。「早く入りなさい」って言われるのかなって思っていました。
―― 先生の「いちファン」としても伺っております。
昨晩も、先生の『とうさんかあさん』を子どもに読み聞かせました。それまでワンワン泣いていたのに「とうさんかあさん 作 長野ヒデ子……」と読み始めると、赤ん坊が「読んでくれるのかい」という感じで泣き止みました。
『とうさんかあさん』の刊行は半世紀も遡りますが、時代を超えて「子ども」たちに愛されています。どのような理由だとお考えですか。
長野 絵本は何代にもわたって読まれるのよね。絵本は子どもだけのものじゃないの。子どもが対象だと思ってらっしゃる方が多いけれども、そうじゃない。子ども「でも」分かる言葉で書かれているのよ。絵も付いているし、楽しいし、奥が深い……それが絵本。子どもから大人、老人までの本。
国会で絵本を読む時間があれば、「的外れ」な答弁もなくなって、政治が変わると思うぐらい。
―― 先日刊行された先生のエッセイ『絵本のまにまに』でもおっしゃっていましたよね。絵本の魅力を改めて伺えますか。普段はそれほど本を読まない方でも、子どものために「絵本の読み聞かせはする」というお話をよく聞きます。
長野 短い時間で読めるでしょう。「普通の本」だったら1日で読みきれないことも多いじゃないですか。でも絵本だったら、短い時間で一冊“丸ごと”読める。体に受け入れられることができるんです。達成感かな。そういうのを味わえるよね。
―― あらゆることがデジタルに置き換わっていく時代に「形」が変わらないのはなぜだと思われますか。絵本は100年後も「紙」で読まれているのではないでしょうか。
長野 難しいことはわからないけれど、やっぱり、紙って“触れる”ことができるものですよね。
デジタルの便利さはよくわかるけれども、触れることができないものでしょう。デジタルでは敵わない「手触りの確かさ」がある。
その触ることのできる重みの中には、目に見えないものがいっぱい積み重なっているんだよ。
―― デビュー作『とうさんかあさん』は、編集者の福元満治さん(※)によって手掛けられ出版されました。
※石風社の創業者。ペシャワール会広報部長。『とうさんかあさん』出版当時は、福岡の葦書房という出版社に在籍していた
『とうさんかあさん』が出版されるまでは、ホッチキス留めだったり、ひもで結んだりして絵本を手作りされていたそうですね。「子どものために」と作っていたものが、絵本として形になったことは……
長野 そんな風によく言われるんですよ。子どもの「ために」って。そう聞けば「すっごくいいお母さん」に見えるんだけど。
絵本を作ることも子どもと遊ぶ手段のひとつなの。洋服を作ってやったり、料理をしたり、ケーキを一緒に作って……それと同じ次元。
なにも特別に「絵本」っていうんじゃないの。いい加減なものだよ、ほんとうに。
―― エッセイには、ご自身の日常のお話だけでなく、多分野で活躍されている方々との交友関係も書かれています。
交友関係の「広さ」だけでなく、先生ご自身のコミュニケーション能力の高さも感じました。
長野 そう? 不思議な出会いは多いよね、ほんとうに。
―― 先生のご自宅に遊びに来られた方々や「居候」をされている方のお話も登場します。……たくさんの方が遊びに来て下さるのは嬉しい反面、「大変そう」でもあるな、と。
長野 私は四国の愛媛育ちでしょう。愛媛って「お遍路」がありますよね。お遍路さんはいろいろ周ってきて、地元のみんなで「お接待」(※)をするじゃない。そういう文化が残っているから、私もそれを引き継いでいるのかもしれないね。
※お遍路さんは弘法大使とともに歩く存在なので、「見返り」を期待せずに親切にする習わしがある。
―― 心のどこかで「見返り」を求めてしまいそうですが、先生にはそういうものが一切感じられません。
長野 ないね。見返りを求めるなんていうことは、全然、楽しくないから。
―― 子どもも「見返り」を気にすることなく、周囲を幸せにしてくれますよね。行動原理がどこまでも“真っ直ぐ”と言いますか、笑ったり泣いたりと「シンプル」です。
長野 「子ども」って何も分かっていないと思っていたの。でも、子どもは何でも分かるのよ。何でも分かるし、私たちが感じている気持ちも全部伝わっている。
だって、お母さんの産道で、自分で「工夫」して産まれてくるんだよ。あんな“技”をちゃんと身に付けているなんて!誰も教えてくれなくっても、「頭をこうしてねじったら出られる」とか、それで時々「休む」じゃない? すごいよね。
―― 「もう一回やってみよう」って。
長野 そう。一休みして、また産まれようと頑張るなんて、誰にも教えられなくてもそれが“全部”できるんです。
大人よりも感性が豊かで、ものを判断する力は、子どもや赤ちゃんのほうがしっかりと持っている。でも、成長するにしたがってそれが「鈍く」なっていくんじゃないかなとも思う。
それが多分、報酬を求めたいとか、見返りを求めたいとか……。
―― 人間らしさ。
長野 そうそう。そうして失われていくのかな。ほんとうのことは分からないけどね、そんなことを思ったりもします。
―― 出産の取材もかなりされたそうですね。
長野 『おとうさんがおとうさんになった日』の制作時に取材をした家庭の赤ちゃんが、去年、社会人になったの。外務省に入省して。
―― 生まれた日から見られている先生にとっては感慨深いのではないでしょうか。
長野 それでね、このあいだ、私が取材をした赤ちゃんが社会人になって会いに来てくれたの。私が生んだ赤ちゃんのような気がしたわ。
―― 関係性が続いていらっしゃる。
長野 そう。ちょっと出会った人でも、ずっと友達になれたり。
―― 「友達」って響き、とてもいいですね。
長野 そうそう! 今年の「歌会始」(※)のお課題が「友」だったの。
※年頭に宮中で行われる「和歌」を披露する会
私の絵本で番組を作ってくださった岩田真治さん(※)の短歌が選ばれたのよ。その歌がすごくいい。
つくるでも できるでも なくそこにゐた あなたを わたしは 友と よんでる
(※)日本放送協会(NHK)ディレクター。「映像の世紀バタフライエフェクト」など文化・教養番組を担当
―― ジーンときますね。
長野 このあいだ、『クローズアップ現代』(NHK)で岩田さんの特集があったの。岩田さんから「見てね」って連絡をもらって。ウェブの記事にもなっているよ。
岩田さんの娘さんが、志望大学の入学試験に不合格になってしまったそうです。娘さんを励ますために――言葉を伝えるために――簡単な歌を作って娘さんに送ったの。娘さんがそれを喜んでくれたから、そこから岩田さんの「歌」が始まって。
娘さんが志望校に入学してからは、今度は実家のお父さんと歌の“交換”をするようになったんだって。お父さんもお年を召して私ぐらいだと思うけれども。毎日、歌が返ってくるんだよ、いいでしょう。
―― 先ほどの歌を聞いて、古くからの友人のことを想いました。芸術には過去や未来を現在につなげる力がありますよね。
私は子どもが産まれるまで、絵本を自分で読んだことがほとんどなかったんです。先生の絵本の読み聞かせをしながら「こうして自分も母に読んでもらったのかな?」と、思わせてもらっています。
長野 子どもに読みきかせをされたことがない方もいらっしゃるから。
―― 私もその一人です(笑)。
長野 子どもに絵本を読んであげたら――たとえ初めて会った子どもでも――顔が“バラ色”になるんだよ。そんな本ってある? 絵本しかないよ。ただ読んであげているだけなのに。
神奈川県の都筑区には、図書館で本を読んであげるボランティアがいらっしゃるのよ。図書館のどこかに座っていて、子どもが絵本を持ってきたら「はい、読んであげますよ」って読んであげる。もちろんお互いを知らない関係でね。
それだけのことなのに、ほんとうにいいことだと思う。
―― 素敵な取り組みですね。
長野 感想を聞くこともない。そんなことは一切ない。ただ読んであげるだけ。
絵本だから短い時間だよ、7、8分で一冊を読めるじゃないですか。読み聞かせをしていないときは、自分の好きな本を読んだりして。
―― お時間のある高齢者が活躍できる場でもありそうですね。
長野 そうそう、それでね、神奈川県の都筑区で活動している「JiJiBaBa隊」はご存知? アルファベットで「JiJiBaBa隊」。「高齢者」や「老人」と書くよりもずっと親しみが出るよね。
―― どのような活動をされているのでしょうか。
長野 車に本を積んで、公園なんかに行くの。そこで本を広げて、公園に遊びに来た子どもと一緒に本を読む。本の貸し出しではなく、その場で読み聞かせをしたり、子どもに読んでもらったりね。
元々は、「そんな車があったらいいな」っていう“計画”があって、クラウドファンディングを実施したの。「支援してくださった方になにかプレゼントをしたいから、バッジをデザインしてくれない?」って頼まれて。喫茶店で頼まれたから、喫茶店のコースターに絵を描いてね、私が“こっち”を書いて、ささめやゆきさんがこっちを描いています。
結果、160万円集まったんだよ。いまでは、「オレンジボーイ」って名前を付けて都筑区を走っています。
長野先生は赤いバッジをデザイン
長野 そもそもその関係性は、都筑区(※)ができたときに「『お祭り』みたいなことをやろう」というところから始まっているの。
※1994年に神奈川県の港北区と緑区の分割によって都筑区が新設された
当時、私は緑区に住んでいたんだけれども、どんなお祭りにしていくかをみんなで話し合っていました。
「みんなが参加できることがいいよね」「小さい子から大人まで一つになってできることがいい」
都筑区には劇団四季の稽古場があって、住まわれている劇団員の方々も多くいらして、ボランティアで参加して下さることになってね。それで、ミュージカルをやることになったんです。
―― 活気づく街が想像されます。
長野 そう。それでね、ミュージカルの開催に当たって「いろいろなこと」が必要じゃない? 衣裳を作ることもあるし、大道具、小道具を作ったりすることもある。絵を描くことが上手な人、大工が上手な人、盛り上げるのが上手な人……出番がいっぱいあるよね、年齢に関係なく。
―― 「子ども」「大人」「高齢者」といった区別でなく、得意なことを持ち寄る。
長野 そう。高齢者が活躍する姿を子どもたちが見て、「わー。おばあちゃん、おじいちゃんすごいね」って。いろいろな交流が生まれて、仲良くなったんです。
ミュージカルは一年ほどかけて完成しました。それでね、その一回限りでなく、それからも4回開催して。劇団四季で活躍された演出家の岡本紀子さん、俳優の岡本隆生さんなどが中心になって盛り上げてくれたんだよ。
―― 「輪」が大きくなっていったんですね。
長野 そうそう。そのなかで「JiJiBaBa隊」もできたりしてね。いまは私は鎌倉で暮らしていますが、いまだにずっとつながっているんだよ。
―― 先生、絵本についても改めて伺えますか。高齢者の方に読んでほしい絵本を教えてください。
長野 なんでもいいですよ。その方の生きてきた生活や好み、いろいろあるから。一概に「これがいい」とは言いにくいよね。いろいろ選んでもらったらいいと思いますよ。
―― 先生の絵本だったら何をオススメされますか。
長野 そうね、新美南吉(※)の詩を絵本にした『てんごく』かな、これから発行になるの。幼いときにお母さんをなくした南吉の思いが描かれた詩を絵本にしました。
※児童文学作家。代表作に『ごんぎつね』や『てぶくろを買いに』『狐』など。『狐』は南吉さんが亡くなる二か月前の作品で、長野先生が絵本にしている
―― 私からは『おばあちゃんがおばあちゃんになった日』をオススメさせてください。
長野 どうもありがとう(笑)。『おかあさんがおかあさんになった日』、『おとうさんがおとうさんになった日』もね。
あっ、おじいちゃんがないんだよね。
「『おじいちゃん~』も作ってください」って言われたりもしたんだけれども……今から作ったら私は90になっちゃうから「おじいちゃんはもう死にました」って。そう言ったら叱られましたが。
―― 笑っていいものなのか分かりかねますが、なぜ「おじいちゃん」は作らなかったのでしょうか。
長野 作ろうとは思ったんだけど、おじいちゃんがなかなか「輝いていないな」と思ったのよ。でも、若い人に「喝」を入れるようなユニークで元気なおじいちゃんの絵本を創りたいなあとは思っています。
―― 『おじいちゃんがおじいちゃんになった日』は、読みたいです。絵本は世代を超えたひとつのコミュニケーションでもありますよね。ぜひお願いしたいです。
先生のアトリエの玄関で迎えてくれる「たいこさん」
―― 先生、「介護」という言葉に対しては、どのようなイメージをお持ちですか。
長野 もっと違う言葉があったらいいのになあ、とは思うよね。
―― 介護という言葉がもつ「一方的」なイメージは否定できません。
長野 介護って、誰かに「してあげる」っていうんだけど、介護をするほうだって学ぶことがいっぱいあるじゃないですか。
うちの母は60歳を前にして、脳出血で倒れちゃったの。体が動かなくなって、救急車で病院に運ばれたんだけど、もう動かないから、1カ月で床ずれができてしまいました。
それで、家に帰りたいような顔をしていた、「明日死んでもいいから家に連れて帰りたい!」という思いで自宅に一緒に帰りました。
そうしたら嬉しそうになって、それからは元気に10年生きたんだよ!
―― 先生のケアがよかったのかもしれないですね。
長野 私だけじゃなくて、家族みんなでね。今のような介護保険だけでなく、「何もない」頃だったから。
―― 介護保険制度は2000年からスタートしています。それ以前は、介護の多くが「家」に任されていました。
長野 全部、自分たちでね。「つらい」と思うときもありましたが、児童文学作家の宮川ひろさんに当時こう言われたの。
「『つらい』とは思わないで。これは親から最後にしつけられてもらっているんだと思いなさい」って。
親は自分の体で最後のしつけを子どもにしているんだから、「親をしっかり見なさいよ」って言われてね。すごいことを言ってくださったと思った。
―― 一方、「介護」をすることはやはり大変です。先生はどのように向き合っていたのでしょうか。
長野 家族みんなで看ましたよ。介護をしたことで、私の子どもたちも教わったことが多いと思います。床ずれができたときには「このまま死なせたらいけない」と思って、みんなで「絶対治そう」と話し合ってね。母を中心に心がひとつになったよ。
ひとつきで床ずれができたのが、治るまで2年ぐらいかかった。でもね、今にして思えば、みんなで看たのは“宝物”をもらったような気持ちがしているの。
―― 10年という歳月は短くありません。
長野 10年……そうね、出かけてもすぐにパッと帰らないといけないときがあるわけだからね。あるとき、「ここでコーヒーを飲んでから、のんびりして帰りたいな」と思ったの。
そう思った翌日、母が亡くなりました。
―― ……。
長野 だから、私があんなこと思ったからかなと思って。
―― 先生、そのようなことは決してないと思います。そのときのご経験を絵本にしようと考えたことはなかったですか。
長野 思った時期もありました。編集者に「作品にしませんか?」っていろいろ言われたこともあったんだけれども、「まだ創れない」と思ったの。
―― 創れないというのは、どういうことですか。
長野 自分の中でまだよく消化してないなとも思ったりしたけど。親への見方も自身の考え方もみんなそれぞれで違うから。幸せはご本人が決めることなので。
―― 無礼を承知でお伺いしたいのですが、創る行為がお母さまに「よくない」と思ったのでしょうか。
長野 ううん。違う、違う。母に対してそういった思いはないよ。
―― ご自身が。
長野 そう。「よく分かっていないのになあ」と思ったの、介護をすることがね。一般的な方が見たときにも。今は見方が変わったけれども、当時はそういうふうに思ったの。
―― 今なら「創ろうと思えば創れる」ということですか。
長野 そういう感じでは創りたくないな。介護ではなく、自分が育てられたので。だから、あれは介護ではないと思っています。
―― 語弊がありますが、“お金”で解決できる介護の悩みは少なくありません。
長野 みなさんの事情があると思いますので、そういうふうになってしまうこともあるとは思うんだけれども、「よくないな」とは思うね。
―― 「よくない」とはどういうことでしょうか。
長野 そういうふうにしてね、「お金だけを出す」人がやっぱりよくなくなっていくんだなって思う。介護をされるほうじゃなくて。
どこかで「生き方を問わられている」ようにも感じるから。
―― 「お金を出せばいいだろう」といったような思いに。
長野 そうそう。ただ、皆さんご事情があるのでまとめてはいけないよね。
―― 介護と切っても切り離せないことに「認知症」があげられます。
長野 認知症っていいのよ。
―― 意外な返答です。「怖い」と感じませんか。
長野 だって、認知症になったら、“死”なんて怖くなくなるじゃない。
―― でも先生、私の祖母が認知症の症状で、私のことが分からなくなってしまいました。すごくつらいです。
長野 つらいのは私たちでしょう。当事者は、つらいと思っていないのかもしれないよね。もちろん分かんないけれども。 だから、本人の立場で見たら、どうかなと思ったりするの。
記憶がなくなっていくと、楽に死なれて、興味もなくなるし、認知症ってかえって、神様が作ってくれたことかなと思ったりするわよ。
―― 忘れ去られてしまうことも、忘れていってしまうことも怖いです。
長野 それもいいじゃない。いまも私なんかいっぱい忘れているから。
―― (笑)。笑っちゃってすみません。
長野 亡くなる直前まで記憶がしっかりしていて、「なんでもかんでも」できたら、それこそつらいよね。
木でも花でも、葉っぱがだんだん落ちて……それでいいじゃない、自然だよ。それを枯れないように、こちらが「良かれ」と思っていろいろなことをしたら、かえってかわいそうじゃない。
ただね、「認知症」という言葉で “標準化”したくないなあとも思うんです。
―― 一括りにしてしまうということでしょうか。
長野 そう。みんなそれぞれの人生も思いもあるから。介護という言葉もそうですが、もっと一人ひとりと向き合えるような言葉があるといいよね。
長野先生のお孫さんと(写真提供:長野先生)
―― ありがとうございました。さいごに、人が生きる意味を教えていただけますか。
長野 なに、そんなの私が聞きたいぐらい。
―― それでは、聞くとしたらどなたに聞きますか?
長野 子どもに聞いてみたら面白いかもしれない。小っちゃい子にね。
「おいしいケーキを食べるため」なんて言ったりしてさ、いろいろ聞けるかもよ。
―― それはずいぶんとかわいいお話ですね(笑)。先生ご自身では、考えないですか。生きている意味、絵本を描く理由。
長野 考えないよ。意味のないところがいいの。意味を作ると、かえっておかしくなる。意味がないからこそ、深いんじゃない。意味があるほうがつまんないよ。
―― ある詩人の方が「意よりも先に味として日々を納得して生きている」という詩を書かれていて。
長野 そうね。きょう一日、楽しいけど、明日もあるって思えれば、生きられるじゃない。明日が「もうない」っていったら、寂しいけど。明日もあるんだと思うと嬉しいじゃない。
―― 寂しいと感じるときはありますか。
長野 結婚した当初は寂しいと思ったわよ。
―― 一般的に結婚は幸せとされていますが。
長野 あの頃は、「寂しいな、もう家に帰りたいな」って思っていた。
そうね、なんていうのかな。
―― ホームシックですか。
長野 ううん。ホームシックっていうんじゃなくて、それまでの生活や生い立ちが、みんな違うじゃないですか。
それでもお互いに何かを一緒に作っていくためには、今までのいろんなものを「捨てなければいけない」こともあります。それが“たくさん”になることも。
それがね、「寂しいな」って思ったことがあったの。
―― 最近は思われないですか。
長野 そんなに思わないけど。私は失敗ばっかりするのよ。このあいだも怪我をしちゃって、“うち”のに「病気はしないけど、何でそんなに怪我ばっかりするんだ」とか言われてね。
3日前にも、お昼ごはんを食べていたら、梅干しと一緒に種も飲み込んじゃって(笑)。こーんなに大きな。
―― それは危ないです!
長野 そうなのよ(笑)。それでね、とにかく「吐き出さなきゃ!」と思ったのに吐き出せなくて。
「どうしたらいいのかしら」なんて思っていると、なんだかお腹のあたりが“チクチク”痛いような気がして。
かなり大きな梅干しだったから、種も大きいはず……どうかなるのかなと思って。
―― 梅干しの種は消化されないですものね。
長野 「気分が悪いようでしたら、また来院してください」って病院で言われたの。でも、帰ってからも、お腹のどこかにあの大きな「梅干しの種」があると思うだけで、「わーわー」騒いで。それを見た“うち”のが「正真正銘の梅干しばあさんになったんじゃないか」って。
―― (笑)。ユーモアのある旦那さまで。
長野 「免許皆伝」とか言ってねえ。もう、ほんとうに「梅干しばあさん」よ。
……お茶でも淹れようかしらね。
―― 先生の「いちファン」としても伺いたいのですが、絵本を作られるときには、言葉が先ですか、絵が先ですか。
長野 両方だけれども。私なんかは、だいたい絵が浮かぶね。ただ、お話が全然ないのに絵が浮かぶことはないかな。
でも『おかあさんがおかあさんになった日』は、「おかあさんがおかあさんになった日」っていう言葉が浮かんだの。子どもを産む本はたくさんあるのに、お母さんがお母さんになる本はなかった。それで、そういう本を作ってみたいなと思ったの。
赤ちゃんを取り上げた先生も取り上げたことで先生としてちゃんとなりますよね。そういう意味ではタイトルは大事だね。
―― 『せとうちたいこさん』シリーズ(※)はどうだったんでしょうか。
※「鯛のたいこさん」がデパートにお買い物に行くお話『デパートいきタイ』(童心社)を一作目とし、『せとうちたいこさんえんそくいきタイ』、『せとうちたいこさん パーティーいきタイ』など人気シリーズに。最新作は『せとうちたいこさん ふじさんのぼりタイ』
長野 『たいこさん』と『おかあさん~』は全然、違うものみたいでしょう。でもね、『おかあさん~』を描いたから、たいこさんを創ったの。
子どもって自分の力で産まれてくるんだと思ったら、何も教えることなんかないなって。でも、今は、いろいろあるじゃない。先生、友達、親、学校との折り合いも付けなきゃいけないって、子どもの頭の上にいろんなものが「被さっている」じゃないですか。
そんなのを「取っ払う」ような楽しい本を作りたいと思ったの。それが『せとうちたいこさん』。だから、『おかあさん~』を作らなかったら、たいこさんはない。
―― そのような誕生秘話があったんですね。ちなみに、先ほどタイトルが重要だと仰いましたが、誰にとって「重要」なのでしょうか。
長野 「誰か」っていうよりも、タイトルがその本の核になるから大事なんだよ。作り手だってそこからいろんなものが広がるからね。
―― ありがとうございます、最後は個人的に伺いたいことでした。先生、本日はどうもありがとうございました。
撮影:宮本信義
北九州市立文学館第32回特別企画展「長野ヒデ子の絵本と紙芝居展」
絵本作家・長野ヒデ子さんの絵本と紙芝居の魅力を、原画やラフスケッチなどで紹介します。初日の7月22日(土)にはオープニングトークイベント、7月23日(日)にはワークショップを開催予定。両イベントとも事前申込が必要となります。イベントの詳細や申込方法、申し込み開始日等は、7/1以降に北九州市立文学館HPでご確認ください。
開催期間:2023年7月22日(土)~9月18日(月・祝)会場:北九州市立文学館(福岡県北九州市小倉北区城内4番1号)お問合せ先:093-571-1505
新美南吉生誕110年「南吉と長野ヒデ子の母の世界展」
南吉作品を通じて母の愛を描いた絵本作家・長野ヒデ子さんの原画展を開催。8月13日(日)には、長女で音楽教育が専門の長野麻子さんとの親子対談形式の記念講演会も実施(講演会は予約者優先)。
原画展開催期間:7月15日(土)~10月29日(日)会場:新美南吉記念館(愛知県半田市岩滑西町1-10-1)講演会実施日:8月13日(日)※予約者優先会場:アイプラザ半田(愛知県半田市東洋町一丁目8番地)お問合せ先:0569-26-4888(新美南吉記念館)